リムルダール 3
一度は訪れたことがあるとはいえ、思い出はあまりにも少ない。
来たくて来たわけでもなく、滞在している時間のほとんどが意識不明でベッドの中で過ごしていたのだから、覚えているはずもない。
ライムはかつて泊まっていた宿屋の一室を再び訪れ、今はもう街の誰もが覚えていない賢者の面影を思い出していた。
ガライはもちろんここにはもういない。
塔で姿を消して以降、どの町に寄っても彼の消息を聞くことはできない。
竪琴の在り処もわからないが、あれはできれば持っていてほしくなかった。
ライムはメルキドの探索と聞き込みを終え宿に戻ってきたリグとエルファに、どうだったと声をかけた。
「何か面白いものはあった?」
「みんな、あまりにもやる気がなくてこっちの気分も落ち込む」
「どこの町の人たちよりもゾーマを怖がってるみたい。ここの人たちはずっとこうして生きてきたのかな」
「城塞はすごく立派だろう。メルキドは職人気質の人が多くて、魔法道具の研究も盛んだ。元々は意欲ある人が多かっただけに、ゾーマの勢いに打ちのめされたショックは大きいんだ」
「ああ・・・、私だってネクロゴンドじゃ絶望したもん・・・」
「毎日戦ってるエルファだってそうだったんだ、武器を取らない住民についてはまあ、わかるだろ」
メルキドの人々が怯えた暮らしをすることすらゾーマの思うつぼだからやめろとは、さすがに言えない。
言って奮起するのであればとっくにできているし、神殿に街の精神的支柱がいてもなおこの有り様なのだ。
なんとかしてやれるのは自分たちしかいなかった。
「そうそう、街の神殿の長老の話を聞いてきたんだけど、バースと同じこと言ってたよ」
「太陽の石、雨雲の杖、聖なる守り。でも俺らはまだ聖なる守りしか持ってない」
「太陽の石だろ? 杖は当てがあるけど石は俺もどこにあるかわかんないだよなあ。うちにはなかったし、見たって話も聞かないし」
「ちなみに杖はどこにあるの?」
「これから行くエルフのとこ。彼女たちが他の人に渡してたら持ってないけど、人間嫌いのエルフがそうほいほいとお宝を他人に渡すなんてないだろうし」
「それって、俺らにくれるかもわかんないってことじゃないか?」
「大丈夫だろー、俺もいるしリグは聖なる守りも持ってるし」
勇者ではないが、ゾーマを倒して初めて勇者と認められるのであれば先行投資として提供していただきたい。
バースは不安げな表情を浮かべているリグの方をぽんと叩くと、自分にも言い聞かせるように大丈夫大丈夫と呟いた。
人間を愛するエルフ、もしくはエルフに愛された人間というのはこの世界にいったい何人いるのだろうか。
リグたちが姿を認めて早々人間は嫌いよとのたまったきたエルフに、苦笑いを浮かべていた。
言われるだろうとは覚悟していたが、面と向かって実際に言われるとやはり傷つく。
バースはぷいとそっぽを向いた年若く見えるエルフをまあまあと宥めながら、奥の階段を指差した。
「主様は今日は?」
「あなたは兄君、それとも弟君? 都合のいい時だけ現れるなんて、やっぱり人間って薄情ね」
「弟の方です。というか兄のことあなたたちは忘れないんですね、ちょっと変な気分です。人間たちはもうほとんど俺には兄はいないって思ってて」
「だって兄君はあなたの兄君だけど、私たちにとってはそうではないもっと別の人ですもの。まさかあなた、なんにも知らないの?」
「生憎兄弟仲がすごーく悪くてですね・・・」
アレフガルドでラダトーム王家よりも歴史が古いとも言われる超名門一族のバースが、エルフ相手に苦戦している。
入口からこの体たらくで、この先無事に雨雲の杖を渡してくれるのだろうか。
必死に面会交渉を続けるバースの後ろでひそひそと囁き合っていたリグたちに、エルフがあらあなたと不意に声をかける。
今度は何を言われるのやら。
ぴしりと身を固くしたリグは、何かとぎこちなく問い返した。
「あなた、オルテガに似ているのね。人間は嫌いだけどオルテガは好きよ。きっと大魔王も倒してくれるわ」
「オルテガは俺の父です。そっか、俺、父さんに似てきたのか・・・」
「オルテガの方が逞しかったけれどもそう・・・、あなたがオルテガの息子なの。いいわよ、そういうことなら主様に会わせてあげる。ついてらっしゃい」
バースよりも聖なる守りよりも、オルテガが強かった。
リグたちはようやく通れた大広間の奥に佇む女性の姿に、ほうとため息をついた。
闇に閉ざされているはずの世界なのに、彼女の体からは淡い光が溢れている。
柔らかく温かな光に恵まれているためか、足元には色とりどりの花も咲いている。
まるで楽園みたい。
思わずそう呟いたエルファの声が聞こえたのか、女性がこちらを振り返る。
そして小さく微笑むと、緩やかな足取りでリグの元へ歩み寄り手を取った。
「ついにここまで来てくれたのですね・・・」
「・・・えと、俺は、あなたを知っている?」
「夢で呼びかけたことは幾度か。私はその昔、ルビス様にお仕えしていエルフです。・・・不安でした。勇者ではないあなたに勇者を背負わせてしまったこと。
ですがリグ、あなたはこうしてここまで来てくれました」
「・・・・・・え? 今、何て? 俺が、勇者じゃ・・・ない?」
「あ、いやリグ、待っ「お前には訊いてない。えっ? 俺、勇者じゃないんですか?」
「ええ。あなたは勇者ではありません」
「リグ違うんだ、ちが「バースは黙ってろ! ・・・俺は鎧も盾も装備できた。そうだってのに俺が勇者じゃないって、本当に? アレフガルドジョークとかじゃなくて?」
「これほどまでに悲しい嘘をつく必要がありましょうや。古の勇者の証を身につけることができたのは、あなたが勇者に近い存在だからでしょう。
ルビス様の加護も受けているあなたは今、もっとも勇者に相応しい者といえましょう」
近い、相応しい、けれども決して勇者ではない。
今までずっと勇者だと言われていたし、自身も勇者として生き戦ってきた。
勇者でなくても戦っていたとは思うが、勇者だからと言い聞かせてきたことが力の源にもなっていた。
ルビスに仕えていたほどのエルフが見間違えるとは思えない。
しかも、バースはどうやら事実に気付いていた節もある。
リグはエルフから手を離すとライムとエルファを見やった。
目をいっぱいに開いて口元に手を押さえ何かを懸命に堪えているエルファとは対照的に、ライムは小さく頷くと目を閉じた。
きっとライムは知っていたのだろう、バースは相談していたのかもしれない。
リグは抑えることができなかった震える声で、本物の勇者はと尋ねた。
わかりませんと答えるエルフに、手がかりはと再度尋ねる。
それすらゆるゆると首を横に振るだけの彼女の前で、リグは苦しげに顔を歪めると俯いた。
「リグ、聞いて下さい。今のあなたは勇者ではありません。けれども私は信じています、あなたが勇者になるのだと」
「勇者じゃない俺でもゾーマと戦えるのか・・・? おれはどうすればいい?」
「ここまでやって来たあなたの勇気は立派なものです。私はルビス様と同じようにあなたを信じています。私の想いを込め、あなたにこの雨雲の杖を授けましょう。
どうかルビス様のためにも、この世界を救って下さいませ」
「・・・勇者は、ひょっとしたらゾーマとの戦いに合わせて来るかもしれないんだ? だったら俺は勇者のためにやれることはやる。
虹の架け橋だって作ってやる。太陽の石も見つけておく。そして・・・、勇者と一緒にゾーマを倒す」
それでいいんだろ、今のところは。
リグは雨雲の杖を受け取ると、今にも倒れそうな顔色のバースに冷ややかに言い放った。