38.女神様に金棒










 入院時代に味わうことがついぞなかった絶望感に伴う怒りと恨みのツケが、一気に回ってきたようだ。
改めて考えてみなくてもあいつ、ほんとにハイスペックにも程があったのか。
あいつがいないだけですぐに頭をやられて心を揺さぶられて、おかしくなりそうだ。
自分たちですらどこにいるかもわからないのに、まさか助けに来てくれるなんてことはないよな。
いや、来てほしくないけど。
こんな姿、見られたくもないけど。

 研崎と名乗る顔色が悪い痩身の男が与えたエイリア石には、人間の身体能力を最大限まで引き伸ばす力や思考を操作する力があるらしい。
今やられているのは催眠術ということなのだろう。
物事の判断ができる程度の自我はまだ残っているが、当初と比べると認識にかなり時間がかかるようになった。
濃い霧の中にある事実を手探りで探しているが見つからず、考えることを断念したこともたくさんある。
完全に堕ちてしまうのも時間の問題といったところなのだろう。
今にも自分が自分でなくなろうとしているというのに、随分と落ち着いているものである。
これも、感覚が鈍ってきている兆候なのかもしれない。
熱くも冷たくもない、じっとりとしたぬるま湯にずっと浸かっているような気分だ。
気持ち悪い、中途半端は嫌いだ。
半端でなくなったら気分が良くなるのかな。
ぬるま湯から脱することができるのならば、それもいいかもしれない。
諦念を抱いた半田の胸元で、エイリア石が怪しく煌いた。


































 見なければ良かった。
探しに行かなければ良かった。
会いたい、話したいという思いにほんの少しだけ蓋をして我慢をしておけば、こんな複雑な気分にならずとも良かったのだ。
豪炎寺はもちろん、鬼道の想いは知っていた。
本当にのことが好きなのだろう。
熱っぽい視線はいつも、隣にいるへと向けられていた。
のどこに惚れたのだろうか。
他の連中のようにただ、見てくれだけで好きになったわけではないように思える。
仮に鬼道がそれだけの理由でを好きになったのであれば、いつものようにさりげなく全力で恋路を阻んでいた。
いつもそうしていたのだから、今回だって同じように邪魔をすればいい。
そう思っても事ここに至るまで結局何もできなかったのは、相手が鬼道だったからだ。
ペンギンさんを嫌いになったり告白を断る理由はないと告げられてから、邪魔をすることがの幸せを妨げることになりかねないと危惧したのだ。
だから何もできなかった。
何かをすることでの笑顔を奪いたくはなかった。
そして今、もやもやして後悔めいた感情を抱いている。
あの時みたいだ。
良かれと思ってやったことが逆効果になって、こちらを振り向いてくれなくなったあの時と大して変わらない。
唯一違うのは、今回は相手が人間の男であるということくらいだ。





「豪炎寺、には会えたのか?」
「・・・会わなきゃ良かった」
「え? 何?」
「なんでもない。・・・会ってない、けどもういい」
「もういいって豪炎寺、いつの間に離れしたのか? なあ鬼道」
「潮時というやつだろう。それには豪炎寺のものじゃない」
「そりゃそうだけど・・・。うーん、鬼道もちょっと変だ」




 変と評されたのは心外だが、それを差し引いても鬼道は落ち着いていた。
結果がどうであれ、ずっと抱いていた想いを吐き出したことで気分が軽くなっていた。
告白された時のは面白いくらいに戸惑っていたが、あの瞬間彼女の頭の中は自分で満たされていたと思うだけで気持ち良かった。
ようやくまともに見てもらえたと実感することができた。
破ることが難しいと思われていた豪炎寺を目の前で蹴散らし、ようやく彼女の心に鬼道有人という存在を刻みつけることができた気分だった。
宇宙人を倒したら、しつこいまでに猛攻をかけようと思う。
が押しに弱いことは知っている。
弱点を押さえた上で一気に押し込もう。
とりあえず父に紹介した方がいいだろう。
外堀を埋めて、気が付けば白旗を揚げるしかなかったという状況が理想的だ。




「鬼道」
「何だ豪炎寺」
「・・・いや」
「そうか。もっと積極的に邪魔をしてくるかと思っていたが、俺の思い違いだったようだな」
「・・・・・・」



 邪魔をしていいものならば、お前が雷門に来た時からとっくにしていた。
豪炎寺は鬼道から視線を逸らすと、窓に映る富士山を見つめた。




























 サッカー観戦以外の趣味ができたのだろうか。
部屋の中からガンガンと金属を打ちつける音が聞こえてくる。
女の子だからお人形遊びをしなさいと勧めたことはないが、今度の趣味はまさかの日曜大工だろうか。
人は、何がきっかけで物事に没頭するのかわからない生き物だ。
サッカー観戦は周囲がサッカー少年ばかりだったからまだわかるが、日曜大工とは。
あの子理系じゃないし重いものもそう持てないんだけど、大丈夫かしら。
ちゃんのお指に金槌が当たったらどうしましょう。
はらはらしながら娘の部屋を覗き込んでいると、机でせっせと図工に励んでいたがくるりと母の方へ顔を巡らした。




「あっ、ねぇねぇママ! あのねあのね」
「どうしたのちゃん」
「ママ、有刺鉄線ってどうやって作るの?」
「えっ・・・」




 ちょっと待ってちゃん、有刺鉄線だなんて何に使うのかママすごく気になっちゃう。
最近始めた大工ごっこにはトゲトゲが必要なの?
そもそも何を作ってるのちゃん。
トゲトゲしたあれがないとちょっと駄目なのと、服をおねだりするような無邪気な顔で訊いてほしくない。
駄目って何が駄目なのちゃん。
ねえママ知ってると尋ねてくる娘に笑みを向け、目線を合わせるべく背を屈める。




ちゃん、有刺鉄線はお店で買うのよ。そうねぇ、ホームセンターに売ってるんじゃないかしら」
「そうなの!? あのね、できれば先がこれでもかってくらい尖ってて、とにかくトゲトゲしてるのがいいな」
「・・・ちゃん、それ何に使うの? 今、何作ってるの? ママもお手伝いしよっか?」
「あっ、そこは秘密! でもねぇ、護身用だから大丈夫だよ」
「まあ、ちゃんを守る道具だったらたくさんトゲトゲしてないと不安ね。じゃあ今度一緒に買いに行きましょうか」
「ほんと!? やった、ありがとママ!」




 有刺鉄線を買い与えて喜ぶ女子中学生など、世界中探してもうちの娘くらいだろう。
どうしてこんな物を欲しがる子になったのか、過程が知りたい。
最近のトレンドだとしたら、世の中も変わったものだ。
時代についていけなくなったということはつまり、年老いてきたということなのかもしれない。




「他に欲しい物はないのちゃん」
「うん、後は拾ってきたから大丈夫!」




 だから、何を拾ってきて何を作るというのだ。
母はおやつを食べに行くべくリビングへと向かったの背中を不安げに見つめた。







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