じゃがフルコースができるまで  4







 やっと家に帰ることができる。
長い出張を終え久々の自宅への道のりを歩いていたドイツは、留守中の家がふと不安になり立ち止まった。
兄しか残していない家は、やたらと散らかってはいないだろうか。
またパンダのぬいぐるみだらけになっていないだろうか。
部屋の隅でぐずぐずと泣いて、涙の水溜りなど作ってはいないだろうか。
日夜1人で楽しくビールを飲み続け、部屋中ビール瓶で溢れ返ってはいないだろうか。
戦闘能力が人よりも優れていたせいか、生活能力はお世辞にも高いとは言えない兄だ。
早く帰宅して主に自宅の安否を確かめねば。
ドイツは疲れ切っている体に檄を飛ばすと、急ぎ自宅の門を潜ったのだった。





























 今日は厄介なご主人様がいない。
は心の底から1人楽しすぎる留守番を満喫していた。
言われていた部屋の掃除も料理の支度も終え、後は家主の帰宅を待つだけである。
いっそのことずっと帰って来なくてもいい。
プロイセンが外出してから、何度そう思ったか数えきれない。







「醤油とみりん買ってこいって言ったけどわかったかなー」





 諸事情から外に出ることができないは、買い物に行くこともできない。
そのため、なぜだかプロイセンが持っていた独日独辞典と睨めっこしながら買い物メモを作成し、それを彼に託すことしかできなかった。
新婚さんみたいだなと笑顔で発言された気もするが、そこはあえて無視を通した。
いつどこで式を挙げた。誰が好き好んでプロイセンの嫁になった。寝言は寝てから言え。
ぶつけたい文句はこの他にもたくさんあったが、それらを全て口にしないことによって、プロイセンには孤独という精神的ダメージを与えることができた。
一応、身柄を引き取ってくれたことには感謝しているのだ。
だから大人しくメイドの格好をしてメイドの仕事をこなしているのであり、それ以上の見返りは求めないでほしい。





「明日は肉じゃが、明後日はドイツと3人でバーベキューだっけ?」




 そろそろドイツが出張から帰って来るらしい。
メイド姿の自分を見てどう思うだろうか。
尋問を受けた後、ひとしきり説教を受けることになるだろう。
受けたらきっと、即で日本に帰国できるように取り計らってくれる。
ドイツは自分がいても、家ではプロイセンのことを『兄さん』と呼ぶのだろうか。
『兄さん』と呼ぶドイツは可愛らしいのでぜひ見てみたい。
ドイツの新聞特有の面白い人探し記事に目を通していると、玄関の方でがちゃりと音が鳴った。
昼過ぎに出かけたが、こんな遅くに帰ってくるとは。
もしかして醤油とみりんが見つからなくて、はるばる日本人専門の店にまで買い出しに行ってくれたのだろうか。
だとしたら、ほんの少し彼を見直してあげてもいい。
は玄関に立っている男の元へと駆け寄った。






「お帰りなさいませご主人様ー、醤油とみりん・・・・・・。・・・あれ?」
「・・・、か・・・? なぜここに・・・・・・。いやそれよりも、何だその格好は・・・・・・」
「メイドの格好して『ご主人様』って呼ぶ罰ゲーム、みたいな・・・・・・」





 プロイセンとばかり思っていたためろくに姿を確認せずに声をかけたのが大間違いだった。
はぴしりと固まっているドイツから少しずつ後ずさりを始めた。
これは、予想以上の説教をいただくことになる。
ただでさえ出張帰りで疲れているのに更なる疲労感を味わって喜ぶ人など、どこにもいない。
しゅるり。耳元で聞こえた布が擦れる音には小さく悲鳴を上げた。
恐る恐るドイツの顔を覗き込む。
笑顔なのに目が笑っていない。
待て、その目には聞き覚えがある。そうだ、ドSの瞳だ・・・・・・。
説教どころでは済まなくなるかもしれないと悟ったは、慌ててドイツに制止を求めた。
しかし、何かを言う前にいとも易々と体を抱きかかえられる。
憧れのお姫様だっこと同じ形だが、お姫様気分は全く味わえない。
まずい、ドイツが別の意味で切れてしまった、おかしなスイッチを入れてしまった。
ドSだとは聞いていたが実際に見たことがなかったに、ドSを止めることができるはずがない。
違う、勘違いだから、ごめんねとドイツの分厚い胸板を叩き続ける行為こそ、ドSの心をさらに熱くさせるとも気付いていなかった。






「ごめんねドイツ! ちゃんと説明するから降ろして!」
「『ご主人様』と呼ぶんじゃなかったのか? 言いつけを守らない悪いメイドにはお仕置きが必要だな」
「だからその『ご主人様』はドイツじゃなくて! 痛い、痛い痛いきつく縛りすぎだって!」







 ベッドに転がされ、は思った。
こういうことを流されるがままにされるから、雲の上の実家に拒絶されてしまったのだろう。
普通にやるならまだしも、ネクタイで両手首縛られるようなちょっぴりアブノーマルな行為に手を染めてしまったから、
さすがにこれはいかんと思われて締め出されてしまったのだろう。
ドイツはもっと冷静な人だと思っていた。
たとえ疲れていても、それなりに物事を分析する能力はあると思っていた。
もっと言えば、ドイツはこういうことは滅多な事がない限りしないと思っていた。
人間違いをしてドイツに奇妙な挨拶をした自分が悪いのはわかっている。
しかし、これで何かあったらそれはドイツのせいにしておこう。
ドイツとの様々な経験の後でMに目覚めてしまったら、ドイツを恨んでも恨みきれなくなりそうだ。





「・・・ドイツが多趣味だとは話に聞いてたけど、ほんと私みたいなのでも許容範囲なんだねー・・・」
「・・・、そんなに酷くされたいのか」
「いやそれは困るんで全力でやめていただきたいんですけど」
「メイドならまず、主に対してはそれに相応しい言葉遣いをすべきだ。もう一度しつけ直した方がいいようだな」
「やっ、さすがにそこまではまずいってば・・・、ひゃぁっ「ただいま帰って来てやったぜ!!」





 お、ヴェストも帰ってんのかと呑気な声が玄関から聞こえてくる。
どんなタイミングで帰って来やがった、この男は。
どうやら自分と弟を探しているらしく、あちこち歩き回っているらしい。
ドイツの部屋を開けるのも時間の問題だ、早くどうにかしなければ。




「ドイツ、ネクタイ、これ外して!」
「ヴェスト、よく帰ったな! 聞いて驚け! 今が俺様専属メイドに・・・・・・なって・・・・・・・・・なあぁぁぁぁああぁぁぁ!?」






 ドイツがの手首を拘束しているネクタイを解こうと指を伸ばした直後、バタンと大きな音を立てドアが開かれた。
久々の弟との再会に上機嫌だったプロイセンの声が、途中から絶叫に変わる。
ドイツとを交互に眺め、の手首を見て顔を青褪めさせる。
弟の性癖が少し異常だとは知っていたが、兄の居ぬ間に兄の女に手を出すとは。
しかもいきなり拘束プレイってどれだけ本気だったんだ。
ここは兄の威厳としても男としても、一発か二発殴らなければならない場面なのだろう。
しかし今のプロイセンには、そんな強気な力はどこにも残っていなかった。





「お、お帰りなさいご主人様! ね、ほらねドイツ、私が言ったとおりでしょ!?」
「兄さん・・・・・・、すまない・・・。だが・・・、になんて格好をさせているんだ!?」
「ヴェスト・・・・・・。俺は今までお前に土地も力もたくさんやってきたけど・・・・・・、俺の女までもらうこたないだろ!?」
「私、いつプロイセンの彼女になったっけ? あのね、これは私とドイツのちょっとした可愛らしい勘違いから始まった事故なのよ」
「拘束プレイに発展するやつのどこが可愛いんだよ・・・・・・」






 面倒臭いとはぼそりと呟いた。
弁解をしても信じてくれなさそうな気がしてくる。
どうすればプロイセンの機嫌は治ってくれるのだろうか。
兄弟の仲が悪くなって、また分裂でもしてしまったらどうするのだ。
とりあえずプロイセンの頭を撫でてみる。
聞きわけの悪いやんちゃな子どもはこうすれば大人しくなるし、もしかしたらプロイセンにも同じ手が利くかもしれない。
は根気良くプロイセンの頭を撫で続けた。
意外と触り心地がいい銀髪が気に入って、たまに引っ張ってみたりもする。
むしろ、頭皮を撫でるよりも髪を引っ張ることの方が多くなってきた。





「・・・おい」
「ん? あ、醤油とみりんあった?」
「買ってきてやったぜ。・・・お前、俺の髪の毛全部毟り取る気か!?」





 がしりと腕を掴まれ、プロイセンの頭から手が離れる。
どんよりと落ち込んだ表情ではなくなっているので、撫で続ける作戦は一定の効果をもたらしたと思っていいだろう。
本当に扱いにくい男である。
はプロイセンが床に落とした醤油とみりんを手に取ると、深くため息をついた。
わからないなら電話をすればいいというのに、本当にこの男は。




「こんなにたくさん買ってこられても使い切れないでしょ。常識的に考えて、もうちょっと小さなやつにしてよ」
「お前自分の立場ほんとわかってねぇな。俺様の行動ひとつで日本と拘置所選ばれるんだぞ」
「・・・・・・、兄さん・・・・・・。がこの格好をしていることも含め、包み隠さず話してもらおうか・・・」




 プロイセンとの後ろの空気がぴんと張り詰める。
疲れて帰ってくれば『ご主人様』と呼ばれその気になり、本気でどうにかなるまで滅茶苦茶にしてやろうと腹を括れば兄の帰宅である。
まずここにいるはずのないの存在理由を知る前に様々な事が起こり巻き込まれ、ドイツはどうしようもなく疲れていた。
疲れ、そして苛ついていた。
いくつになってもこの兄は人に迷惑ばかりかけて。
どうせ兄がを困らせたに決まっている。
なんだかんだで兄には甘いと言われがちだが、今日こそはがつんと言ってやらなければ。
オーストリアの家に突然押し掛けて迷惑をかけるな。
フランスと下らない事ばかりするな。
愛しているであろう女性を困らせるな。




「ヴェスト、俺は悪くないんだ、悪いのは全部が・・・・・・!」
「兄さん、早く話してくれないか。はまずそれを着替えに行け」




 弁解時間は5分、説教は1時間。
ドイツの夜は長かった。















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