時の迷い子 4
賑やかな宴の中にぽつりと1人、場違いなほどに神妙な表情を浮かべた青年が突っ立っている。
迷うことなくその場所へ足が進むのは、以前もここを訪ねたことがあるからだ。
なぜ来てしまったのだろう、なぜ行こうとしたのだろうと、何度この行動をやめようと思ったことか。
それでも来てしまったのはやはり、自分はまだ子どもで、親が恋しかったからかもしれない。
ただの幻覚だが、見えるだけで介入することができない夢とは違う。
そうわかっているから、返事が聞きたいからまた訪れたのだろう。
もちろんここを尋ねただなんて、後にも先にも誰にも言えない。
「・・・母さん」
数十年前の母はとても美しい。
内側から滲み出る上品さは王女だった時代に身につけ、沁み込んだものだろう。
同じ髪と瞳の色を宿して生まれたのなら、どうして母ほど整った容姿に育たなかった。
特別父に似て屈強な体つきをしているわけでもないリグは、少し不満だった。
過去の両親を見ると、尚更そう思ってしまう。
「・・・・・・」
建物の陰に隠れている母にそっと近付く。
見覚えのない青年を前にはっと息を呑む、出奔直前の母。
あなたの息子ですと言ってもいいが、それは先日口にしたのでやめておく。
「・・・何か?」
「・・・少し、話がしたいんです。あなたと」
突拍子もない質問に気味悪がられなかっただろうかと、言った直後に不安になる。
しかし王女は意外にも、真剣な眼差しで見つめ返してきた。
そしてふっと頬を緩めると、隣に座るよう勧めてくる。
これにはリグが拍子抜けしてしまった。
「俺を不審者だと思わないわけ?」
「話をしてみて危険な人物だと思ったら、その時に対処させてもらいましょう」
「それじゃ遅いんじゃ・・・」
「大丈夫です。私には強い味方がいますから、2人も」
エルファとバースの事か。
あいつも一応味方だとは思われていたのか。
バースの考えは被害妄想だったと判明し、リグはほんの少しだけほっとした。
「銀髪の賢者と神官団員の女の子のこと?」
「いいえ、神官団員の女の子と勇者様です」
ほっとしたのは僅か2,3秒のことだった。
ここまでくると、さすがにバースが不憫に思えてくる。
本当にエルファがいるという理由だけでネクロゴンドに留まっていたのだろう。
このような冷たい仕打ちを受け続けていてもなお、エルファの傍に居続けた彼には頭が下がる。
今度、理由を告げることなく少しだけ優しくしてやろう。
リグは母子2代に渡って続くバースいびりに小休憩を挟むことにした。
「あなたも旅人ですね。世界はどうですか、広いですか」
「広いと思うかどうかは人によるだろうけど、俺はここに来るまでに結構な時間かかったな」
「そうですか。どちらからいらしたのですか?」
「アリアハン。父親の仇討ちと遺志を継いで仲間と旅してる」
「アリアハン、大陸ひとつを治める小さな国ですね。勇者様と同じ故郷だなんて、だからあなたはあの方に似ているのかしら」
それは俺の仲に『勇者様』の血が半分流れているからだ。
そうとは言えずただ苦笑すると、リゼリュシータはリグをじっと見つめたまま本当にと呟いた。
母とはいえ、妙齢の美人にとっくりと見つめられるとさすがに照れてくる。
父が惚れるのもわかる気がした。
魔物と対峙し続ける毎日を送り心休まることが少なかった父の目に、穏やかで好奇心旺盛で、何よりも美しい母はどう映ったのだろうか。
殺伐とした世界に現れた女神とでも思ったかもしれない。
母が父を見て、閉鎖された環境に一筋の外界の光を見出したように。
「・・・・・・なんで」
「どうしたのですか? 急に黙り込んで、どこか具合が?」
「・・・・・・あの、さ。今から俺が言うことは、きっとあなたには意味がわからない事だらけだと思う。
でも、黙って聞いてくれる?」
「わかりました。どうぞ、旅人さん」
「あなたがこれから進もうとする道は、この世界に大きな衝撃をもたらすことになる。
でも、それは仕方がないことで、あなたのせいでも、もちろんこれからここに現れる父さ・・・勇者オルテガのせいでもない。
だから、せめてあなたたちには幸せになってもらいたい。2人で旅して、アリアハン帰って、子どもが生まれてって、幸せに生きてほしい。でも・・・・・・」
「でも?」
「・・・忘れないでくれ。ネクロゴンドでの窮屈な王女としての生活は忘れていいけど、エルファとバースのことは忘れないでやってほしい。
あいつら、本当に心の底から王女の幸せを願ってる。どんな事があってもあいつら、絶対に王女のこと忘れないし、大切に思ってるから」
何を言っているのだろう。
リグはいつもの彼らしからぬ饒舌になってまで幻覚に母に語り続けている己を、頭の片隅で笑っていた。
こんなことを言っても気味悪がられるだけだというのに、なぜあえて不審者になろうとしたのか。
ここで言って何かが変わることはないのだ。
リグは約束どおり、ほとんど無言を貫いていたリゼリュシータを真っ直ぐ見つめた。
無表情の彼女が何を考えているのかは読み取れない。
本気でエルファと父を呼び出すのではなかろうか。
静かにリゼリュシータが腰を上げ、リグの目の前に立つ。
ゆっくりと手が伸ばされる。
何をするつもりなのだ、俺の未来の母親は。
あれこれと考えていたリグの脳が働くことをやめた。
声も上げられない、息をすることすら忘れてしまった。
傷ひとつない白く柔らかな指はリグの頬を優しく撫でると、そのまま彼の体をそっと抱き締めた。
見ず知らずの男に何をやってるんだと窘めたいが、生憎と頭が混乱していて言葉が出てこない。
抱き返すこともできず、リグは石像のように硬直したまま次の彼女の行動を待った。
リゼリュシータは体を離すと、座ったままのリグに合わせ腰を屈め、もう一度頬に手を伸ばした。
「あなたは本当に遠いところから来たんですね・・・・・・。そこはきっと、今の私や勇者様には辿り着くことができない、時の彼方」
「・・・・・・」
「こんな所にまで来るなんて、私がこれからやろうとしている事はそれほど重要なことなんですね」
ありがとうと言うと、リゼリュシータはふわりと笑った。
満面の笑みではなく何かを堪えているような、ほんの少し泣きそうな胸が締めつけられる笑みだった。
悲しいことではない。
こうしなければ自分は存在することができなかったし、世界も迫り来る闇に気付くことなく滅ぼされていただろう。
すべてが始まるために必要なことだったのだ。
そう言いたかったが、言葉となって出てくることはなかった。
「・・・私は悩んでいました。私の勝手でエルファやバースさんを困らせ、悲しませてしまうのではないか。
父や国の者たちに迷惑をかけるだけで、幸せにはなれないのではないかと」
「そんな事」
「私は、もう一度あなたに会いたい。あなたのように優しい息子と一緒に幸せに暮らしたい」
「・・・・・・」
「あなたが勇者様と似ているのも、きっと・・・・・・」
がさりと茂みが揺れる音を聞き、リゼリュシータは続けようとした言葉を切った。
硬直したままのリグを背に庇い、現れる人物を待ち構える。
精悍な顔つきをした屈強な若者を、リグはリゼリュシータの肩越しに見つめた。
何度見てもやはり父は逞しい。
いつか父のようになれる日が来るのだろうか。
リグはぼんやりとオルテガを見つめていた。
「・・・この男は?」
「私の知り合いです。怪しい者ではありません」
「しかし・・・・・・」
「本当に大丈夫です。この方は、私たちがこれから歩もうとする道を示して下さった旅の方なのです」
そうでしょうと振り返られ、リグは反射的に頷いた。
訝しげにこちらを眺めてくる父から目を逸らすことができない。
リゼリュシータはオルテガに歩み寄ると何やら囁いた。
しかしと言って躊躇いの声を上げる彼に頼み込んでいる。
何を話しているのかわからぬまま立ち竦んでいたが、やがてオルテガの視線が自分の頭に向けられていることに気付くと、はっとした。
(父さんの兜・・・・・・)
「・・・・・・そうか、お前は」
「何も、何も言わないで下さい。・・・俺、もう帰ります。ありがとう王女」
「待て。・・・・・・こっちへ来なさい」
くるりと背を向けたところをオルテガに呼び止められ、リグは再び彼らへと向き直った。
言われたとおりにゆっくり近づくと、くしゃりと頭を掴まれる。
少し力が強すぎて痛いが、リグはこの行為が頭を撫でているということに気が付いていた。
ぎこちないが、少し痛いが、これは間違いなく父の温もりだった。
死んだはずの人間なのに幻のそれは、泣きたくなるほどに温かい。
それがとてつもなく悲しかった。
「いつか、お前と一緒に旅をしてみたいものだな」
「・・・・・・」
「なぜ来たのかは知らぬが、気を付けて帰るがいい」
「・・・2人も、道中気を付けて」
リグはオルテガから離れると改めて2人を見つめた。
進む先は未来、それは変わらない。
林へと足を踏み出した2人を見送っていると、不意にリゼリュシータが振り返った。
「旅人さん、あなたのお名前は?」
「・・・・・・リグ。俺の名前はリグ」
「『神々の賛歌』・・・、祝福された素敵な名前。どうもありがとう、リグ」
またいつかと言い残し森の中へと消えていくリゼリュシータの背中は、これから待ち受ける広大な世界と未来に大きな希望を抱き、明るく輝いて見えた。
彼女の旅立ちをどうか、エルファとバースも祝福してほしい。
完全に人の姿が見えなくなった森へまたいつかと呟くと、リグはテドンを後にした。
翌日、朝帰りを実行しろくな睡眠を取らぬまま起き出してきたリグは、リビングで朝食を並べている母の姿にふと、昨夜の出来事を思い出した。
2人の旅の内容は知る由もないが、無事に未来へと繋がる道を見つけたから、今ここに自分が存在しているのだろう。
本当に見た目と反して無鉄砲な母親だ。
欠伸を噛み殺しながら食卓につくと、リグと名前を呼ばれる。
「朝帰りするようになったなんて、リグもすっかり大人気取りね」
「いや、変な意味でじゃないから。・・・ちょっと散歩に」
「そう? ・・・・・・ねぇ、リグ、あなた」
「ん?」
急にじっと見つめられ、思わずたじろぐ。
何だよとわざとぶっきらぼうに尋ねると、くすりと笑われる。
実の息子の顔を見つめるだけ見つめた挙句に笑うとは、かなりショックである。
リグは目を逸らすと、角砂糖を4個投入したコーヒーに口をつけた。
「リグ、あなたって」
「だから何」
「昔、私の前に現れた不思議な旅人さんにそっくりね」
「・・・あっそ」
「ええ。私たちの背中を押してくれた旅人さん」
テドンが見せる過去は、ただの幻ではないのかもしれない。
オーブもそうだったが、忘れていた何かを補うための、神が与えた奇跡。
昔の私にちょっとだけ見惚れてたでしょと言われ、リグは盛大にコーヒーを吹き出した。
あとがき(とつっこみ)
別名、『好き勝手逃げ回るバースへのお仕置き』の章でした。とりあえず、賢者2人は元の鞘に収まったということにしておきます。
当初から考えていた設定の6割強はネクロゴンド組(王女、エルファ、バース)関連だったので、なんとか無事に終わってすごくほっとしています。
夜のテドンの賑やかさとは裏腹な空虚な雰囲気が、ゲームしてる時からなんともいえず好きでした。