46.となりの海んちゅ










 うーみーは広いーなー大きーいなー。
流木に腰を下ろし、塩でべたついたジャージーをばたばたと仰ぎながら眼前でサーフィンに興じる少年を見つめる。
海に入っていて男だから当たり前だが、半裸になっている彼が羨ましい。
こちらもできることならば脱ぎたい。
べたつくジャージーを脱いで真水のシャワーを浴びたい。
いいや、シャワーじゃ物足りない。
ここはやっぱり熱いお湯をたくさん張ったお風呂だ。
は生まれて初めて露出狂の気持ちがわかった気がした。





「あーあ、私も脱ぎたぁい」
「じゃあも一緒に海入ろうぜ! こっちは気持ちいいぞー!」
「だって水着持って来てないもーん。スク水じゃ盛り上がんないよーう」
「そうかあ?」




 ヤドカリのように部屋に籠もってんのは性に合わねぇと爆発し、久遠の目を盗み合宿所の外へ出ようとした綱海に見つかり、拉致された時は本当にびっくりした。
こっちのことよくわかんねぇしとりあえず海を教えてくれと頼み込まれ、かつてこれほどまでに強引なイケメンと出くわしたことがなかったは、
いつの間にやら綱海のノリに押し切られ首を縦に振っていたらしい。
我ながら、ここまで押しに弱いとは思わなかった。
一緒にやろうと誘われ、はっと我に返り慌てて拒否していなければ今頃海に浮いていた。
水着も着用せずに着衣水泳に挑むなど、ただの自殺行為だ。
海に入るならせめて着替えを持ってこなければ。




「オーストラリア代表って海の男なんだろ? なぁんか嫌でさあ」
「ライバル心持ってるの?」
「そうそれだ! 海の男は俺だ!」
「まあ、綱海くんは山っていうよりも海の男って感じだよねえ」




 は何度も海に挑戦しては失敗を続けている綱海を見つめた。
早く合宿所に帰りたいが、土地勘のない彼を1人にしておくのは危険な気がする。
日本代表選手が試合前に神隠しになど遭ってみろ。
試合どころではなくなるではないか。
それに、単身向こうに帰るとシャワーの前に久遠父娘からのお説教が待っている気がする。
口答えは一切許さんだとかお風呂一緒に入りましょうだとか、きっとまた無茶を言ってくる。
ここは、綱海のノリに身を任せお説教コースから回避するしか選択肢はなかった。
もしかしたら綱海はそこまで見越した上でこちらへ連れて来たのかもしれない。
そうだとしたら、なんという計算されたノリの良さだ。
彼の出身校大海原中には鬼道も認めるリズムでゲームメークをする選手もいたというし、綱海自身もそのゲームメーク力を習得している可能性はあった。
恐るべし海んちゅ。
イケメンとノリの良さの裏にそんな顔があるなど、そのギャップにくらくらする。




「はっ、これがギャップ萌えってやつか・・・!」
「なんか言ったかあー?」
「う、ううんなんでもないよ! それよりもそろそろ帰ろうよ、このままだと夕食抜きだよ」
「抜きになったら夜食作ってくれって言いたいとこだけど、んじゃあ帰るか!」




 サーフボードを担いだ綱海が海から上がってくる。
太陽の光に照らされ真っ黒に日焼けした上半身が眩しい。
ムラなく焼けるとこんなに綺麗なのか。
いいなあ、私なんか赤くなっちゃうだけで焼けもしない痛み損だもんなあ。
いつも見ている裸体とは違う浅黒い肌をとっくりと観察する。
がっちりしてるのは修也の方だけど、背は綱海くんの方が高いなあ。
やっぱり歳が1つ違うからなのかな。
じゃあ修也も、3年生になったら今よりもっと大きくなってる?
それはやだなあ、今でさえちょっと見下ろされてる感があるのに。
は合宿所へ戻るべく並んで歩き始めた綱海に向かっていいなあと呟いた。




「何がいいんだ?」
「綱海くん、身長高くていいなあ。私ももうちょっと大きくなりたい」
「そうかあ? 大きいってどのくらい大きくなりたいんだ?」
「うーん、あと3,4センチは伸ばしたい!」
「じゃあもっと食え! 食ったらあちこちでっかくなるから食え!」
「食べてるよー! 牛乳もお魚もちゃんと食べてるもん」
「おっ、偉いな! よしっ、じゃあ褒めてやる!」
「きゃー! そんなに頭ぐりぐりされたら縮んじゃうよー! もっと、風丸くんみたいにふわっとよしよししてー!」
「はははっ、んなこと海の広さに比べたらちっぽけなもんだ!」




 やはり、風丸のよしよしが一番好きだ。
優しくて温かくてほっとする魔法のよしよしだ。
は綱海の大きな手を頭から退かすと、自らの体からそこはかとなく漂う磯の香りにむうと眉を潜めた。











































 フットボールフロンティアスタジアムにいい思い出はほとんどない。
鬼道邸と同レベルかそれ以上に居心地の悪い空間だ。
は初めて関係者入り口から入場したスタジアムをきょろきょろと見回した。
ほう、昔神のアクアを精製していた部屋は今はこうなっているのか。
そういえばあの時は神のアクアの粉末の代わりに塩を混ぜたんだっけ。
ほんの数ヶ月前の出来事だというのに、とてつもなく昔のことのように感じられる。
色々あったからだろう、本当に色々と。




「俺とさんが初めて会ったのもここだったよね」
「あ、そういやそうだったね。そうそう、ここで基山くんと南雲くんに会ったんだった」
「今でも忘れられないよ、君との出会い。怖かったなあ、君」
「基山くんたちもおかしかったよ。いつまでも南雲くんのことバーン!って言っててさ、宇宙人の常識疑ったもん」
「あ、今でもバーンは自主規制音扱いされてるんだ」




 だってそうでしょ違うの基山くん。
うん、もうそういうことでいいよ終わったことだしね。
えへへあははと笑顔で宇宙人黒歴史トークを交わしているヒロトとが緑川には信じられなかった。
いったいこの差はどこから来るのだ。
こっちなんて宇宙人でしたとカミングアウトすらできず、いつ正体がばれるとも知れずドキドキしているのに。
いいなあヒロト、これもイケメンかそうでないかの差なのかな。
そもそもあの子、なんだってイナズマジャパンにくっついてきたんだろう。
まさか俺へのささやかな報復?
・・・いや、初対面の宇宙人に張り手を飛ばすくらいの子なのだから、彼女の辞書にはおそらく『ささやか』など収録されていないだろう。
緑川は羨ましげにヒロトとを見つめた。
くっ、絵になるくらいに美男美女だ。




「前半のメンバーを発表する」




 ノートを片手に現れた久遠が選手たちに声を書ける。
ぞろぞろと久遠の周りに集まる彼らを見送り、自分はどこへ行けばいいのかわからず首を傾げる。
ちゃんはここだよと秋と春奈に教えられようやく落ち着いた定位置で、とりあえず久遠の話を聞いてみる。
今日ここに至るまでコーチらしいこともご意見番らしいことも何もしていないが、果たしてこれでも役に立っていると言われるのだろうか。
合宿所に入ってからやったことと言えば、鬼道専用カウンセラーと昼夜問わずの風丸とのハグ、そして綱海との脱出海辺デートくらいだ。
なるほど、思い返せば叱られクビにされることしかやっていない。




、いつものあれやってくれ」
「ん。相手が世界レベルの選手だからってテンション下げないように。行ってらっしゃい、修也」
「わかっている。行ってくる」




 フィールドへ飛び出した豪炎寺たちを見送り、改めてベンチへ腰を下ろす。
面白くない、不貞腐れた表情を浮かべている不動を見つけちょいちょいと肩をつついてみる。
何だよサンといつも以上にぶっきらぼうに返され、は不動を先程よりも強く小突いた。




「もう、ちょっと先発外れたくらいで拗ねないの!」
「拗ねてねぇよ! 監督もわかってねぇなあって思っただけだよ!」
「ああそれは確かにある。監督、なんで私スカウトしたんだろう」
「ほんと、なんでサンこんなとこまでついてきたんだよ。ほーら、スタンドお友だち来てるだろ、あっち行けよ」
「あ、ほんとだ半田来てる。あと、あれお友だちじゃないから」
「彼氏? ぱっとしねぇ奴だな、ちょっと意外。なに、鬼道クン掠奪愛?」
「ノン。彼氏じゃないよ親友だよ。私に金属バットをおすすめしてくれたんだ」




 スタンドの半田を見上げていると、普段は浴びることのない美少女からの熱い視線に気付いたのか半田がこちらへ顔を向ける。
笑顔で手を振ると、なにやら口パクジェスチャーつきで反応される。
まったく、人に何か言いたいのならば恥ずかしがらずにもっと大きな声で言ってほしい。
何と言っているのかちっともわからないではないか。
は半田からの言葉を諦めジェスチャーの解読に注目することにした。
えっとなになに、フィールドの方をやたら指差してるけどあっちを見ろってこと?
そりゃ言われなくても風丸くんたち見るけどさ。
は半田の余計な注意に興味をなくし、仕方なくフィールドへと目を向けた。
鬼道がビックウェイブスの中盤4人に囲まれている。
どんなに動いても陣形は崩れず、鬼道からボールを奪うべく次々と足が伸びている。
あれではさすがの鬼道も苦戦するだろう。
パスコースも塞がれバックパスもできない今、どんなに粘っても鬼道に勝ち目はないように見えた。





「あれがオーストラリア代表の必殺タクティクス、ボックスロックディフェンスです!」
「へえ、オーストラリアにもかごめかごめってあるんだ」
「ボックスロックディフェンスですよ、さん!」
「そのボックスなんとかってやつ、言うと途中で舌噛みそうだから言いたくなーい。かごめかごめでいいですよね、監督」




 久遠が頷いたことを確認すると、は再び鬼道たちを見やった。
かごめかごめに翻弄され、思うようにボールを支配できていない。
せっかく奪い取っても、パスが上手く繋がらない。
単純なミスが重なると、それは他のどんなものよりも危険なピンチを生み出す。
守備のミスを突かれ先制の1点を奪われ、は久遠を仰ぎ見た。




「みんなを監禁したのはいいですけど、せめて半日はポジショニングの確認させとくべきだったなあとか思いません?」
「私の指示の意味は理解できているということか?」
「そりゃ私、監禁プレイ今回で3回目だからプレイする人の気持ちもいい加減わかってきます」
「はっ、出番が早まりそうだな」
「そうかなあ。不動くん今日はお休みして私とお喋りしてようよ」
サン、ほんといちいち茶々入れんのやめてくんない?」
「多少の連携練習してなくてもボール取って繋げられる人じゃないと無理でしょ。不動くん、まだ鬼道くんと仲直りしてないし他のみんなとも仲良くしてないから駄目」
「虎丸、準備をしておけ」
「はい!」
「ほーらだから言ったじゃん。不動くんお留守番しようよ」
「あんたとことん疫病神だな!」




 久遠が、かごめかごめに苦戦している鬼道になにやらアドバイスにもならないアドバイスを送る。
怪訝な表情を浮かべ久遠への不信感を強めている鬼道を見かね、も久遠の隣に立つ。
試合で頭も体もフル回転させている鬼道に箱の鍵など言っても更に混乱させるだけだというのに、本当にこの監督は人の心中を察するということができないらしい。
少しは監督として信頼されるような行動をしたらどうなのだ。
試合中になぞなぞを出して何のつもりなのだ。
は口元に手を添えると、鬼道くんと呼びかけた。




「ほら、昨日鬼道くん自分のお部屋で扇風機でひらひらやってたじゃん! あれあれ、狭っ苦しいとこで細々動くあれ、私もっかい見たいな!」
「部屋で細々と動くあれ・・・?」




 いつもならありがたいはずのの応援メッセージも、今日ばかりは上手く理解できない。
いったいは何を言おうとしていたのだ。
抽象的で幼い、の可愛らしくて微笑ましいアドバイスについていけない。
いや、そんなことでは駄目だ。
は、自分ならばわかってくれるという期待を寄せて言ってくれたのだ。
他の誰でもない、イナズマジャパンのゲームメーカーにすべてを託したのだ。
鬼道は前日の室内練習を思い出した。
風に揺られひらひらと舞う紙に触れないようにと、細かなコントロール力を磨く練習をしていた。
ボックスロックディフェンスも狭く、そして身動きが取りにくい。
鬼道の脳内で練習とのアドバイスが繋がった。





「そうか、だからも監督も・・・!」




 立ちはだかるビックウェイブスの選手に触れないように細かくボールを捌き、わずかに見つけた隙を突き豪炎寺へパスを回す。
豪炎寺も突破方法を思いついたのか、難なくディフェンス陣を突破する。
これでもう必殺タクティクスは通用しない。
後は点を取りに行くだけだ。
パスを受けた吹雪と豪炎寺それぞれの必殺技は、相手GKによってあっけなく阻まれた。




「体力、スピード、テクニック、戦術の切り替えの速さは素晴らしいですね・・・」
「だよねえ、あっちの監督さん金髪イケメンだし」
「お父さんもかっこいいと思うけど、さんはお父さんみたいな人は嫌い?」
「冬っぺちゃん、ちょいちょい私に監督押しつけてくるのやめてくれる?」
「冬っぺちゃんなんて・・・、冬花って呼んで。私もちゃんって呼ぶから。ねえお父さん」
「そうだ。口答えは一切許さん、ちゃ「そう呼んだらアイアンロッド復活させますから、監督」





 父娘揃って腑抜けたことを抜かす2人を無視すると決め、改めてフィールドへ視線を送る。
かごめかごめが通用しないと見るやMFとDFに選手を交代させたオーストラリア代表の読みの深さに感嘆する。
さすがは世界レベルだ。
ただでさえ体格的にハンデがあるのに更に個人技をかけられてしまっては、久遠の監禁プレイで思うように体を鍛えられていない鬼道たちの方が明らかに分が悪くなる。
激しいタックルを受け足首を押さえ転がった鬼道に、春奈が悲鳴を上げる。
あれは痛そうだ。
ゴーグルで隠れていても、鬼道が痛みを堪えていることはすぐにわかる。
前半が終わりベンチへ引き上げてきた鬼道の足元には座り込んだ。




「鬼道くん、後半お休みした方がいいよ」
「このくらい大丈夫だ!」
「ほんとに? じゃあ足首ぎゅってしていい?」
「・・・今はやめてくれ」
「正直でよろしい。体は大事にしなくちゃ次の試合出れないでしょ、もう」




 ようやく素直に痛みを訴えた鬼道をベンチに座らせると、は後半の指示を与えている久遠の話に耳を傾けた。
頓珍漢なことばかり口にしては反感を買われている久遠だが、こうして円堂たちを前に話している姿を見ると監督らしく見えてくる。
監督らしくできるのならば、初めから監督らしくしていろと言いたい。
そうか、こういうツッコミを入れるのがご意見番なのか。
は自らのポジションを理解した。
そうだ、私がここにいるのは冬花ちゃんにストーキングされるためでも、久遠監督にちゃんと呼ばれるためでもない。
できもしないツッコミを入れるためにスカウトされてやったのだ。
生まれてこの方ツッコミをしたことはほとんどないように思えるが、ここはひとつ不動あたりにツッコミの入れ方を習っておくべきだろう。
本来はマイ親友半田に教えを請うべきなのだろうが、半田に時間を合わせてやるのはなにやら癪だ。
それに、半田にはもっと大事なことを言わなければならなかった。
ほいほい顔を合わせてしまうと、うっかり寂しくなってしまうそうだ。
それに、言ったら言ったでまた叱られそうだし。




「あ、ばれてた!? やっべぇ、あればれてたってよ!」
「はへ!?」




 突然綱海に肩をつかまれ揺さぶられ、は素っ頓狂な声を上げた。
ばれたとは何だ。
いったい何が誰にばれてしまったというのだ。
思わず何がと尋ねると、綱海の代わりに久遠が口を開く。
勝手に外に連れ出されるなお前は誘拐されたがりかと叱責され、ぼそりとうるさい不審者と呟く。
誘拐なら、未遂を含めると既に何度も経験済みだ。
そんじょそこらの女子中学生とは少し違った青春時代を過ごしているのだ。
誘拐されたがりだなんて言ってみろ。
またリアルにどこかに連れ去られそうではないか。




「綱海くん不審者じゃないもん。何よ、監督こそママに見惚れてたくせに」
「・・・それは今言わなくてもいいだろう」
「それに心配されなくても誘拐なら何度もされたことありますうー。不動くんだって実はあれ、駆け落ちのお誘いじゃなくて私を誘拐したかったんでしょ?」
「ほんともうサン黙って。TPO考えて物言って」
「不動、貴様やはり影山に・・・!」
「とにかく! なんかむしゃくしゃするからこうなったら綱海くん、何が何でも必殺技作ろ! 綱海くんの方が海の男っぽいよ、見た目だけなら!」
「よっしゃあ! よくわかんねぇけどやってやろうじゃねぇか! 俺が正真正銘海の男だって思い知らせてやるぜ!」
「そうだよその意気、いっけー綱海くん!」




 いつの間に綱海とはこれほどまでに意気投合したのだろうか。
2人で、というよりも綱海が状況をまるで把握できていなかった当時のを布か何かのように引きずり合宿所を飛び出していったことは知っていたが、
2人きりの間に何があったのだろうか。
綱海は見ての通りノリだけは人一倍いいから、押しに弱く、そして頭もやや弱いが理解する前に事態が進行しているとも大いに考えられる。
綱海のノリに任せてハグされていたりキスされていたり、2人きりをいいことにあれやこれやされていたり。
まさかないとは思うが、相手がと綱海である以上何が起こるかまったく予想がつかない。
豪炎寺たちは、ぽーんと背中を叩かれ勢い良くフィールドに戻る綱海を複雑な思いで見つめた。







目次に戻る