時と翼と英雄たち

サマンオサ    10





 ボストロールに隙をつかれ宙吊りにされたライムは、痛みに顔をしかめた。
頭上から下卑た笑い声が、地上からはハイドルの叫びが聞こえた。
ここまで高く持ち上げれては、さすがのハイドルも助けようがないはず。
ボストロールの腕を切断するなど、まずありえないことなのだ。





「ライムがいるから呪文唱えらんねーよ・・・」




 バースはボストロールを攻撃することができない悔しさに端正な顔を歪ませた。
あの地響きは防ぎようがなかった。
捕らえられたのがたまたまライムだっただけで、自分が宙吊りになっていてもおかしくはなかった。





「このままこの女をぶん投げればどうなると思う、おい」



 食っちまうのもいいかもなと笑い声を上げるトロルを、ライムはきっと睨みつけた。
こんな化け物の栄養になんてなりたくない。
壁に向かって放り投げられて潰れてしまう方が、どんなにほっとするだろうか。
ライムはちらりと下を見た。
ハイドルがじっとこちらを見つめていた。
目が合うと、何やら神妙な顔で頷かれた。
かと思うと、ハイドルはライムから視線を逸らしトロルに向かって走り出した。





「ハイドル!? 何やってんだ、突っ込んだら危ないって!」


「ハイドル、あなた何を・・・!」

「貴女を守りに、ライム」






 ハイドルの剣が鋭くきらめいた。
ライムの頭上で何かが切れる音がし、急に痛みが引いた。
何が起こったのかわからないままに暖かな腕に包み込まれる。
トロルの腕などではない。
心地よい、思わず抱きつきたくなるような温もりだった。





「すまない。責任は取るから、今は怒らないでほしい」




 ハイドルはライムを抱き締めたまま地上へと落下した。
背後からトロルの魔の手が迫ってくる。
あと少しでハイドルに届くというところで、大爆発がトロルを襲った。




「2人とも、いちゃつくのは戦い終わってからにしろよ全く!!」


「ご、ごめんバース!!」





 荒い息を吐き額に汗を浮かばせているバースに向かって、ライムは思わず謝った。
あんなに巨大な爆発を起こせるのはバースしかいない。
エルファが得意としているのは回復呪文や真空呪文だし、そもそも彼女はまだリグを介抱しているはずだ。
ライムはハイドルから離れると、再び剣を構えた。
次はもうヘマをしない。
地震が起きようが天井が降ってこようが耐えてみせる。







「これで全員準備はできたな、ライム、ハイドル」




 ライムの隣にリグがやって来た。
エルファの処置が良かったのだろう、外傷はほとんど見られない。
リグは先程受けた攻撃にかなり怒っていた。
人を何だと思っているんだ。
業火に身を焦がされるよりもある意味きつかった。
腕か足が1本ぐらい抜けたかと思った。
内臓が潰れて使い物にならなくなったかと思った。
これだから脳みそまで筋肉でできている奴は嫌いなのだ。
加減というものをまるで知らないのだからやっていられない。





「エルファ、ある程度スクルトかけ終わったら攻撃呪文唱えてくれ。バースはひたすら魔力使ってろ」


「なぁ酷くね、俺への言い方。・・・まぁ、言われなくても使うけどさ」





 バースが言い終わるか終わらないかのうちに、トロルの頭上を氷柱が襲った。
トロルに直撃するものもあれば、周囲に突き立ち動きを制限する役割を果たす氷柱もある。




「リグー、お前たまにはライデインとかの練習すれば?」


「加減間違ったらみんな感電死するぞ」


「大丈夫、マホカンタするから」





 身動きが取れなくなったトロルをリグたちはどんどん切り裂いた。
バイキルトで増強された肉体から繰り出される攻撃は、確実にトロルの体力を奪い取っていく。
初めのうちは脅威だったトロルの反撃も、守備力を上げたおかげで吹き飛ばされても戦線離脱するほどの痛みは感じなくなっていた。




「ライム、ハイドル下がってろ。ちょっとライデイン唱えてみるから・・・」





 バースが気を利かせて出して程よく溶かしてくれた氷柱と電撃が合わされば、トロルの息の根を止めることができる。
リグは精神と集中し始めた。
初めてまともに唱える。
練習は一応してきたつもりだ。
この、勇者と名乗る者しか唱えることができない天の雷撃にリグは憧れていた。
同じ勇者の息子であってもハイドルには使いこなすことができないこの呪文を唱えることに、リグは少なからず誇りを持っていた。
そして父も使っていたというかの呪文を、早く自分のものにしたかった。





「・・・天の裁きを悪しき者に、・・・ライデイン」







 ボストロールの巨体が跡形もなく消え去った。


































 サマンオサに平和が戻った。
外に出て歌い踊り、涙を流す人々にリグたちは顔を綻ばせた。
本物のサマンオサ王も地下牢から救出され、国王として再び玉座に就くようになった。
幽閉生活が長かったため体が弱ってはいたが、時が経てばまた元気になるだろう。






「ほんとに良かったねー、サマンオサの人たちすごく嬉しそう」


「・・・そうね」


「に、似合ってるよ! 髪の毛切ってもライムは美人のまんまだよ!?」


「切ったんじゃないの、切られたの」





 ライムはラーの鏡に映し出された自分の顔を見てため息をついた。
戦いの時に聞いた何かが切れた音とは、自分の髪をハイドルがばっさりとやった音だったのだ。
助けられた時に囁かれた『すまない』という言葉は、髪を勝手に切ってごめんという意味だったのだ。
髪が短くなっていたことに、ライムは激闘が終わって初めて気が付いた。
道理で頭が軽かったわけである。





「いいじゃん別に。似合ってんだからそんな顔するのやめろよ」


「馬鹿だなぁリグ。女にとって髪は命。俺だってエルファの髪が切られたらと思うと、そんなことした奴にザラキ唱えたくなる」


「バース!? せめてメラミとかにしようよ!?」


「・・・・・・。俺はその場面見てないからなんとも言えないけどさ、ハイドルだって仕方なくだったんじゃねぇの?
 それにさ、顔の割には嫌だって思ってないだろ、ライム」





 リグの言葉にライムの肩がぴくりと揺れた。
何年一緒にいると思ってんだよとリグは続けると、にやりと笑った。




「そんなに気になるんなら、いっそのことハイドルに責任取ってもらえば?」


「・・・そうね、責任取ってもらおっかな。本人もそう言ってたし文句はないでしょ」





 ライムは肩まで綺麗に切り揃えられた髪に触れて立ち上がった。
ハイドル自身も責任を取ると、あの時きちんと言っていたではないか。
別に無理を強いるわけではないのだから、こちらが気後れする必要はないのだ。
それよりも、彼の言う責任の取り方と自分の望むそれが一致しているだろうか。
その点だけ、ライムは不安に思っていた。




「でもさー、あーんなに危機迫ってる時によく王子的救出手段できたよなー。俺びっくりしたよ」


「あら、バースには無理?」


「エルファが相手ならどんな大立ち回りもやるつもりだけどさ、でもさすがにあそこまで颯爽とは無理無理」


「色ボケせずに真面目に戦え馬鹿賢者」






 飽きることなく始められた不毛な喧嘩を目にして、ライムはそっと部屋を出た。
廊下の窓から、今ではすっかり賑やかになった外を眺めているハイドルに声をかける。
ライムの声に反応してハイドルが振り返った。
優しげな表情を浮かべてはいるが、どこか決まり悪そうだった。




「サマンオサを救ってくれて本当に感謝している、ありがとう。町の人々の喜ぶ顔を見ると安心する」


「にしては、今度はあなたの顔が元気ないわよ?」


「・・・いくら戦いの最中だったとはいえ、許可なく貴女に傷をつけてしまった。守るべき貴女を」


「私はどこも怪我なんてしてないわ。・・・あのことに関しては、むしろ感謝してるくらい」





 ライムは訝しげな表情をしているハイドルに柔らかく笑いかけた。
彼は守ってくれたのだ、トロルの懐に飛び込んで助けてくれたのだ。
勇気ある人にしかできない行いだった。
一歩間違えれば自分の身が危うくなっていたというのに、己の命を顧みずに救ってくれた。
それがライムは嬉しかった。
髪の毛が何だというのだ、彼の命が救われ、再びこうして話し合えることが何よりも嬉しいのだ。
ライムは、思ったよりも自身の心の中でハイドルが大きな存在になっていると気が付いた。
おそらくはリグにとってのフィル、バースにとってのエルファと同じような思いを抱いているのだろう。
ハイドルが、ゆっくりとライムの短くなった髪に触れてきた。
初めのうちこそ恐々とだったが、撫でているうちにその手つきは柔らかいものに変わっていく。





「私が切ってしまったのだが・・・、この髪形もとてもよく似合っている」


「そうでしょ? 私も結構気に入ってるの。ずっと長くしてたから、ちょっと違和感はあるんだけど」


「すぐに慣れると思う。それに、髪が長くても短くても貴女の剣技は変わらずに強いままだ」


「嬉しいこと言ってくれるじゃない。・・・でもね、一応ハイドルの言う『責任』っていうのを取ってほしいんだけど」





 『責任』と聞いてハイドルは不意と目を逸らした。
何か都合が悪いのだろうか。
どうかしたのかと思いライムはハイドルの顔を覗き込んだ。
ふわり、と懐かしい温もりに包まれた。
あの時はわずかに血の臭いもしていたが、今は違う、太陽に愛された爽やかな香りがする。
ライムはそっとハイドルの背中に手を伸ばした。
貴女のことを愛しています、とハイドルが囁いた。






「・・・これから、責任持って貴女を愛していきたいのだが・・・」


「それが責任の取り方? こんなことにならなかったら言わなかった?」


「・・・貴女はずるい人だ、答えをわかっている上で私に言わせようとする」


「じゃあ私も教えてあげよっか。・・・ハイドルのことが、大好きです」



(「ほら、だから言ったじゃんあの2人いずれくっつくんじゃないかって」)

(「き、聞こえちゃうよリグ! ライムに知られたらものすごく怒られるよ!?」)




「・・・・・・ライム、彼らは」


「・・・うん、ちょっと待ってね・・・・・・。・・・リグ、出てきなさい。エルファも、バースから消え去り草をもらうのやめなさい!」







 先程までの密やかな時間はどこへいったのか、透明人間になってまで覗き見を敢行していたリグたちを叱りつけるライムだった。









あとがき(とつっこみ)

長かったサマンオサ編も終了です。今回の主役はライムでした。
お子様組(精神年齢とかやってることとかが)ばかりがいちゃついていますが、彼女にもようやく春が!!
次回、怒涛(になるといいなぁ)のクーデター編です!





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