Please take my hand, princess!     7







 好きだった。
本当に、本気で愛しいと思っていた。
権力に目が眩んだわけではなく、ただ純粋にの人となりに惹かれた。
まるで、初めて恋を知った少年のようにを視界に入れれば胸をときめかせていた。
曹操や夏侯惇と仲良く談笑する姿を見かければ、その柔和な笑顔に胸を高鳴らせた。
鍛錬場で熱心に剣を振るう姿を見れば、あまりに危なっかしい手つきにどきどきしていた。
親しい仲なのか、夏侯淵の子息と話している時は軽い嫉妬に苛まれることもあった。
心を和ませたかと思えば掻き乱し、そして踏みにじった公主、いや、を今組み敷いている。
意図を把握したのか、猛然と抵抗を始めたの体を張遼は片手で押さえつけた。
どこで覚えたのか、はしたなく振り上げる両足の間に体を滑り込ませるとの顔にぱっと赤みが差した。






「おやめ下さい、張遼殿!」
「では、私と共に帰って下さいますか?」
「・・・嫌、です」
「なれば仕方ない」





 やめてと呟くの声には耳を貸さず、張遼は細く柔らかな肌に顔を埋めた。
戦場に出て戦っているというのに傷ひとつついていない白い肌は、こちらでも恵まれた生活を送っているということを伝えてくる。
孫権軍に囚われの身となり家畜同然の扱いを受け、戦場へ囮代わりに置き去りにされたという考えはただの空想だった。
しかし張遼は想いを封じることはできなかった。
封じるつもりもなかった。
こちらでを養っている、が惚れ込んだ男のことが許せなかった。
いつと出会ったというのだ。
生まれも国も違う、何の係わりもないはずの男がなぜの心を射止めたのだ。
共に会話を重ね、鍛錬をし、護衛の任まで務めたというのになぜこちらには振り向かなかったのだ。
国や父、家族を裏切り乱世にあるまじき行動を取ったのことも許せない。
想われているということに気付かず、一途に恋い慕う男の元へと走ったが憎く、そしてそれでもなお愛おしかった。






「やめ・・・っ、い、嫌っ・・・!」





 抗い続けるの滑らかな肌に手を這わせると、の体が大きく跳ねる。
羞恥と怒りと感情の昂ぶりから溢れ出た涙を掬おうと手を伸ばすと、駄々っ子のように顔を背けられる。
触らないでと呟く声は弱々しく今にも崩れてしまいそうで、凛とした公主の面影はどこにもない。
強がっていても、どんなに大人びていても、所詮はただの守ってやらなければ生きていけない娘なのだ。
武器を振るう必要などどこにもないのだ。
大人しく主の帰りを待ち太平の世の到来を願う、そんなでいいのだ。
それにも今回のことで身をもってわかったはずだ。
乱世も男も甘くはないという冷酷な現実に。
張遼は、突然我が身に降りかかった災難に衝撃を受け放心状態になり、何の抵抗もしなくなったの体を抱き起こした。
まだ間に合う。
男を知らないなら、今からでもまだやり直せる。
何も間違っていない。
張遼は物言わぬを黙って見下ろした。





「おわかりになりましたか公主、いえ、様。あなたはここにいるべき方ではない」
「・・・・・・さ、ま・・・」
「非道なことをしたと私を詰るおつもりかもしれませんが、謝るつもりはありません」
「そりゃそうだ、謝ったくらいで済むもんじゃないからねぇ、これは」






 死んで詫びろ。
鬼のような殺気を間近で感じた張遼は、を片腕に抱いたまま鉞で両節棍の強襲を受け止めた。
ああ、この男がを奪い取った許しがたい下衆か。
張遼はを地面に横たえると、振り向きざまに鋭い一撃を放った。
これものためだ。
少し酷かもしれないが、男は葬ってしまおう。
張遼は突如乱入してきた、全身に殺気を纏った男をひたと見据えた。





「そなたが公主を拐したのか」
に、何を、した」
「公主は、様は私の妻となるべきお方だ。あの方は私のものだ」
は物じゃないっての!」





 を救出するために駆けに駆け、所々灰と化した本陣へ辿り着いた凌統が見た光景は凄惨なものだった。
戦った末に敗れ、そして抗ったのか地面には無造作に剣が転がっている。
おそらくは張遼と思しき敵将の腕の中には、ぐったりをしているがいる。
捜し求めていた愛しい娘の着衣が乱れている姿を見た凌統の脳内に、様々な感情が一気に駆け巡った。
目の前で父が殺された時と同じくらいに全身が熱くなった。
殺してやる。殺さなければ気が触れてしまいそうだ。
凌統の中で、辛うじて保たれていた心の安定を支える何かが音を立てて切れた。






「怒りで周囲が見えていないのか。公主はなぜ、そなたのような男を認めたのか」
の名を口に出すな!」
「公主を我らから奪った人攫いが何をほざく!」
「それを言うなら、あんたはただの暴漢だ!」





 人攫いは、が嫌がることは決してしなかった。
厳しすぎる制約も守った上で愛を育んできた。
そうだというのにこの男は、の許婚だか何か知らないがが嫌がることを平然とやってのけている。
鬼はどちらだ。
はあんたに、こちらへやって来てもなおあんたのことを案じていたのにどうして彼女の思いを踏みにじるようなことをする!
凌統の両節棍と張遼の双鉞がぶつかり合い、激しい火花を散らした。







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