おひさまの道  3







 性格がひん曲がった南蛮人が髪飾りを海に向かって放り投げて小さな音を上げて沈むまでの間、私の周りの時間がとてもゆっくりと動いてるような気がした。
体の内側からじわじわと熱くなる。あれを今すぐ拾いに行かなくちゃ。
怒りと屈辱とで我を見失いそうになる。
それでもいいと思った直後、私は猫を被るのをやめて本気になった。





「何しとんの、あっちの子連れて来て! 俺ら人攫いしに行ったんやないんやで!?」
「・・・・・・いよ・・・、今すぐその腕を放しなさい!!」






 あぁ、力を使ってるから彼らの言っていることもよくわかる。
でも、そんなのどうでも良かった。
私の変化に気付かずに、下卑た笑みを浮かべたままの男の手を振り払う。
神の力を持ってすれば人間なんて赤子も同然。
好戦的ではないし戦いなんてまっぴらだけど、大切なもののためならなんだってやる。
たとえ今から私が取りに向かうそれが、私へ向けられるものでなくても大切な日本さんのものならば。






「あれ、お嬢さん陸で会ったよな?」
「海の神様、あなたの世界にお邪魔します!」







 朗らかな男の声を無視して私は海に飛び込んだ。
大丈夫、同業者に手伝ってもらえばきっと見つかる。
神様に助けてもらうから、息が苦しくなったりもしない。
その気になればこのまま日本さんの所に帰れるかもしれない。
私は暗い海の中でもきらめいているであろう髪飾りを、神様の力借りたり使ったりして探し始めた。





























 戦場は混乱に陥っていた。
やっとの思いで誘き寄せた少女が入水自殺を図ったのだ。
いや、図ったどころか本当に、何の躊躇いもなく海底に沈んだ髪飾りの後を追うように海へと消えた。
彼女の宝物らしい髪飾りを捨てればショックで大人しくなると踏んでいたのに、とんだ誤算だった。
そして何よりも、事がばれてご立腹の船長が怖い。
普段にこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべてばかりだからか、怒った時はものすごく怖い。
新大陸に行っている時の彼は鬼のようだと、いつだったか友人から聞いたこともあるくらいに。





「今すぐ船停め言うとるやろ!」
「な、何しはるんですかスペインはん」
「あの子助けに行くに決まっとるやろ!? 俺らんとこで珍しい東洋人やからって勝手に連れて来て勝手に死なせたらあかん!」






 スペインは少女の後を追うべく海に突入した。
こんな暗い海の中に1人いるというのか。
彼女と会ったような、太陽が暖かく照らす陸にいる方が似合うというのに。
きっと、貿易の意味を取り違えている柄の悪い男たちに、何か相当頭にくることをされたに違いない。
言葉も通じない屈強な男たちに囲まれ訳もわからない国へと攫われ、どんなに怖い思いをさせただろう。
自宅で一緒に住んでいる、少女と同じくらいの年恰好の彼ならば泣いているかもしれない。
彼女は泣かなかっただけ偉いのかもしれないが、しかし、海に飛び込むのはいけない。
自分のような国の身ならともかく、人間はあっという間に死んでしまう。






(あの子、なんで飛び込んだんやろ)






 スペインは目を凝らして海中を彷徨った。
黒い髪は海の色と混同するので見つかりにくい。
もしや、もうこの深い海の底に沈んでしまったのかと絶望的な考えに至ったりもする。
どんなに探しても見つからない少女に諦めかけた時、スペインはどこから微かに声のようなものが聞こえてくることに気がついた。
海で言葉を発することなどありえない、けれどもそれは確かに言葉のように聞こえた。
おとぎ話に出てくるような人魚がいるとでもいうのだろうか。
スペインは一度海上へと上がると、酸素を肺いっぱいに取り入れて再び、今度は声のする方へと慎重に向かった。






「・・・った、あった・・・! ありがとう・・・、海の神様!」
『今では少なくなってしもうた同類じゃ。見捨ててなどおけるものか』



(おった、あの子や!!)






 スペインは海中に漂っている細い体を引き寄せた。
何事かとこちらを振り返った少女の顔が強張る。
背中から腕を回している自分の体を引き剥がすべくもがく体を、スペインは更に強く抱き締めた。
ここで離してしまったら絶対に後悔する。
せっかく、死んだかもしれないと思っていた少女を見つけたのだ。
再び彼女を海中で孤独にさせてたまるものか。
スペインは、少女の国の服なのか、ひらひらと海中を踊る袖の広い服に苦戦しながらも必死にしがみついた。
腕の中で暴れていた体から急に力が抜けた。
長らく海中にいたせいで、息が続かなくなったのだろう。
スペインはぐったりとした少女を横抱きにすると、真っ直ぐ海上へと上がって行った。



























 頭がぼんやりする。
海の神様に助けてもらって髪飾りは見つかった。
それで、このまま日本さんの家の近くまで案内してくれますかって頼もうとしたら、いきなり誰かが私を捕まえに来たんだ。
神様同士の空間にそうでない人物が入ってきて、更に触られたもんだから海の神様の力が届かなくなった。
あれ・・・? 私それからどうなったんだろう。
誰かに雁字搦めにされそうになるのが嫌で、捕まるのが怖くて必死に抵抗してたはずなんだけど。
まさか、そのままあの忌まわしい南蛮船に連れ戻された?







「・・・髪飾り!!」
「あ! 目が覚めたんだな、良かった!」






 せっかく取り戻したあれがまた奪われてたらどうしよう。
はっとして叫ぶと、それと同じくらい大きな声で何か言われた。
視界に入るのは褐色の肌に緑色の瞳を宿した若い男の人。
この人どこかで見たことある気がする。
・・・そうだ、中国殿の市場でぶつかった南蛮人だ。






「話は全部あいつらから聞いた。・・・本当に悪いことをしたと思う。怖かっただろう?」
「・・・なんて言ってるのかわかんない・・・」





 力を使ってた海に飛び込む前だったら、この人の言ってることもわかってた。
声からして、飛び込む直前に男たちを怒鳴りつけてたのはこの人なんだろう。
でも、やっぱりなんて言ってるのかはわからない。
何か食べるかぐっすり眠らないと、体が本調子に戻ってくれない。
男性は私の言葉聞いてちょっと笑うと、自分を指差してゆっくりと口を開いた。






「俺の名前はスペイン。ス・ペ・イ・ン」
「すぺいん・・・・・・。・・・私は、






 向こうも私の言ってることはわかんないんだと思う。
でも、とりあえずは名前だけでもってことなのかな。
私がここにいるってことは、たぶんほんとに遠く南蛮に連れて行かれるってことだろう。
もう日本さんのところには帰れないのかな。
どのくらい向こうにいることになるんだろう。
中国殿は、ちゃんと伝えてくれたかな。
急に不安になって俯いてると、スペインはそっと私に何か握らせた。
しゃらりと音を鳴らすそれは、私が必死の思いで取り返した銀の髪飾りだった。






「これ・・・・・・!!」
のだろう? 綺麗な髪飾りだな、絶対に手放したらいけないぞ」
「・・・良かった、ほんとに、ほんとに、良かった・・・・・・!!」






 髪飾り見てたら、我慢してた涙が溢れてきた。
取り返せて嬉しいはずなのに、次から次に涙がぼろぼろ出てくる。
泣いてる私見て、スペインが静かに部屋を出て行く。
これから右も左も、飛び交う言葉すら力使わないとわからない土地に行く。
どこを見ても知るものなどないであろうかの土地で私が縋るものは、このとても繊細な装飾品ただひとつだった。













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