商人の町 3
黒衣に身を包んだ正体不明の男と出会ったリグは、その日眠れぬ夜を過ごした。
無茶苦茶なタイミングで神経を尖らせたりしたから疲れているはずである。
しかし、リグは眠れなかった。
体の底から揺さぶられるような気持ち悪さに襲われていた。
なぜだろう、彼とはまた会う気がした。
できれば二度とお会いしたくないタイプなのだが。
「・・・ほんと、なんだってんだよこの町は・・・」
リグはぼそりと呟くと、布団を頭から被った。
リグが訪ねて来たと聞き、フィルはふわりと頬を緩めすぐに唇を引き結んだ。
今は、いや、これからリグと会ってはいけない。
誰かが決めたわけでも言ったわけでもなく、フィルの直感だった。
オーブを手に入れるために謎の男と取引をした際、確実に何らかの呪文をかけられた。
詳しいことはわからないが、リグのことを考えれば考えるほどに怖くなっていく自分がいた。
その怖さが何に対してものなのかすらフィルはわからなかった。
わからない以上、リグに会うべきではなかった。
会ってしまえば、近くにいればますます恐ろしいことになりそうな気がしたのだ。
だからリグやライムが町に来たとしても、フィルは彼らに会おうとは思わなかった。
このまま去ってほしいとも思っていた。
(でも、それじゃオーブが渡せなかったから・・・)
オーブはリグたちに渡すために手に入れた。
これだけは、何としてでもリグに渡さなければならなかった。
しかしどうやって渡すというのだろうか。
誰かを介して行うというのはやりたくなかった。
万一のことがあっては困るからである。
フィルは考え続けた。
考え続けた結果、リグしかわからないであろう場所に隠すことにした。
いつも窓から忍んで来ていた彼ならば、わかるはず。
フィルは願いも込めてオーブを隠した。
「・・・時間、かな」
フィルはちらりと外を見ると屋敷を出た。
お出かけですかと尋ねてくる使用人に小さく頷くと、周囲にリグたちがいないことを確認して目的の場所へと向かう。
リグから贈られたサクラの木に水をやりに行くのはフィルの日課だった。
水をやり、根元にしゃがみこんでぽつりぽつりと語りかける。
木は何も答えてくれないけれど、黙って話を聞いてくれるリグのようで好きだった。
もっともそれをリグが聞けば、俺は木かと憤慨しそうだが。
今日は何を話そうかな。
本物のリグが来てるのに木に向かって話すなんて馬鹿みたい。
フィルは己の行いに苦笑しつつも、サクラの木へと向かった。
背後を武器を携えた男たちが尾行しているとも知らずに。
おかしい、とリグは感じていた。
昨夜の事をエルファやライムに尋ねても、知らないというのである。
あれだけどでかい魔力の波長を感じたら、たとえ眠っていても気付くに決まっている。
リグは信じられなかった。
あれは自分とバースが視た夢だとでも言うのか。
「リグが言うようなものすごい魔力、感じたら絶対に起きてるよー」
「ほんとだって!」
「うーん・・・、でも何もなかったよ?」
知らないよと言い張るエルファになおも言い募ろうとするリグの肩を、バースがそっと掴んだ。
ちょっと来いという目をしている彼についていくと、真剣な色を宿しているバースの瞳とぶつかった。
「なんで誰も気付いてないんだよ」
「当たり前だろ。俺ら、異空間にいたんだから」
「いつ移動したんだよ、そんなとこに。それに異空間て言うんなら、お前はどうして来れたんだよ」
「・・・簡単に自分の世界に攫えるような奴ってことだよあれは」
「なんで・・・」
どうしてそんなに忌々しい口調でしゃべるんだ。
リグはバースにそう問い詰めたかった。
できなかったのは、バースがあれに絶対に関わるなと言った直後にいつものおちゃらけた表情に戻ってエルファの元へ向かっていたからだ。
昨日から何かとはぐらかされている気がした。
何をそんなに隠す必要があるというのだろうか。
リグはわからなかった。
「リグ、早くフィルを探しに行きましょ。今日はフィルの出待ちするんでしょ?」
「もう家を出ていなければいいのだが・・・」
「それもそうだけど、このくらいの広さなら外にいてもすぐに見つけられるわよ」
ライムとハイドルに声を掛けられて、リグははっと我に返った。
そうだ、今考えるべきはフィルだ。
最近こんな暗示ばかりかけている気がする。
この町にいろいろ問題が多すぎるのがいけないのだ。
リグは町に適度に責任を押し付けると、気を取り直して宿屋を出た。
とりあえず真っ先にフィルの屋敷に行き所在を尋ねる。
「フィルはいる? 会いたいんだけど」
「この時間はいつもお出かけになっております」
「どこに行ったか知ってる?」
「さあ・・・」
リグたちは顔を見合わせた。
昨夜の男たちの話から推測しても、フィルは毎日同じ時間に外出しているという。
場所こそ聞き損ねたが、これが危ない事態だということは明らかだった。
早く彼女を探し出して危険を知らせてやらなければ間に合わない。
「まずいな。早いとこフィルちゃん探さないとリグの直感が当たっちまう」
「心当たりとかないの、リグ?」
「あったらとっくに行ってるよ! とにかくみんな、フィル見つけたらよろしく頼む」
ばらばらと散らばった仲間たちを見送ると、リグも町中を駆け始めた。
あの時、黒衣の変人が邪魔さえしなければ上手くフィルの居場所を突き止められたのに。
再び脳内に浮かんできた変人をリグは振り払った。
あんな男に構っている場合ではないのだ。
今は、何よりも誰よりもフィルを探し安全を確認しなければ。
どこにいるんだ、フィル。
どこを捜しても見つからない恋人に、リグは焦りを感じていた。
もしかしたら既に手遅れなのかもしれない。
リグは人っ子一人いないサクラの木の前を駆け抜けようとして、何かにつまづきかけた。
何だと思って足元に伸びている木の根を見下ろす。
懸命に大きくなろうとしている木には不似合いな、斧で切りつけたような跡があった。
それだけではない、いかにも重そうな石も転がっている。
そして石の近くに落ちていたものを見て、リグは思わず膝をついた。
「・・・なんだよ、これ・・・・・・・」
リグの足元には、まるでサクラの木から溢れ出たような鮮血と、鋭利なもので切られたらしい桃色の髪が付着した服の切れ端が落ちていた。
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