40.ラプンツェルの慟哭










 何を言われたのか理解できない。
今、何と言われた?
豪炎寺は憎悪の込められた瞳で見つめてくる半田にゆっくりと、どういうことだと尋ねた。
に近付くのをやめてくれ、だと?
誰が誰に向かって言っているのだ。
と出会い仲良くなって半年も経っていないような若葉マークの友人が、付き合いの長さでは誰にも負けない俺に指図だと?
信じられなかった。
半田がの何を知っているというのだ。
知ったような口を利いてとの仲を引き裂くようなことはしないでほしい。




「どういうこと? そりゃ俺の方が逆に訊きたいよ。豪炎寺、の何を知ってあんな事言うんだ? あいつの心壊したいわけ?」
「そんなはずないだろう。・・・半田こそ、の何を知ってるんだ」
「少なくともお前よりは知ってるよ、あいつのこと。だって俺、あいつとずっと一緒にいたもん」
「ずっと? 半田との付き合いでずっとと言われたら俺は何になるんだ」
「年月じゃないっての。ほんとにわかってないんだな豪炎寺。そりゃあが何も言わないわけだ」




 真に鈍感なのはではない。
鈍感なの最低限ギリギリの心遣いに気付かず、踏みにじるような行為を躊躇うことなくやってしまう豪炎寺の方がよっぽど鈍感だ。
他がいなかったから仕方がなかったのかもしれないが、はずっとこんな奴と付き合っていたのか。
よく今まで壊れなかったものだ。
大して心が強いわけでもないのに虚勢ばかり張って絆創膏で継ぎ接ぎして、そんなの苦悩にも気付かない豪炎寺は本当の本当にぶち壊すまで気付かないままなのだろう。
いや、もしかしたら今日のつい先程壊れたかもしれない。
壊れても気付かず更に追い討ちをかけるそれは、半田にとってはただの心の殺戮だった。
宇宙人よりも研崎よりも忌々しい。
こんな奴のためにあいつは悩んで苦しんで戦っていたのか。
自分を好きになる男は皆ろくでもない男といつかが嘯いていたが、まさしくその通りではないか。




「豪炎寺、お前行方くらましてる間にに何回連絡取った?」
「取れなかったんだ。半田は知らないだろうが、俺はエイリア学園の連中に夕香を人質にされて・・・」
「それ、が知らないと思ってたのか? あいつ、ほとんど毎日夕香ちゃんと会ってたぜ。
 夕香ちゃんがおとぎ話聞きたいって言ったら俺ら引きずってまで王子様お姫様の話ばっか聞かせて、一緒に遊んでリハビリに手伝ってって。
 夕香ちゃんが安全になった後は? 結局何も言ってないんだろ?」
「言うも何も、は俺に会おうとしなかった。試合には来たのにだ」
「会わないじゃなくて、会えないとは考えらんねぇわけ? 研崎、あいつ最初は俺らじゃなくて狙ってたんだよ」
を・・・? どうして何も言ってくれなかったんだ」
「豪炎寺が今どうしてるのか知りたくないかって言われてんのに、お前と連絡取ることなんかできるか? 仮に言ってたらお前、自分のせいでが危険な目に遭ってるって思うだろ」
「当たり前だ。俺のことで迷惑をかけてることに間違いはないんだ」
「だから、それがには辛いんだよ。やっぱ駄目だな、お前と全然合わない」




 半田はではない。
人は他人になることはできないから、他人の気持ちすべてを読み取ることは難しい。
けれども、短い期間だがと一緒にいて彼女の心の内を教えてもらったから、少しずつだが理解できる感情も増えてきた。
おそらくは、自分のせいでと自身を責め続けるのではなく、ではこれからどうすればいいのかという前向きな回答が欲しかったのだ。
人や自分を責めるのは驚くほどに簡単だ。
何かに怒りをぶつけることで心はすっきりとする。
だが、それで心が晴れるのは怒りをぶつけた人だけである。
周囲の人は何の問題も解決することができない。
むしろ、相手が自分の殻に閉じ篭もってしまったことで問題が増えてしまう。
ああ、この人に何を言っても問題を解決する手助けはしてくれないと、ある種の絶望を抱いてしまう。
と豪炎寺にここまですれ違いが起きてしまったのはこのせいだと半田は考えていた。
が何かトラブルに対してのクレームを言えば、豪炎寺はそれがサッカー関連のものである限り自分のせいでが厄介事に巻き込まれたと考えるのだ。
だがはそうは思ってほしくないから、必然的にトラブル事は豪炎寺に話さなくなる。
悪循環にも程がある。
はいつ、思いの丈を吐き出しているのだろう。
ずっと抱え込んでいたのだとしたら、それは大問題だ。
そうだというのにこの幼なじみ野郎は、ちっともの思いを汲んでいない。
それどころか暴言まで吐いて、いよいよが頑なになるわけだ。





は別に、厄介事言って豪炎寺に謝ってほしいわけでも責めたいわけでもないんだよ。
 でもお前はすぐに何でもかんでも自分のせいにしたがるから、だからはお前に何も言わないんだ」
「だが、言ってもらわないとそれの原因が何かもわからないだろう」
「でもお前だって言ってないじゃん! なんで自分は言わない癖してが同じことやったら怒るんだよ!
 あいつが何も言わなくなったことこそお前のせいなんだよ、お前が自分を悲劇のヒーローに仕立て上げるから・・・!」
「じゃあどうすれば良かったんだ! 帝国の鉄骨も世宇子のあれもエイリア学園のことも今回のことも、結局は全部俺がをサッカー漬けにしたからあんな目に遭ったんだ!
 サッカーに係わってなかったらこうはならなかった。元を糺せば俺のせいなんだ」
「言ったな? そんなに自分と係わったせいだって思いたいんならもうに近付くなよ。お前と会ったこと自体が間違いだって思ってんなら、今から一生あいつに近付くな」
「それは・・・!」
「大体さ、今更どの面下げてあいつに会うんだよ。会って何言うわけ? がありのままのこと全部話しても、どうせ自分のせいだって思い詰めるんだろ?
 それじゃ解決しないんだから会うだけ無駄だよ」




 酷いことを言っているという自覚はある。
の気持ちの代弁に見せかけて、今まで豪炎寺に対して抱いていた思いをすべてぶちまけてもいる。
は本当の本当に、わかりにくくはあるが豪炎寺のことを誰よりも案じているのだ。
彼の脆すぎる精神面をフォローするには多少の自己負担も厭わないのだ。
言いたいことを正直に言わないもいけないとは思う。
だが、やはり豪炎寺の方が許せない。
豪炎寺も結局は自分が可愛いだけなのだ。
責任を負っているように見えて、実のところは責任を取ることを放棄している。
最後の最後までバックアップチームの監督としての責務を放棄せず、花束片手に単身乗り込んできたとは大違いだ。





「豪炎寺が無口な奴だってことは知ってる。でもさ、のこと大切だって思ってるんならもっと話すべきだったんだよ。
 口開いてものこと傷つけることしか言えないんなら、そんな役立たずの口なんかいっそ縫っちまえ」
「・・・縫うのはに会ってからだ」
「おまっ・・・! 俺が言ったこと聞いてなかったのか!?」
「聞いた。聞いた上での判断だ。俺はやっぱり、の口から何があったのか聞きたい。聞いて、どうすれば良かったのかきちんと考えたい」
「だから、それができないんだろ!」
「やる。今も、どうすればいいのかずっと考えていた。おそらくすべて俺のせいなんだろうが、これからどうすべきなのかはと話し合うことが一番だとわかった」
「何度を傷つけりゃ気が済むんだよ。もうほっといてくれよ・・・」
「話せと言ったのは半田、お前だ」





 半田がのことを大切にしていることはよくわかった。
それと同時に、感情とは裏腹に自分がどれだけを蔑ろにしていたかも痛感した。
本当に、のことを何もわかっていなかった。
多少黙っていても大丈夫だろうという推測がただの甘い願望だったことも、心配かけまいと思って何も言わなかったことがをより苦しめていたことも、言われて初めて気が付いた。
のことならば他の誰よりも知っているという自負があっさりと崩れ去った瞬間だった。
心の底から半田が羨ましいと思った。
とずっと一緒にいて何から何まで話し合い、信頼し合っている関係がとてつもなく羨ましかった。
今まで何をと話していたのかと、9年間の会話がとても色褪せて思えてきた。
半田が言うように、もうとは駄目かもしれない。
しかし駄目なら駄目で、最後に一度話したかった。
離れていた間のことを気が済むまで、延々と語って聞かせたかった。
たとえ話を聞き流されようと、とにかく話したかった。
そうまで思っていて、どうして今日まで彼女と連絡を取ってこなかったのだろう。
鬼道との間に割って入ってでも話をすべきだったのだ。
の家に上がりこんで、彼女が帰宅するまで待たせてもらっていれば良かったのだ。
幼なじみだからいつでも会えるというわけではないのだ。
どんなに似たような環境で過ごしてきてもと自分は他人で、ちょっと手を離せば心はあっという間に遠くへ行ってしまうのだ。
そんな簡単で当たり前のことに今になって気付くなんて、ほんとに馬鹿だ。
これではに嫌われても文句は言えない。
豪炎寺は胸倉を掴み今にも殴りかからんとしている半田の手をやんわりと外した。
外した途端に殴られたが、半田になら2発でも5発でも殴られていいと思ってしまう。
そうされるべきなのかもしれない。
ちっとも痛くないとは、言わない方が良さそうだ。




「半田、もういいだろ」
「うるせえ風丸! ここにあいつがいたらなあ、あの凶暴極まりない鉄パイプで豪炎寺10発はぶちのめしてんぞ! それに比べたら俺の一発なんかなあ!」
「わかった、わかったからとにかく落ち着いてくれ! ・・・豪炎寺、のこと今でも大事だって思ってるか?」
「・・・大事じゃないと思ったことは一度もない」
「じゃあ、が何言ってもちゃんとの言うこと聞けるか? もう近付かないでって言われたら、言われたとおりのことできるか?」
「・・・・・・」
「・・・まあ、言わないと思うけど。はさ、笑ったらすごく可愛いんだ。可愛いなって思うのは、が自分の心に正直に感情表現してるからなんだ。
 に会った時に笑ってもらって、それがあんまり可愛くないって思ったらもう諦めた方がいい。それは嘘の表情だ」
「そんなの風丸にしかわかんねぇよ! だって俺、あいつの表情で嘘ほんと見抜けねぇよ!」
「それは半田がいつも正直な顔しか見てないからだろ。俺がわかるなら豪炎寺もわかる」





 わからないとは言えない雰囲気だ。
そうだよなと風丸に尋ねられ神妙な顔つきで頷いてみると、風丸がほっとしたように笑う。
風丸の隣では半田がまだ何か喚いているが、今は半田の相手をするよりもを探したい。
見つけたところでおそらく風丸の方法ではの真意を見抜くことはできないだろうが、自分の言葉でを傷つけたのならば責任持って自分で解決すべきだった。
豪炎寺はが座っていたベンチの前まで歩み寄った。
どうやら本格的に嫌われてしまったらしく、マントの上には渡したネックレスが置かれている。
豪炎寺はネックレスとポケットに仕舞うと校門へ向き直った。
電話も通じないし家にもいないとマネージャーたちが騒いでいる。
多くの人に迷惑をかけるとはどういう料簡をしているんだと怒りたいが、そうなってしまった原因もこちらのあるのだから叱ろうにも叱れない。
いや、そもそもは初めから何ひとつとして悪くないのだ。
責任転嫁のプロはこちらだったのか。
豪炎寺はまたひとつ、新たに学習した。





「よし、俺らもを探そう! 手分けして探して、見つけたら連絡して・・・」
「いや円堂、俺が探すから大丈夫だ」
「でもみんなで探した方が早いって!」
「それに、1人で探すといっても心当たりはあるのか?」
「少なくとも鬼道よりはある。付き合いだけは長いんだ」
「ほう・・・? 今更本気になったのか」
「言っとくけど鬼道、お前もに頼りっぱだったんだから共犯だぞ! お前が一番俺に感謝すべきなんだよこのヘタレマントが!」
「なに・・・っ!?」




 高みの見物を決め込んでいたつもりが半田にばっさりと切り捨てられ、鬼道の顔色が変わる。
感謝しろと言われても、半田の手を借りた記憶はどこにもない。
しかしヘタレマントとは何だ、ヘタレマントとは。
ヘタレという称号だけは欲しくなかったのに、人が気にしていることをあっさりと言ってしまうとは。
豪炎寺は鬼道が奇襲に戸惑っているのを横目に校門を飛び出した。
会って何から話そうかなど考えていない。
今、がどこにいるのかについてもあまり自信がないのだ。
だが、自信がないからといって放っておいていいわけではない。
今もどこかできっとは悲しんでいるのだ。
怒りと悲しみで我を忘れているのだ。
豪炎寺は稲妻町の駅に着くと、間もなくやって来た電車に駆け込んだ。







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