41.黒歴史も落とせるパワーアップ漂白剤










 乙女の体に何をしてくれたのだ、こいつは。
は床に転がる豪炎寺を、かつてない怒りを溜めて睨みつけた。
何が唇のおまじないだ、上手いこと言ったつもりなのかもしれないがちっとも楽しくない。
はポケットからハンカチを取り出すと、極めて丁寧かつ綺麗に口元を拭った。
最悪だ、苛々するから今度は物に頼らず平手打ちをお見舞いしてやろうか。
大体、何が大好きだ。
口から出まかせもいい加減にしてほしい。




「くっだらない冗談言ってないで、とっととそこに土下座して謝りなさい」
「・・・別にいいだろう、初めてでもあるまいし」
「初めてです! 自分と一緒だと思わないでくれる!? はっ、それともアフロか、アフロのあれもカウントされちゃう系!?」
「違うだろう。・・・ああ、気付くわけないか。悪かった、去年か一昨年が寝てる時にやった。その時の写真も携帯にある。やっぱりサッカーできなくて溜まってたんだろうな・・・」
「はあ!? ちょっと修也、私に撲殺されるか切腹するか今すぐ選んで」





 鉄パイプを再び振り上げると、豪炎寺がむくりと起き上がり座り直す。
じっと見つめられると目を逸らすわけにもいかず、仕方なく鉄パイプを下に置く。
いいのかと真面目な顔つきで尋ねられ、何がと訊き返す。
良いも悪いも、怒ってしまったことにやり直しはできないのだ。
暴言も暴挙も何もかも、すべて受け入れるしかないではないか。
心は大いに、再起不能になるんじゃないかというくらいに傷つけられたが。
責任を取ってもらいたいくらいだ。
今なら慰謝料を請求すると、言い値で賠償してくれる気がする。
今度弁護士に相談してみようか。




の悩みもちゃんと受け止められるくらいに強くなりたいとは思う。でも、すぐにできるようになるかはわからないし、またを傷つけるかもしれない。
 ・・・半田にも言われた、もうに近付かないでくれって」
「半田が?」
「悔しかったけど、何も言い返せなかった。のことが大切で大事にしたいから、傷つけるのが怖い。でも傍にはいてほしい。俺はどうしたらいい? どうすればは満足する?」
「一番手っ取り早いのは修也がさっさとメンタル強くすることだけど、それはどうせできないでしょ。私、修也のこと大っ嫌いって言わなかったっけ」
「・・・どこが嫌いなのか具体的に教えてくれ。嫌いなところは直す」
「別に自分を曲げてまで私に固執することないんじゃない?」
「言っただろう、俺はがいないと駄目なんだ。言ってくれ、頼む」
「えー、うーん、そうだなあ・・・」




 以前泣きながら電話された時も同じことを思ったが、どうしてこの人は突然無理難題を突きつけてくるのだろうか。
質問する人は回答が得られたらそれでいいのだろうが、回答者は非常に困るのだ。
いつも困らされてばかりで、このままでは割が合わない。
何か、こちらも困らせるような質問をして時間を稼ぎたい。
何かあるだろうか。
豪炎寺の質問はとりあえず脇に置き、は無理難題を考え始めた。




「あー、ちょっと待ってね・・・」
「そんなに多いのか」
「うーん・・・。・・・ねえ、さっき私のこと大好きって言ったよね」
「言った」
「じゃあ、私が修也の嫌いなとこ考えてる間、修也も私の好きなとこ考えて挙げてみてよ。10個以上言わなかったら嘘ってことにして張り手飛ばすから」
「10個・・・」




 ほら見ろ、人に難問を押しつけるからこうなるのだ。
は黙り込んだ豪炎寺に背を向けると、嫌いな部分を考え始めた。
改めて尋ねられるとぱっと思い浮かばない。
細かなところを挙げればきりがないのだろうが、いつもまあいいかと許容してきたから特段苛々することはなかった。
やはり、メンタルが弱いところが唯一で最大の嫌いポイントだろうか。
本当に、もう少し強くなってもらわなければ何も言えない。
また同じことが起こりそうで恐ろしい。




「やっぱさ、生きてく上でももうちょっとメンタル強くした方がいいと思うよ。大事にしてるもん捨てれるか、守れるくらいに強くないと世の中やってけないと思う」
「もう近付くなってことか?」
「でも私がそれ言ったら修也確実に潰れるでしょ」
「潰れるか、何としてでも引き留めるだろうな。・・・ごめん、こういうところが嫌いなんだろう?」
「わかってたらどうにかして。あと謝れ、今すぐ謝れ」
「それは嫌だ。好きなんだ、ずっと前からたぶん」
「たぶんとかそういった推測に人巻き込むのマジやめて。そんな素振り見せたこともないくせに」
「じゃあ今から見せる。好きだ、暴力的なところ以外全部好きだ」




 だから、今更そんなことを言われても何も響かないのだ。
これからどうしてほしいのだ。
どうしてやれば豪炎寺は納得するのだ。
我が幼なじみはこんなにも手がかかる男だっただろうか。
疲れる。思わずそう呟くと、豪炎寺が悲しそうな表情を浮かべる。
ああもう、だからそういうところが嫌いなのだ。
はむうと眉根を寄せると豪炎寺の頬をつねり始めた。




「もーうだからそうやって私に振り回されてちゃ駄目! あのねぇ、少しは相手を振り回すくらいのことやってみなさいよ」
「いひゃい、いひゃい(痛い、痛い)」
「こんなの私の乙女のスワロフスキーのハートのブレイク具合に比べたらねえぇ」
「あひゃらしいのひゃってひゃるふぁら(新しいの買ってやるから)」
「はあ? ・・・あれ? 私がつねる前から修也の右頬ちょっぴり赤い・・・?」




 一応心配してくれたのか、がつねる手を止めて右頬をとっくりと見つめる。
指摘されて初めて、自分の頬が腫れていることに気が付く。
どうして腫れたのだろうと考え、半田に殴られた時かと思い当たる。
殴られた時はちっとも痛くなかったが、それはきっとあの時は痛みを感じるほどの余裕がなかったからだろう。
一発で済んで良かった。
5,6発もやられていたら、心よりも先に顔が潰れていたところだった。




「どうしたのこれ。イケメンになっちゃってまあ」
「半田にやられた。・・・少し見ない間に随分と半田と仲良くなったみたいだな」
「まあ半田は大事な親友だしねぇ。半田にはほんとにお世話になっちゃった、さすがセンセイ」
「センセイ?」
「そ。サッカー教えてやるとか言われて一方的に叩き込まれてたんだ、ちょっとだけ。しっかし半田、私がいない間に何言ったの? 男の会話は殴り合いって、今の時代もそうなんだ?」
「・・・そんなところだ」
「ふーん。でも痛くなぁい、大丈夫?」
「こんなのが受けた辛さに比べたらなんてことない」
「それもそっか。心配して損した」





 もしかしたら半田、私の代わりに一足先に修也を怒ってくれたのかな。
そうだとしたら、また半田に借りを作っちゃったな。
何をしたら帳消しになるだろうか。
借りを持つのは鬼道だけで充分だったのに半田も増やしてしまうとは、今度菓子折りでも持って行くべきかも知れない。
あくまでも、半田が怒っていたらの話だが。
はよいしょと掛け声を上げ立ち上がると、服についた埃を叩き落した。
未だに座ったままの豪炎寺に手を突き出すと、驚いた表情を浮かべつつも嬉しそうに手を重ねる。
違う、そうじゃない。
は重ねられた手をぱしりと払いのけると、返してと通達した。




「何するんだ」
「何って、修也こと何すんのよ。ストラップ返して」
「嫌だって言ったら?」
「はっ、まさか捨てた、失くした!? わかったじゃあ今から口利かないから」
「・・・ほら、返す」
「・・・・・・これじゃない。私が返してって言ったのは元キーホルダーのストラップなんだけど」
「これも返す。ストラップもついでに返してやるから、まずはこっちを受け取れ」
「嫌だって言ったら?」




 渡すことを諦めたのか、豪炎寺が手を引っ込めて無言で立ち上がる。
わかればいいのだ、さあ今すぐストラップを返せ。
再びは手を豪炎寺に向かって突き出した。
今度は何も手に載せられない。
まさか、本当に失くしてしまったのか。
どうしよう、唯一の繋がりがなくなってしまった。
ごめんね、名前も顔も忘れちゃった初恋の人。
私、目の前の人に何もかもごっそり奪われた気がする。
なんだかそれってものすごくイラッとするから、もう2,3発くらいぶちのめしてもいいかな。
え、殴る価値もない人だから、ぶったら私の手が痛くなるだけだから駄目?
やぁだもう、そんなこと言ってくれた記憶なんてどこにもないしそもそも別れたの5歳の頃だから言えるわけないのに、ったらお馬鹿さん。
相手不在の1人ノリツッコミを繰り広げていたの首に、豪炎寺の指が触れる。
まずい、そのままぐっと力を込められれば即死に至る。
豪炎寺の脳内で何が起こったのかわからないし知りたくもないが、うっかり恋心とともに殺意まで芽生えてしまったのならばそれは大問題だ。
こうやって息もできないようになればはずっと俺のものだとか言い出しかねないヤンデレ幼なじみは、未来永劫お断りだ。





「・・・何やってんの、修也」
「難しいんだな、ネックレスつけるのって。今度は首輪みたいなチョーカーにするか?」
「やめて私そういうの着ける趣味ないから。つけらんないなら今度つけといてあげるから大人しくストラップ返して」
「・・・本当だな?」
「マジで。ねえ、早く返して」
「・・・ほら」




 渋々といった様子でストラップを返すと、が嬉しそうに受け取り天に翳す。
お帰りなさい元気してた?と喋りもしないストラップに笑顔で話しかけている。
早速携帯電話につけ、裏面へひっくり返したがあれれと呟く。
しまった、遂にイニシャルに気付かれてしまったか。
文字の判読ができないだろうという程度に故意に傷つけたが、痛めつけ方が甘かっただろうか。
豪炎寺はじっくりとストラップを観察しているを注意深く見守った。
うーんと唸りながらストラップと睨めっこしていたは、何かに納得したのかにっこりと微笑んだ。
ストラップの分際で笑みを向けられるとは、ますますもって許しがたい存在だ。




「やーっぱこれないと良くない事が起こるんだよねー。さっすが私の大事なお守り、これからもよろしくね」
「それ、呪われてると思う」
「言うに事欠いてなんてこと言うの! これくれた人に失礼でしょ、謝れ!」
「絶対に嫌だ。前も言っただろう、俺はそいつが大っ嫌いなんだ」
「だからなぁんで会ったこともない人のこと嫌いとか言っちゃうの!」




 いーっとしかめた顔をこちらに向けたまま、がポケットに電話を突っ込む。
ポケットに手を突っ込んだ瞬間、の顔色が変わる。
どどどどどうしようと焦った声を上げ始めたにどうしたと尋ねると、エイリア石と返ってくる。
なぜここでエイリア石の話が出てくるのだろう。
意味がわからず、豪炎寺は首を傾げた。




「エイリア石が何だ」
「ポッケの中にエイリア石入れたまんま来ちゃった・・・」
「ちょっと待ってくれ。それ、どこで拾った?」
「かかか風丸くんから没収したやつ捨てるの忘れてた・・・。どっどどどどうしよ修也、これって不燃物かな!?」
「いや、産業廃棄物という手もある・・・。・・・じゃなくて、学生証といい鉄パイプといい、どうしてそうやってほいほいと厄介な物拾うんだ!」
「学生証厄介じゃなかったもん、そりゃ最初は正直うわオニミチくんちょっとしつこくてやだなって思ってたけど、トータル考えたら鉄パイプも鬼道くんも結果オーライじゃん!
 そんなことよりもこれ、これどうする!?」
「どうするも何も、そこらに捨てたらまずいだろう。刑事さんに後で渡そう、それが一番いい」




 それ渡してくれと当然のように言われ手を突き出され、はぶんぶんと首を横に振った。
と強い口調で渡すよう促されるが、こればっかりは折れるわけにはいかない。
何が起こるかわからないエイリア石だ。
もしも豪炎寺も風丸たちのように精神を蝕まれてしまったらと思うと、何としてでも死守しなければという思いが増すばかりだ。
はエイリア石を再びポケットに突っ込んだ。





、それがどんな物かよくわかってるだろう。危ないから俺が持っておく」
「誰が持っても危険度は一緒でしょ。いいよ、私、修也があんなふうになっちゃうの見たくないもん」
「それは俺も同じだ。頼むから自分から危険な道を選ぶのはやめてくれ」




 どんなに嫌だと言い張っても、向こうも譲歩する気はないらしい。
は小さくため息を吐くと、差し出されたままの豪炎寺の手に自分の手を重ねた。
きょとんとしている豪炎寺の脇腹をもう片方の手でちょいとつつき、早くと急かしてみる。
これがこちらの最高で最大限の譲歩だ。
これでも嫌だと言うのならばもう知らない。
勝手にそこらの交番に拾得物として届けてやる。




?」
「なぁに?」
「この手は何だ。ふざけているのか」
「あっそう、そう受け取るんだ。せーっかく人が刑事さんのとこまでエスコートしてって言ってんのにそんな甲斐性あるわけないよね、それが修也だもんね。
 ・・・前言ってくれたじゃん、手繋いでたら何かあっても私1人くらいは守れるって。あの言葉、嘘?」




 エスコート云々とか一言も言ってないだろうとか、そんな不毛なツッコミをするのはもうやめた。
覚えているに決まっている。
あの時ちゃんと、一度誓ったのだ。
自分が傍にいる限りはを危険な目には遭わせないと。
もきちんと覚えていてくれたのか。
文句ばかり言っていても、なんだかんだで話を聞いていてくれるのがのいいところだ。
他の連中にばかり目が向いているように思いがちだが、それでもやはり今でも自分を一番見てくれていると自惚れてもいいのだろうか。
の一番には、実はとっくの昔からなっていたのだろうか。
そう思うだけで気分はどこまでも良くなる。
エイリア石なんてちっとも怖くない。
がいる限り、見てくれている限り闇に心は渡さない。




「・・・ちょっと、聞いてた?」
「ああ、もちろんだ。帰ろう、みんなのこと心配してる」
「そうっぽいね。ねえ、一番不在着信多い鬼道くんに代表して電話していい?」
「エイリア石の前に携帯を預かりたいんだが」




 携帯はプライバシーの塊だからだーめ、じゃあ電話するな。
豪炎寺はの手を握り潰さず、けれども外れないようにぎゅっと握ると雷門中への帰途についた。







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