時と翼と英雄たち

商人の町    7





 リグは、フィルの言葉の意味を理解しかねていた。
ずばりとストレートに言われたわけではないけれど、確かに今、拒絶された。
関係を否定されたのだ。
フィルを、大切な人を失うことの空しさがリグに襲いかかった。
フィルに刺されたことよりも、彼女が傷を作ったことよりもショックだった。
これも見越した上で、憎むべき相手はフィルを呪ったのかもしれない。
こうして別れを切り出され衝撃を受けることすら計算されていると知っていても、リグは罠から抜け出す術を持たなかった。






「フィル・・・、お前、まだ呪いが解けきってないんだろ・・・? だからそんなこと言ってんだろ?」


「ううん、もう何ともないよ。でも・・・・・・、私がリグに関わってる以上、また誰かに操られてリグを傷つけちゃうかもしれない。
 そんなのもう、嫌なの。私はリグの足枷にはなりたくない」

「いつ、誰がフィルを足枷だなんて言ったんだよ! あいつか、お前を呪った奴か!?  誰がお前を呪ったんだよ、何でそんな心にもないこと・・・!!」





 怪我の痛みも忘れ、リグはフィルをがくがくと揺さぶった。
決して会わせようとしてくれないフィルの瞳は、何も映し出してはいない。
ただ、ぎゅっと口を固く引き結びリグの激情に耐えているだけだった。
なぜそんなに頑なになる。
そんな悩みも打ち明け、明るく笑いかけてくれるフィルはどこに行った。
フィルは肩を掴んでいたリグの手を握ると、そっと肩から外した。
その手つきはとても優しいものだったが、リグには違和感の塊のように感じられた。
フィルの自分に対する動作が、どこか余所余所しいのだ。
きちんと触れられているのに、皮膚ではない別の何かが2人の間に挟まっていた。
フィルはゆっくりと首を横に振ると口を開いた。





「誰も言ってないよ、私がそう思ってるだけ。・・・私を呪ったのは全身黒ずくめの男の人。あとは名前も顔もわかんない」


「そんな変人とどんなシチュエーションで会ったんだよ・・・」


「商売上の取引で。・・・・・・どうしても欲しいものがあったの、だから」


「呪われるってのが対価なほどに高価なものだったのか? なんでそんな危険な取引すんだよ!」







 ここでリグのためよ、そう言えたらどれだけ楽になるだろうかとフィルは思った。
リグの役に立ちたかったから取引をした。
払った対価はあまりに残酷すぎて、結局はリグに迷惑をかけてしまったけれど。
だが・・・、今となっては少しくらい相手の素性を確かめておけば良かったと後悔していた。
彼がリグたちを快く思っていないことは明らかなのだ。
名前が無理でも、せめて黒頭巾を引っ張って顔ぐらい拝んでおくべきだった。





「・・・ほんとに、いろいろ迷惑かけてごめんね。私、もうこの町にはいられないの。みんなの目が覚める前に出発しなくちゃ」


「俺らと一緒にいた方が安全だって。もう、1人にさせたくないんだよ・・・」



「・・・私たち、一緒にいたらきっと辛くなる。少なくとも私は、リグを今までと同じようには見れないし、付き合えない」






 どうしてそんな冷たいことを言えるんだ。
リグはそう言いかけて、今にも泣き出しそうなフィルを見て口を閉ざした。
認めたくはないが、このままでは本当にフィルの言うとおりになりそうだった。
一度発展した関係を戻して、再びまたただの幼なじみとして接していくことは、絶対に耐えられなかった。
辛くなるのならば、いっそのこと中途半端にくっついておかずにばっさりと距離を置くべきなのかもしれない。
悔しいが、リグはフィルを引き留めることができそうになかった。
元々彼女の方が弁が立つし、今正論を述べているのは明らかにフィルの方だ。
リグは、静かに部屋を出て行くフィルを黙って見送った。
































 フィルはリグと別れ、深夜の町を歩いていた。
初めてこの土地に来た時は店どころか小屋もなくて途方に暮れたものだった。
それでも何もないならば何でもできるではないかと考え、世界で一番愛される町を作ろうと決めた。
設計図面上に描いていた建物が実際に建てられ、人々が移り住んでくるのを見た時は嬉し涙さえ出た。
私の大切な、大好きな町。
フィルはそう呟くと、サクラの木に向かって歩き始めた。
これからは、この木が町の発展を見守ってくれるだろう。






「フィルちゃん、こんな時間に1人でお散歩?」

「・・・バース?」





 サクラに近付いていくと共に、幹に誰かがもたれかかっているのが見えてきた。
自分のことを良く思っていない男たちかと思い身構えたが、声と姿でバースとわかる。
フィルはバースの手招きに応じると、彼の隣に座り込んだ。





「・・・今回はたくさん面倒なことに巻き込んじゃって、ごめんなさい・・・」


「いや。・・・俺の方こそ、ごめん」

「え?」






 上から降ってきたバースの謝罪に、フィルは思わず立ったままのバースを見上げた。
バースはフィルを見下ろしてふっと笑いかけると、視線を月に向けた。





「フィルちゃんを呪ったのは、黒ずくめの優男だったろう?」


「なんで知ってるの? 私、そのことさっきリグに言ったばっかりなのに・・・」

「そいつ、俺の知り合いなんだ。全然仲良くないけど」





 少し間をおいて、フィルはそっかと相槌を打った。
バースの知り合いだろうが、彼に謝られる筋合いはなかった。
バースはバースであり、黒ずくめの男ではないのだ。




「その人はリグのことが嫌いなの?」


「そいつ自身はリグのことどうでもいいと思ってるだろうけど、奴の上司が嫌ってる。でもって、俺は奴もその上司も大っ嫌い」


「そのこと、リグたちも知ってるの?」


「いや。・・・でも、リグは会ったことある、この町で。会った時はどうも思ってなかったろうけど、今はものすごく憎んでるだろうな」






 バースはフィルの反応を窺うために、自らもまた木の根に腰を下ろした。
友人の彼女と深夜にこっそり会うだなんてリグが知ったら相当怒るだろうが、仕方がない。
そうまでして人目を避けなければならない理由があるのだ。
これは、本当にリグのことを心から大切に想っているフィルにしか言えないことなのだから。






「フィルちゃんは、リグが妙に勘が良かったりちょっと変わってるってこと知ってる?」


「・・・うん。私には魔力なんてないからはっきりとはわかんないけど、リグは私たちとは違うってことはわかるよ。
 勇者だからとかじゃなくって、なんだか・・・」


「たまに飲み込まれそうになる?」





 バースの問いかけにフィルは顔を上げ、彼を見つめた。
しかし小さく頷くと寂しそうに笑い、すぐに俯いた。






「・・・その感覚はすごく好きなの。あぁ、私はリグに受け入れられてるんだってほっとするから。
 でも・・・・・・、呪われた時からは、今度はそれが怖くなった。リグの優しさとか包容力とかに飲み込まれて甘えて、傷つけそうだったから・・・」


「・・・俺はリグから優しくしてもらったことはないんだけどなー・・・」


「それはバースの日頃の行いのせいだよ・・・。
 リグはあのとおり、ちょっと人とは一線引いててなかなか深く関わろうとはしない人だけど、ほんとはすごくいい人なの。
 でも、私はあえて離れることにした、リグのために」






 フィルの突然の破局宣言に、バースは小さく驚きの声を上げた。
あの呪いの行き着く先がこれだというのか。
奴は、これによるリグのショックをも考慮していたというのか。
今のリグからフィルがいなくなることは許されなかった。
口にこそ、顔にこそ滅多に出さないものの、彼を支えているのはフィルなのだ。
リグが、本人が気付いているかどうかは知らないが、己の身よりも、もしかしたら世界よりも大切だと想っているのはフィルだけだった。
他人の恋路に口を挟むつもりはさらさらない。
けれども、バースはこの2人の行く末だけには口を挟まずにはいられなかった。
何よりも、あれの思い通りになどさせてなるものか。






「フィルちゃん、リグは今回のことに怒ったりなんかしないよ? 大体、リグも嫌だって言ったろう」


「言われた。でも、リグの弱点が私だって知られてる以上、傍にいるわけには行かないでしょ?」


「またあいつはフィルちゃんにちょっかいかけてくるかもしれない。そうなった時、俺らと一緒にいた方が安全だってば」



「・・・ねぇバース、バースならわかるんじゃない? 好き合ってた人と、まっさらな状態で向き合うことの辛さや苦しみ、もどかしさが」

「何言って・・・・・・。俺にそんな気持ちわかるはず・・・」

「嘘。・・・リグは、バースほど自分の感情を抑えることができないの。
 私は、想いの半分程度しか応えてもらえない子を寂しげに見つめてるリグなんて見たくない」







 ふとした時の自身のことを言われているようでバースは硬直した。
フィルの言い分は一見、自己中心的でとてつもなく自虐的にも思えた。
しかし、リグと離れると決めたのも、彼を事実上フったのも、全てはリグを精神的に強くするがゆえのことだった。
何もかも満たされていれば、人はそれに満足して思うがままに戦うことができる。
それではいけないとフィルは思っていた。
そのままでは、逆境に立たされても心が奮い立つことが難しいのだ。
本当の意味で強くなるのは、一度大切なものを失い、空虚な状態から立ち上がるべきなのだ。
フィルはそれを知っていたからこそ、リグと離れることに決めた。
この結果本当にリグと決別することになっても、彼女はそのことを後悔したりはしないだろう。
心の底からリグを大切に思っているからこそできる所業だった。






「バース、このことは絶対リグには言わないで。言ったら意味がなくなっちゃう」


「・・・フィルちゃん、ほんとにフィルちゃんはリグにはもったいないくらいの良い彼女だよ・・・」


「元、彼女なんだけどね。それから・・・、これは、本当にリグが強くなったと思ったらバースから教えてくれる?
 私が対価と引き換えに手に入れた、不死鳥を蘇らせる神秘の宝珠の在処」



「願わくば遠からず未来に、必ず」







 何やら文章が綴られた紙を受け取ったバースは、渡した直後に町を出たフィルの背中をただただ見つめていた。





backnext

長編小説に戻る