時と翼と英雄たち

商人の町    4





 今まで幾度となく戦ってきて、それなりに傷を負ったことがあるからその液体のことはよく知っている。
痛みを伴って体の内側から滲み出てくるものだ。
戦わなくてもちょっと転んだりしても出てくるから、別に出血自体は怪事ではない。
しかし、ただの非戦闘員が鋭利な刃物か何かで服が千切れるほどまで肉薄され切りつけられ、挙句に怪我を負うことはおかしいとしか言いようがなかった。
まさか、密談の翌日に実行に移すとは。
事が早ければ早いほど良かったのだろうか。
それとも、それほどまでにフィルを憎み嫌っていたのか。
何にせよ、フィルが残したメッセージはリグに大きな衝撃を与えるには充分すぎた。
呆然として座り込み、地面に散っている血痕を眺めるしかなかった。
体の底から表現しがたい怒りが湧き起こっているのに、ショックが大きすぎて体が動かなかった。






「フィ、ル・・・・・・」





 フィルは一体どこに連れ去られたのだろう。
この町に到着して間もないリグには全く検討がつかなかった。
探しに行かなければならない。
そうわかってはいるが体が動かない。
好きな女1人守れなくて何が勇者だ。
かつてないほどの自己嫌悪に陥った。
攫われたのはよりにもよって自分が送ったサクラの木の前だ。
男たちが話していた、フィルが毎日欠かさずに訪れている場所というのもここのことなのだろう。
なぜ真っ先にこの場所を思い浮かべ足を運ばなかった。
たとえそれが自惚れだと謗られようとも、彼女の思い入れが深いであろう場所へなぜ行かなかった。
1つを否定すると、それに続く全てをも否定したくなってきた。







「あっリグ! どうした、の・・・・・・!?」





 リグの姿に気づいて駆け寄ってきたエルファの声が途切れた。
地面に落ちていたそれらを見たのだろう、なんで、と悲痛な声を上げている。
その問いが自分に向けられているものではないと頭の隅ではわかっていても、体が言うことを聞かなかった。
先程まで鉛のように重く動かなかった体が、嘘のように素早い動きを見せる。
リグはエルファの方を振り返ると、力強く両肩を掴んだ。





「リグ、落ちつ「なぁ、なんでフィルがこんな目に遭うんだよ! なんでフィルなんだよ! あいつは人に恨まれるような奴じゃないんだぞ!?」





 力任せに華奢なエルファの体をがくがくと揺さぶる。
バースが見ていたら氷柱を突き立てかねない光景である。
エルファは理不尽な怒りをぶつけられながらも、それでもリグと力強く呼びかけ続けた。
彼が壊れてしまう気持ちも、要因もよくわかった。
誰だって、愛する人が危険な目に遭っているかもしれないと思えば冷静でいられない。
自分だって、おそらくは彼だろうが―――――、愛しい人が危機に瀕していれば正気を失うに違いない。





「リグ、リグ、ねぇリグ!!」


「・・・っ、なんでだよ・・・・・・!!」


「探そう? この町の隅々を探してフィルを助けよう? フィルは今でもリグを待ってるよ。
 だから、今はほんの少し正気に戻って・・・・・・」


「・・・エルファ・・・・・・。・・・ごめん、俺・・・」


「ううん、気にしないで。それよりも、早くみんなと手分けしてフィルの居場所を突き止めないと」





 ほら元気出して行こうよ!と珍しく音頭を取ってくれるエルファに、リグは口にこそ出さなかったが大いに感謝した。
リグは手早くフィルが残したあれこれを回収すると、ライムたちと示し合わせていた待ち合わせ場所に駆けつけた。
既に集まっていた彼女たちに証拠品を見せると、一様に表情が固まる。
血痕を見せつけられてほっとする人はどこにもいない。






「でも私たち、町は隈なく探したのよ? それでも見つからないって・・・」


「どこかに隠し部屋みたいなのがあるとか? でも元盗賊の勘からしてそれはなかったなぁ」


「・・・気になる場所を見つけたのだ」





 ハイドルの言葉にリグたちは一斉に彼を見つめた。
ハイドルはこれは悲しい習性なのだが、と前置きした上で口を開いた。




「とある所に立っていると、地面からほんのわずかに風が吹き抜けているような気がしたのだ。
 サマンオサの地下道と感覚が似ていたし、もしやそこに誰かいるのでは、と」


「すごいじゃない! さすがハイドルね、さっき隠し部屋ないって言ったの誰?」


「俺ですよ。ったく、余計なこと言わなきゃ良かった。・・・で、その場所ってのは?」







 リグたちはハイドルの感覚に全てを託して、気になるという場所へと向かった。
確かに、よく神経を研ぎ澄ましてみれば地下からわずかな風の通り道を感じるかもしれない。
ハイドルは地面に耳を近づけるとゆっくりと目を閉じた。
2,3分ほど手が地面を滑り、ある一点で動きが止まる。
そこを叩いたりして何かを確認すると、今度はバースの方へ向き直った。





「バース、この一点に向けて、地面に穴を開けるくらいに強力な呪文を唱えてはくれないか?」


「おい・・・、バースに任せてうっかりフィルを生き埋めにしたらどうすんだよ」


「大丈夫だ。出入り口はもう1つあるようだし、中は案外広い。ただ地盤沈下となれば生き埋めは免れなくなるので、必ずここだけに集中してほしい」






 バースはハイドルが目印として置いた薬草を見つめた。
先程までの一連のハイドルの行動はさっぱりわからなかったが、どうやらその口ぶりからして確実に地下室があるのだろう。
いきなり無理難題を吹っかけられた気がしないでもないが、それもハイドルが自分を信頼してのことだと思う。
呪文は何がいいだろうか。
十八番となりつつあるマヒャドにするか、火力に未だに若干の不安を残すメラゾーマでいくべきか。
昨夜キチガイ馬鹿相手に魔力を使いまくったことを激しく後悔した。
万全の状態だったら、メラゾーマでも多少の火力の不安は魔力で補えるのに。








「じゃ、皆様の期待にお応えして・・・」





 バースは薬草を退けて地面に両手を置くと、地中深くまで氷柱が抉るよう念じつつマヒャドを唱えた。
バースの手から生み出された氷柱が、どごごごごと音を上げて地面に穴を空けていく。
数十秒後、氷柱が空洞にまで達したのか音が止んだ。






「はぁ・・・、もう明らかに氷柱の使い方間違ってるよな」


「大丈夫バース? なんだか汗すごいよ?」


「ははっ・・・、きらめく汗も似合うだろ・・・?」





 ぎこちない笑みをエルファに返しているバースを完全に無視して、リグは穴へと飛び込んだ。
通路の脇に明かりが灯されていることから見て、誰かがいるのだということがわかる。
こんな訳のわからないところにまで連れ込んで、何をやらかそうとしてるんだ。
リグは後から降りてきているライムたちを待つことなく、先を進み始めた。
早足は次第に駆け足となり、上げる声は大きくなる。
フィル以外の全てのことを忘れてしまったかのようだった。
今のリグにとって、世界の中心はフィルと言っても過言ではなかった。








「フィル・・・・・・っ!?」

「な、なんだお前は!?」






 通路よりもかなり明るく照らされた広い空間に掛け込んだリグは、牢の前で慌てた様態を見せている男を見つけた。
その姿はどこかで見たことがある。
フィルに危害を加えようと画策していた男たちの1人だった。
リグは無言で男に近寄った。
来るなと叫ぶ声など聞こえなかったかのように、手刀を叩き込む。
背後から飛び掛ってきた2人にも同じようにする。
丸腰の、しかもただの町男などリグにとってはスライムを相手にするくらいに容易いことだった。






「・・・リグ・・・?」





 鉄格子の向こう側から、弱々しい声が聞こえた。
聞きたくてたまらなかった、大切なフィルの声。
リグは懐を探ると小さな鍵を取り出した。
鍵穴に差し込むと、ガチャリと音がする。
リグは牢の扉を開け放すと、ゆっくりとフィルに向かって歩き出した。
怪我の具合はどうなのか。一体なぜこのような事態に陥ったのか。
聞きたいことは山ほどあった。
リグはフィル、と呟いた。
来ちゃだめと返される言葉に眉を潜める。





「なんでだよ。俺だよ、こんな汚い奴らじゃないって」


「だから来ちゃだめ・・・! お願い、私から離れて・・・!」


「馬鹿、何言ってんだよ・・・」






 フィルは何に対して怯えているのだろうか。
震えているフィルの声を聞きつつ、リグはふと思った。
恐怖の対象だった雑魚たちはとっくに片付けた。
まだ現実がよく飲み込めていないだけなのかもしれない。
怖がっているフィルを宥めるべく、リグはそっとフィルの頬に触れた。
じっとりと指が濡れる感触がした。
涙ではない、もっとどろりとしたものだ。
牢の中は明かりがなく薄暗いから気付かなかった。
よりにもよってフィルが、女にとっては命の次くらいに大切であろう顔を傷つけられていたということに。





「フィル、お前・・・・・・」


「お願いリグ、今すぐ私から離れて・・・。近づかないで・・・」


「ほっとけるわけ、ないだろ・・・っ」






 傷を見せたくなくて、だから寄るなと言っていたのか?
顔が好みだったから好きになったんじゃない、内面や全てが好きだった。
だから傷なんてリグには関係なかった。
傷つけた男を今すぐ刺し殺してやりたいとは思ったが、フィルの対する想いは変わらない。
リグはフィルを抱き寄せた。
来ないでと言い続けていた声が止み、そっと背中に細い腕が回される。
会えて良かった、もう危険な目に遭わせるものか。
リグはフィルの震えを止めるように、しっかりと抱き締めた。





「フィル・・・」


「リグ・・・・・・、私、もうリグの「離れろ、リグ!」



































 感動の再会に場違いな絶叫が地下室中に響き渡った。
バースの叫びとほとんど同時に、脇腹に激痛が走る。
フィルとの距離が開いたのは彼女が体を離したからか、それとも己が膝をついてしまったからか。
リグは遠ざかる意識の中、必死の思いでフィルを見つめた。
鮮血にまみれた短剣を握り締めた手を虚ろな瞳で見つめていたフィルは、赤く染まったリグの腹部を見て我に返ったのか真っ青になっている。







「私・・・、やっぱりあの時・・・・・・、リグを・・・・・・!」





 泣くな、お前のせいじゃない。
きっと、いや、絶対にこれは誰かに操られていた上での行為なんだ。
思いが言葉として紡ぎだされることはなく、リグとフィルは寄り添うように地面に崩れ落ちた。





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