商人の町 2
久し振りに足を踏み入れたフィルの町は、リグたちの想像を遥かに超えたものに成長していた。
良くも悪くも町は大きくなっていた。
ここはアッサラームかと思ってしまうほどに、ぴかぴかとネオンサインが煌いている。
一目見て、あまり近づかない方がいい建物だとわかった。
確かに町には酒場など、疲れた人々の心を癒す歓楽街は必要である。
しかし癒し方にも限度というものがある。
今リグたちが無言で見上げているこの建物は、明らかに限度を超えた代物だった。
「なんつーか・・・、フィルちゃんもなかなか大胆なことするんだなー」
町を散策していると、バースがリグにこそりと囁いた。
彼が本当に言いたいことを、リグが余すところなく理解することができた。
暗に苦言を呈しているのだ。
金が集まれば町も発展するだろう。
問題は金の集め方なのだ。
先程の娯楽施設のまがい物のように、強引に人から金を毟り取ってはいけない。
フィルはそんな大切なことも忘れてしまったのか。
リグは信じられなかった。
もしもフィルが間違った道に進もうとしているのならば、それを事前に止めてやるのが恋人の務めである。
妙なことが起きる前に道を正してやるべきである。
「バース、ちょっとみんなを頼んでいいか? フィルにどういうことか聞いてくる」
「今から? もう日も暮れようとしてんだけど。ヘタすりゃ夜這いと勘違いされるぞ」
「すぐ行って、ちゃんと宿屋に戻るから。・・・実はさっきからものすごく嫌な予感がするんだ」
「リグがそう思うんなら行ってこい。フィルちゃんが絡んでたら厄介だ」
リグの勘というか、直感、第六感の凄まじさはよく知っている。
賢者だと隠していたこともあっさりばれたし、ここぞという時の力には恐ろしささえ感じている。
だから今回リグが言う『嫌な予感』というのも、おそらく当たっているのだろう。
海上にいる時から急げと急かしていたし、これは本腰入れてかからなければならない問題かもしれない。
「ほーんと、次から次によく面倒事に巻き込まれるもんだ」
バースは夕焼けの中フィルの屋敷に向かって駆けて行くリグの背中を見送りながら、何もないことを祈るのだった。
リグは、今日この町に着いてから何度目かの信じられないという思いを味わっていた。
フィルに会うことはおろか、屋敷の中にも入れてもらえず門前払いである。
深夜に訪ねるのではなくて一応日中に訪れたというのに、お引取り下さいとは。
何かあったのかと尋ねても存じ上げませんの一点張りだし、ではなぜ会えないのだ。
もしかしてこっそり忍び逢いに来られるのが好きなのか。
俺のことを忘れてしまったのか。
そう考えると急にぞっとした。
そんなことは絶対にないと信じつつも、一抹の不安を抱いてしまう。
リグの研ぎ澄まされた第六感が、しきりに警鐘を鳴らしていた。
今フィルに会うことができないのはむしろ幸運と思えと、心が告げていた。
「・・・俺が来たって伝えといてくれる? みんなも一緒だって」
「かしこまりました」
あくまでも事務的な口調を崩さない衛兵を一瞥すると、リグはいつの間にか暗くなっていた道を歩き始めた。
思っていたよりもショックを受けていた。
拒絶されるはずがないと思っていたから、尚更ダメージが大きかった。
「ほんとにあいつ、何やってんだよ・・・」
もやもやとした気分を変えるべく、リグは宿屋へ直行する道を逸れ町の外れへと足を向けた。
確かあそこには、ジパングからもらってきたサクラの木を植えたはずだ。
町の発展の邪魔にならないようにと、一応気を利かせて敷地の隅に植えた。
たまに見に来てはいたが、また大きくなっているかもしれない。
早く大きくなって、フィルの髪とよく似た色の花を咲かせてくれたらいいのに。
リグはそう考えながら建物の角を曲がりかけた。
曲がりきれなかったのは、サクラの木の近くで男たちが密談を交わしていたからだった。
「最近のあの方の考えていらっしゃることが全くもって理解できない」
「あの方だなんて、所詮は小娘だろ? あんな奴の力を借りずとも、俺たちだけで町は動かせる」
「しかし、周囲の警備が厄介だ・・・」
何やら不穏な発言を繰り返している男たちの話を耳にして、リグは建物に陰で眉を潜めた。
あの方と呼ばれているのはフィルのことだ。
どうやらこの連中は、フィルを邪魔だと思っているらしい。
非常に不愉快な話だった。
「なぁに、いくら屋敷に籠もりっきりの彼女でも外には出てるさ。しかも必ず1人で!」
「ではその時を狙い・・・」
「殺すのはさすがに後味悪いからな。適当に捕まえてどこかに売るなりすればいい。魔物の餌にするのにゃもったいない別嬪だ」
「そりゃそうだ」
リグは、今日この時ほどザラキを唱えたいと願ったことはなかった。
あいつら、人の彼女を何だと思ってるんだ。
殺すとか捕まえるとか果ては売り飛ばすとか、とても同じ人間が考えることではない。
次に会うのがアッサラームの危ない店とかだったら、悲しすぎる。
「やっぱ会わなきゃどうにもなんないな・・・」
リグはぼそりと呟くと、再び耳を済ませた。
敵の情報を少しでも詳しく知らなければ、有効な対策を練ることができない。
なんとかして彼らの裏を書き、フィルに災厄が降りかかるのを避けたかった。
きっとこれが嫌な予感の原因でもあるのだろう。
愛しい女の窮地を救うだなんて、まさしく勇者らしいではないか。
「で、その1人で出て何をしてるんだ? どこに行ってるんだ?」
「何をやってるかなんて知るものか。けど、あいつは毎日必ず・・・」
ぱきり、と木の枝が人の足によって踏まれる音がした。
リグは思わず足元を見やった。
何も踏んではいない。
しかし、音は確かに自分の近くからした。
そしてそれは男たちにも聞こえたに違いない。
会話が止んだことから、容易に理解できた。
やはり人目がある所で話し合いを続ける勇気はないのか、男たちの気配がなくなる。
リグはとんだ差し水をしてくれた人物を探した。
誰だよと呟くと、存外近くで私ですよとの声が返ってくる。
「・・・あんた、何してくれたわけ。せっかくいいところだったってのに」
「世界を救う勇者様が盗み聞きがお好きとは・・・。恐れ入りました」
「・・・なんで俺のこと知ってんの。誰、あんた。いつからここにいた?」
周囲に注意は払っていた。
払っていたというのに、この男の接近には全く気付かなかった。
それが驚きであり、少なからずリグを不安にさせた。
「おや・・・、そんなに多くの質問をなさるとは、もしや私に好意を「ない」
何が面白いのか男はくすくと笑うと、真っ黒なローブを無意味にひらりとはためかせた。
行動と言動のいちいちが気に食わず、リグの眉間に更なる皺が刻まれる。
「申し訳ありませんが、私は誰なのかはお教えできません。あなたのことはよく存じ上げておりますよ、有名ですから」
「そりゃどうも。全然嬉しくないけど」
「そうですか・・・。あぁ、私はずっとここにいたわけではありませんのでご心配なく」
リグは闇に溶け込んでしまいそうなくらいに漆黒のローブに身を包んだ男を凝視した。
自分のことをよく知っていて多くを語らないとは、見るからに怪しい奴である。
こんな奴を町に入れていていいものかと、リグはフィルを恨めしく思った。
来る者拒まずにも制限をつけるべきだと思う。
ここは無法地帯ではないのだ。
「なぁ、どうしてそんな怪しい格好してんの? 元々だいぶ怪しいけど」
「なかなか直球ですね・・・。趣味なんです、後は当てつけ」
「へぇ、誰に対する当てつけ?」
「家族」
その単語を口にした瞬間、男の周りに魔力が満ち始めた。
何がきっかけでスイッチが入ったのかわからないが、リグは身の危険を感じ咄嗟に身構えた。
目の前の男が並みの強さでないことがすぐにわかる。
一瞬でも気を抜けば圧倒されてしまいそうだ。
「ちょっと・・・、街中でこういうのやめてほしいんだけど・・・!!」
「ほんの余興と思えば。ほら、スリル満点でしょう」
「ばっ・・・!」
スリルなんてとっくの昔に通り越していた。
リグは懸命に精神を集中させた。
逃げることなど許されない状況に戦慄していた。
「ちょ・・・っ、何やってんだよ!!」
ばん、と大きな音がリグと男の間で響いた。
巨大な魔力と魔力がぶつかって打ち消しあった音だ。
リグは油断をせずに乱入者の背中を見つめた。
ぜぇぜぇと方で大きく息をしている銀髪の青年がいる。
バース、と声をかけようとして口を噤んだ。
いつものおちゃらけた彼からはとても想像できない殺気が全身から滲み出ていた。
それほどまでにこのローブ男は危ないのか。
リグは相変わらず剣を構えたまま憶測した。
正直、バースが来てくれてだいぶほっとした。
このまま2人で相対していたら、本当に死んでいたかもしれない。
「・・・何やってんだよ、こんなとこで」
「少し遊んでただけだよ。やっぱりこっちはいいね」
「失せろ、今すぐに」
「おやおや、冷たいじゃないか寂し「消えろと言った。次は手加減しない」
今のが全力だろう?
男の言葉を聞いたバースの周囲に魔力が集まり始めた。
何をやらかすつもりなんだこの男は。
呪文の規模がローブ男と同じだとする。
さすがにまた同じようなことをされてはたまらない。
リグはバース、と強めの口調で呼ぼうとした。
しかし、リグが口を開く前に男が降参とでも言うように両手を挙げた。
「・・・わかったよ。今日は引き上げるよ。お望みどおり。やりたいことはもう終わったしね」
「・・・・・・」
「ではごきげんよう勇者様」
すうっと音もなく消えた男を見届けると、バースは無言でその場を立ち去ろうとした。
あんなに本気で怒っているバースをリグは初めて見た。
押し殺すように低い声で問い質し、どこから湧き出てくるんだという量の魔力を集めたりして。
バースの隠された一面を見たような気がした。
「バース、ありがとな」
「・・・別に。間に合って良かった」
「あいつのこと、なんか知って「何も知らない」
知らないはずはないだろうと思った。
あの態度からして、確実に顔見知りだ。
ただ、リグはバースが知らない、触れたくないと言う以上は言及しないことにした。
あの男とは、また会いそうな気がした。
その時に誰だと再び問い詰めればいいのだ。
1人では太刀打ちできなくとも、ライムたちもいれば何とかなるだろう。
それに今考えるべきは正体不明の変人よりも、フィルの身の安全だった。
リグは押し黙ったまま歩くバースの後を、静かについていくのだった。
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