商人の町 5
周りに誰がいるとか羞恥心とか勇者とか、そんなの全部かなぐり捨てて目の前で震えていた彼女を抱き締めた。
初めこそ拒否されてたけど、でもすぐに名前を愛おしそうに呼んでくれた。
少なくとも俺自身はそう思ってたんだ。
いろいろあったけどまたこうやって、俺の手が届く場所にあいつが帰ってきたことにほっとしてたんだ。
・・・だから、あの時なんであんなことになったのか一瞬訳がわからなかった。
俺が知らない間に、あいつに何があったんてんだろう。
そんなこと考えられないくらいに痛くて考えることやめたけど。
おかしいな・・・、今まで怪我は何度もしてきたのに今日のはとびきり痛い。
冷たい床に倒れ伏したリグとフィルを見たライムたちは、あまりに衝撃的な光景にしばしの間呆然としていた。
なぜこのような事が。あんなに、口を開けば悪口ばかりだが、好き合っていたというのになぜ。
疑問しか浮かばなかった。
「くそ・・・っ! エルファ、早くフィルちゃんの容態見てくれ!」
離れろと叫んだにもかかわらず、バースもまた眼前の惨事に目を奪われていた。
誰よりも早く異変に気付いたのは、リグの背に回ったフィルの腕が奇妙な動きをして、なおかつぎらりと光る何かを持っていたから。
まさかとは思った。あれはきっと、指輪か何かであって人を傷つけるような代物ではないはずだ。
頭ではそう決めつけたが、本能的に口から離れろと絶叫が迸っていた。
それでも間に合わなかった。
当たり前だ、腕の中の愛しい存在が危害を加えようなど、どこの彼氏が考えるだろうか。
「リグ、おいリグ!」
「おかしいよバース・・・、フィルが使った武器がないよ・・・?」
「・・・あの野郎・・・・・・・!!」
短剣はなくなったわけではないとバースは気付いていた。
フィルの手から滑り落ちたそれは、砂のように分解したのだ。
もちろんそのことにエルファが気付くはずはない。
そんな術があることすら知らないだろう。
バースはライムたちにリグをフィルを任せエルファに看病を頼むと、牢の床に落ちているさらさらとした銀色の砂を手に取って握り締めた。
こうすればわからないとでも思ったのか。
それとも、自分にだけ知らせたかったのか。
どちらにせよ、許しがたい行為だった。
「・・・いい加減、面出せよ」
「おや、さすがにその感覚までは鈍ってないんだね。まったく、消えろと言ったり出て来いと言ったり」
バースは地下室から人気がなくなったことを確認すると、虚空に向かって砂を投げつけた。
こうでもしなければ異なる空間をこじ開けることができない。
エルフの里でもこんなことやった気がする。
バースが砂を投げつけた何もないはずの空間が一瞬歪み、黒衣に身を包んだ男が現れた。
男の姿を認めた直後、バースの手に魔力が集約し始める。
明るい光を放つバースの手を見つめた男が目を細めた。
「昨日は僕の攻撃を相殺。今日はついに撃破ってわけかい?」
「そうされる原因作ったのはてめぇだろうが」
「悲しいねぇ、そんなに言葉遣いまで悪くなって。でも無理だよ、十八番のマヒャド唱えるのにも苦労してたお前に僕は倒せない」
「いい子ぶって僕とか言ってんじゃねぇよ!」
悔しいが、言われたとおりだった。
一度は集まっていた光が散り散りになる。
バースは大きく息を吐くと、つかつかと男に歩み寄った。
一発がつんと殴ってやりたい気分だ。
本当に、人の感情を逆撫ですることしかしない憎い男だ。
同じ人間だとは思えなかったし、思いたくもない。
それでも関わり合いを持たなければならないのは、それが己に課せられた責務だからだ。
そうでなければ、視界にすら入れたくない。
「行為者の力が途切れたら証拠も一緒に隠滅。こんな芸当できんのは俺らくらいだ」
「そうだね。他のクズどもは術を使うどころか、この砂さえ見つけられない」
お前が愛し抜いてるあの小娘もね。
エルファのことを指摘されたバースの眉間に深く皺が刻まれる。
彼女はクズでも小娘でもない。
エルファーランという美しい名前を持っている素晴らしい女性だ。
もっとも、こんな下衆にエルファの名を呼ばれたくなどなかったが。
「こっちに来て勇者を襲わせて、何がしたいんだよ」
「愚問だね。わかってるだろ? あの方のためさ」
「あぁそうだろうさ、てめぇはそういう奴だ。だけど・・・、勇者はもちろん、あいつらに手を出したら容赦しない」
「・・・お前は昔からそうだ。物事の本質を見極めようとしない。行き当たりばったりですぐに感情移入をし、挙句に多大な犠牲を払ってる」
「それが人だ。てめぇは違う、人の形した悪魔だ」
悪魔で結構、と男はにこりと笑った。
それがますますバースは気に入らなかった。
フィルを呪いリグを傷つけさせ、2人に精神的に大きなダメージを与える。
なまじ人の感情を理解しているからこそ取れる卑劣な行為だった。
だからさらに許せないのだ。
人の心を弄んで何が楽しいというんだ。
授けられた力は、使い道を誤ってはならないというのに。
「てめぇがこれから先何を仕掛けてこようが、俺が全部締め出してやる。いつまでも昔のままだと思うんじゃねぇ」
「思わないさ。でも、お前もそろそろ目を覚ますべきなんじゃないかな?」
「黙ってろ。・・・本当に、てめぇを見てると虫唾が走るよ、プローズ」
バースはくるりと男――――、プローズに背を向けると歩き出した。
呪いだろうが何だろうが、2人に命の別条はないだろう。
相手の目的が抹殺でないことからしてもそれは当然のことだった。
あれの目的はおそらく、2人を精神的に追い詰めるということなのだから。
「・・・奇遇だね。僕もお前を見てるとどうしようもなく苛々するよ、バース」
地下室から消えたバースに向かって小さく呟くと、プローズはマントをひらりとはためかせた。
頭巾の端からちらりと見えたその髪は、眩い銀の光を発していた。
エルファはリグとフィルの枕元で看病を続けていた。
リグの怪我は大したことなかった。
操られていてもなお、フィルの体がリグを刺すことを拒否したのだろう。
思ったよりも浅い傷だった。
ただ、フィルの頬の傷は少し跡が残る可能性があった。
「・・・でも」
肉体の傷が浅くとも、心が負った傷は計り知れないものだった。
リグはともかく、フィルは己の行為に絶望してしまうかもしれない。
たとえ操られていたとはいえ、恋人を刺したという事実に違いはないのだ。
リグが許しても、フィル自身が自分を許せないだろう。
気に病むなと言ってもきっと聞かないだろう。
フィルはそういう子だった。
「神様・・・、どうかリグとフィルに神の祝福を・・・・・・」
エルファが小声で祈りを捧げていると、フィルがぼんやりと目を開けた。
制止も聞かずに体を起こし、隣のベッドへと視線を移す。
物言わずとっくりと眠りに就いているリグの姿を認めたフィルの顔が、これ以上ないくらいに真っ青になった。
back・
next
長編小説に戻る