恋人は天使か悪魔          11









 後悔してもしきれない。
趙雲は自己嫌悪に陥っていた。
どんな事情があったにせよ、戦場から無事に帰還し疲れ果てている恋人に手を上げるなど、してはならなかったのだ。
予想外の場所で予想外の人物と再会したことで、気が動転していたのだろう。
しかし、そんな言い訳では取り返しがつかないくらいに非道なことを犯してしまった。
嫌われても仕方がない、それどころか恋人失格である。
馬岱が烈火のごとく怒るのも当たり前だった。
彼にも悪いことをしてしまった。
ああいう人間は笑顔で毒吐くような性質だから、これから先ねちねちと文句を言われ続けてしまうかもしれない。
今の趙雲には、それに対抗できうるだけの気力はなかった。





「・・・謝罪と見舞いに行こう・・・」




 趙雲は、馬超軍団の鍛錬場へと重い足取りで向かい始めた。





































 馬超は槍を振るっていた。
槍をしごき敵軍の兵を蹴散らすのが馬超の仕事である。
の仕事は、戦場に出た自分や馬岱などの無事を家で祈ることだった。
知らぬうちに彼女の仕事場が戦場に変わり殺されかかっていたことに、馬超は怒りを通り越して悲しみを覚えていた。
あんな小娘まで戦場に駆り立てねばならないほどに、劉備軍は人手が足りないのか。
俺がもっと奮起すれば、は戦場に行かずに済むのか。
たった1人の可愛い妹の命が懸かっているというのに、馬超が彼女のためにできることはあまりにも少なかった。
妹の生殺与奪権を握っていたのが家族でも恋人でもなく諸葛亮だったことが悲しく、悔しかった。





「馬超殿」
「おぉ、よく来たな趙雲殿」




 浮かない顔で現れた趙雲を見て、馬超は槍を壁にかけた。
先日戦場で見たときとは全く違う表情である。
あの時は頭に血が昇っていたのか鬼のような形相をしていたが、日数が経ったことで冷静になれたのだろう。
趙雲は馬超の前に来ると、猛烈な勢いで頭を下げた。





「ど、どうしたというのだ趙雲殿。腹でも痛むのか!?」
「いいや違う・・・! ・・・この間、殿を殴ってしまった・・・、申し訳ないことをしてしまった・・・」
「あぁ、そういえば岱がそんなこと言って荒れていたな」





 たいして怒っていない様子で気にするなと口にした馬超に、趙雲は拍子抜けした。
そのことも兼ねて呼び出しを受けたのかと思っていた。
あのときこそ落ち着いていたが根は熱い男なので、『俺の妹に何するんだ』とか因縁つけられて決闘するかと思っていたのに。




「俺は2人の事を認めているわけではないが、2人の間には余計な干渉はしたくないからな。それに・・・・・・、殴りたくなる気持ちもわからんでもない」
「だが、女性に手を上げることはやはり許されないことだ。・・・殿も怒っているだろう・・・」
「さぁな。大人しく養生しろと言ったらその通り引き篭もっているようだし、趙雲殿には会いにくいだろうな」





 相手の心中を思いやることなくあっさりと事実を言ってのける馬超に、趙雲は全身から力が抜けた。
大人しく家にいろと言ってもなんだかんだで脱走を図りかねない彼女が、本当に外に出ないのだ。
それほどまでに会いたくないのかと、泣きたくなるほどに悲しくなってくる。
馬超は趙雲の落ち込みようを見て眉を潜めたが、すぐにそんなことは問題ではないと告げ、彼を真っ直ぐに見つめた。





「一応俺はに味方だからな、弁明はしておかねばならん」
「何を?」
は望んで戦場に行ったのではない。諸葛亮殿に連れて行かれたのだ」





 出陣前姿が見えなかったのは衛生兵の養成所に入れられていたからだと、馬超は淡々とした口調で話した。
馬超も、初めて諸葛亮から聞かされた時は驚いたものだ。
妹のどこを見て衛生兵にふさわしいと思ったのかと、疑問をぶつけもした。
信じられなかった。
妹が流浪生活の間に独学で身につけた根拠も何もない薬草学に目をつけられたなど。
あんな効果があるかどうかもわからない薬を塗られて、症状が悪化したらどうするのだ。
慎重派の諸葛亮らしからぬ大胆な人事に、馬超は何も言えなかった。





は当然拒んだらしいが・・・・・・。は俺に似て正義感があり、そして少し諸葛亮殿を苦手としているからな。無理やり俺たちから引き離された」
「・・・・・・実は殿と一緒にいた時に、殿と諸葛亮殿にお会いしたのだ。かすり傷を負った子どもに何かを塗っていた殿を見て、諸葛亮はやけに興味を示されていた・・・」
「おそらくその時からだろうな。・・・まったく、面倒なことだ」





 難しい顔をして腕を組み座り込んだ馬超につられるように、趙雲も腰を下ろした。
嫌な予感がするんですよと当時の彼女は言っていたが、それが現実になるとは思いもしなかった。
女の勘というものは侮れない。
もっとも、彼女の場合は若干身に迫る危険を野生の勘で察知した気がしないでもないが。





「諸葛亮殿は何と?」
「洗いざらい話した内容を全て月英殿に聞かれ、酷く叱られているそうだ。しかし、手を打っておく必要はある。俺には難しいが」
「なぜ馬超殿では無理なのか? 身内からの反対が一番だろうに」
「言っただろう、俺も岱も諸葛亮殿は苦手なのだ。上手く丸め込まれかねん」
「では私が口添えしよう。殿には確実に嫌われてしまっただろうが、せめてもの償いだ」





 任せてくれと胸を叩く勢いで宣言した趙雲に、馬超は少しの不安を残しつつも頼ってみることにした。






































 馬超にはその場の勢いで大見得を切った趙雲だったが、実際は上手く口添えできるかどうか不安だった。
特別諸葛亮が苦手というわけではないが、相手の方が自分たちよりも数倍は口達者なので、うやむやにされてしまう可能性もあった。
しかし、今回は大切な(元)恋人の人生が懸かっているのだ。
ちょっとやそっとの反論で屈していい状況ではなかった。
奥方には頭が上がらない案外可愛いところもある彼だから、きっと突破口はあるはず。
趙雲は見え隠れする諸葛亮の弱点を見逃すまいと、一騎打ちの時と同じ気合いで諸葛邸を訪ねていた。
隣に座る馬岱の視線が刺すように痛いが、これは自業自得なのでひたすら耐えるしかない。





「従兄上、なぜ趙雲殿もいらっしゃるんですか」
「2人よりも3人だ。それに趙雲殿の方が俺たちよりも上手い事を言えそうでないか」
「従兄上はいいと思ってるんですか!? 趙雲殿は私たちのに手を上げたんですよ!?」
「お前もやんちゃしていた頃には、恋人に手どころか色々やっていただろうが。それには俺たちの所有物ではない」





 馬岱の過去に何があったのかは知らないが、途端に大人しくなった彼を見て趙雲は苦笑した。
が、笑っているところを馬岱に睨まれ肩を竦める。
どうやら本格的に敵と認定されてしまったらしい。




「お待たせいたしました。・・・本当に皆さんお揃いで・・・」





 少々やつれた面持ちで現れた諸葛亮を前にして、3人の男たちは一様に顔を引き締めた。








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