じゃがフルコースができるまで  5







 早起きなのは年寄りだからではない、習慣だ。
は客間のベッドの上でむくりと体を起こした。
窓を見やると、外はまだ夜が明けきっていない。
これから本格的に太陽は活動を始めるのだろう。
セキュリティの問題かプライバシーの配慮か、それとも単に敷地が広大なだけなのか、ドイツとプロイセンの屋敷の近くに周囲に民家はあまりない。
ドイツはともかく、近所付き合いもろくにできなさそうなプロイセンにご近所さんなんて要らないか。
は早朝から元主人の悪口を考え付き口元を緩めた。
ドイツが帰って来てから、この家は落ち着きを取り戻していた。
ドイツの猛烈な説教に晒されて以来、プロイセンも大人しくしている。
彼はドイツには甘く、そして頭が上がらない男だった。
ブラコンとはこういうことを言うのだろう、少しドイツが可哀想だ。
よくドイツはこんな軽薄な男に育てられここまで立派に成長したものだ。




「昔会った時はもう少しまともだった気がするんだけどなー・・・」




 手早く着替えキッチンへと向かう。
ソーセージとザワークラフトの支度をしながらは当時を思い出した。
法律だか憲法だかを作る参考とするために訪れたのがプロイセンの地だった。
まだ国として生きていた頃の彼はそれなりに立派で、眩しく見えたものだった。
欧米人慣れしておらずしどろもどろだったため彼と口を利いたことはなかったが、世界には多くの美男がいるものだと感慨深く思っていたことだけは覚えている。
時が経ち再び出会った時は当時とのギャップに打ちのめされ、密かに彼を恨みもした。
いたいけな乙女の夢をぶち壊したのだ。
本当に乙女かどうかはこの際気にしない。





「そろそろ起こす時間かな。ドイツー、プロイセーン、朝だよーーー!!」





 勝手に部屋に入ってくるなときつく言い渡されているので、2人の部屋へは入れない。
いかがわしい本やDVDがあっても気にしないのだが、プライバシーを侵害するつもりはさらさらない。
はフライパンの底をお玉でガンガン打ち鳴らしながらゲルマン兄弟の名を呼んだ。




「ドイツー、プロイセーン、あっ、ドイツおはよう!!」
「おはよう。毎日すまない、だがとても助かる」
「お嫁さんにしたくなった? 私絶対にいい奥さんになれると思うんだけどなー」
「・・・そうだな。どうして今日まで結婚していないのか不思議なものだ」
「じゃあ今日からドイツのお嫁さんになっちゃおっかなー」





 一緒にキッチンに立ち料理の手伝いをしてくれるドイツを見上げる。
ドイツの妻になるのは、それはそれで幸せだろう。
マゾ属性の人であれば尚更、彼との時間は天国だとも思えるかもしれない。
先日うっかりそちらの傾向に開発されかけたにとってはほろ苦い思い出だが、ドイツの性癖を差し引いても、彼は良い夫と呼べるだろう。
もちろん彼の嫁になるつもりはないのだが。




「・・・そういう冗談は余所では言わない方がいい。すぐに丸呑みにする連中もいるからな」
「ja! ドイツのお隣の国とか、思いっきり本気にしそうだしねぇ」
「兄さんにも一度でいいから言ってみないか?」
「じゃあエイプリルフールに言ってみよっか」




 一頃の軍人のように元気に返事を返し、なおかつプロイセンを扱き下ろしていると、鍋から味噌汁のいい匂いが漂ってきた。
プロイセンを使い走らせて買ってきたのだから、使わねばもったいない。
日本食を作ればドイツたちも美味しいと言ってくれる。
ジャガイモを作った料理も苦手ではないが、やはり慣れ親しんでいるのは日本食である。
は食生活に関しては極めて自由に生きていた、
それもこれもドイツのおかげである。
ずっとプロイセンと2人で暮らしていたら、今頃ジャガイモでフルコースを作れるようになっていただろう。





「プロイセンまだ寝てるのかな。ドイツ、ここは後は私がやっとくから起こしてきてくれる?」
「わかった。・・・妻というよりももはや母親のようだな」





 それは老けているということだろうか。
はそう尋ねたくなる衝動を必死に抑え、寝坊しているプロイセンの起床を待つのだった。
































 朝食を済ませると、ドイツは決まった時間に仕事に出かける。
出かけるドイツを玄関の外まで見送るのはプロイセンの日課になっているらしい。
ちょっと寝坊しようがヴェストの出発に間に合えばそれでいいんだよと開き直る彼に、は何も言い返す気が起きなくなった。




「プロイセンは仕事行かなくていいの?」
「俺、仕事ねぇもん」
「無職なの? そりゃ私も人の事言えないけどさ。あ、だから『プー』って呼ばれてるんだ」
「ほんとお前、俺に相当根深い恨み持ってんだろ」




 プロイセンは門に凭れかかり大きくため息を吐いた。
恨みはないわけではない。
しかしこれは恨みなどとは全く別問題の話なのだ。
話がどうにもかみ合わず仕方なく家の中ヘ戻ろうとプロイセンに背を向けた時、はプロイセンにおはようございますと声をかけている人物の声を聞いた。
友人がいないことで有名なプロイセンに進んで挨拶をするような人がいたとは。
一体どんな慈愛心溢れる人間だろうか。
いや、人間ではないかもしれない。
人の形をしたゲルマンの神かもしれない。
好奇心を大いにくすぐられ、は再びプロイセンを視界に入れた。





「おはようございますプロイセンさん。今お見送りでしたか」
「そ。あぁ、こいつはあそこの家に住んでる奴。数少ないご近所さんってやつ」
「へぇ・・・。プロイセンご近所付き合いできたんだー・・・」
「あのな、俺は引き篭もりじゃねぇんだよ。むしろ人より喋ってんだからその気になれば1人じゃなくても楽しめるわけ」
「ふーん」




 プロイセンでもできるご近所付き合いをできないわけがない。
は住人へ向き直ると、にこりと笑い会釈した。




「いつもこの人がお世話になってたり迷惑かけてたりしてませんか? ほんとプロイセン、見た目以外は大体駄目で」
「いえいえ、それほど付き合っていませんので・・・。奥様ですか?」
「まさ「どうしても俺様の妻になりたいって上がりこんできたから、仕方なくもらってやったんだよ」
「いや、違いま「そうなんですか!! とってもお似合いです」
「ヴェストにもよく言われんだよ」




 何なんだこの男は。
は勝手に進められている夫婦設定に混乱した。
いつの間にプロイセンはこんな周到な設定を作り上げていたのだろうか。
メイドならばまだわかる、初めの頃は実際にメイド業をさせられていたのだから。
気付かないうちに結婚式でも挙げたのだろうか。
教会へ神社で挙げずともプロイセン国家では、もっとあっさりと結婚の誓いを立てられるシステムがあったのだろうか。
そんなはずはないと、は自分の考えに自分でツッコミを入れた。
得意げに出会った頃の話を聞かせているプロイセンの背中を、は思いきり叩いた。
善良な市民を愚かしい行為に巻き込んではいけない。





「結婚はおろか恋人でもない女の子を勝手に俺の嫁宣言するのやめてくれる?」
「何だよ、こうでも言っとかないとお前がここにいる理由がおかしな事になるだろ」
「1週間ちょっとでいなくなる奥さんなんておかしいでしょ! どうせ結婚設定するんならせめてドイツの嫁がいい」
「は、ちょっ、お前何言ってんの!? ヴェストのことまさか・・・・・・、こないだのアレでMに目覚めたのか!?」
「ご近所さんに誤解されちゃうような変な事言わないでよ、ばっかじゃないの!?」




 あのぅと控えめな声で喧嘩を仲裁され、とプロイセンははっと我に返った。
そうだ、ここは屋内ではなく衆人の目に晒される外、パブリックスペースなのだ。
誰の嫁がいいとかMに目覚めただの、とても人に聞かせられるような話ではないのだ。




「仲がよろしいんですね。本当にお似合いだと思います」
「そうですかー・・・。・・・あぁ、私掃除しなくっちゃ」
「おい、逃げんな!」




 これ以上やっていられない。
は気まずくなった雰囲気をプロイセンに押し付け逃げ出した。






































 仕事に出かけている間に何があったのだろう。
ドイツは決してプロイセンの顔を見ようとはしないと、何を言っても愛情のない返事しか返されず落ち込んでいる兄を見て密かにため息をついた。
今朝は仲良くとは言わないまでも、まぁそれなりの親密度をもって見送ってくれたというのに、明日からどうなるのだろう。
また兄が何か良からぬことをしでかしたのだろうか。
またを困らせ、挙句嫌われるようなことを侵してしまったのだろうか。
本当に不器用な兄である。戦うこと以外、特に対人関係においての彼の能力は著しく低い。
兄の長年続く片思いを成就させてやろうと思いそれとなく手は打っているというのに、本人がそれをぶち壊しては意味がない。
食器を片付けるためが席を立った隙を狙い、ドイツは依然落ち込んだままの兄に尋ねた。





と何かあったのか?」
「結婚するんなら俺よりヴェストの方がいいって言いやがんだ、あいつ」
「・・・何をすればそんな話になるんだ?」
「近所の奴にを俺の嫁だって紹介したら、がすげえ怒って」





 それはでなくても、例えばハンガリーであっても怒るだろう。
肉体的制裁がなかった分だけ幸せだと思うべきである。
がここに滞在している理由にしても、もう少しましな誤魔化し方があっただろう。
本を執筆したりブログを更新したりしているというのに、なぜよりにもよって結婚していることにしたのだろうか。
そこまで兄は飢えているのだろうか。
焦りは禁物どころか致命傷になるとわかっているのだろうか。
あと100年程は腰を据えてかからねばならない相手だということに、まだ気付いていないのだろうか。
しかし、である。
自分の名前を出さずとも、そこは日本でもイタリアでもこの際フランスでも良かったはずだ。
兄が聞いておそらく最も衝撃を受ける相手である自分を引き合いに出さずとも良かったというのに、なぜこの女神は事あるごとに兄の急所を突いてくるのだろうか。
2人の仲が悪いとは思っていなかったが、ひょっとしたらは昔からずっと兄のことを嫌っているのではないか。
そう思えてもくるあまりにも残酷な仕打ちに、ドイツは兄にわずかばかりの同情をした。





「ヴェスト、俺、いい加減諦めた方がいいのか? 俺よりヴェストの方がって、そこフランスにしてくれた方がまだ傷つかなかったぜ・・・」
「・・・・・・なんだか、すまない兄さん」
「いいや、お前は悪くねぇよ。悪いのは俺がかっこよくて素晴らしすぎるところに気付かないだよ」




 悪いのはどんなに酷い目に遭わされても、それでもどこかしら自惚れている兄である。
気付かせた方がいいのかもしれないがそうとは言えないのが、ドイツの優しさだった。














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