テドン 3
勇者オルテガ来たる。
ネクロゴンド城中にもたらされた一大ニュースは当然、ネクロゴンド神官団に所属するエルファの耳にも入っていた。
アリアハンの勇者オルテガがネクロゴンドに。
どんな人なのだろうか、逞しい男なのだろうか。
それとも案外普通の体型をしているのか。
ひょっとしたら美男子かもしれない。
初めて見る勇者と呼ばれる男に、エルファは興味津々だった。
「ねぇ、バースは勇者オルテガを見たことある?」
「いや、ないんだよなー。ま、俺よりいい男じゃないとは思うけど」
「そうだね、バースよりも私を楽しませてくれる人はいないね」
「あーもうまったく照れることさらっと言ってくるんだからこの子は!」
喜びのイオをどかんと中庭に散らしたバースは、背後に迫り来る威圧感に誰に悟られるでもなく静かに冷や汗を垂らした。
まずい、ちょっと調子に乗りすぎたか。
バースさん? にこりと美しく微笑んだ王女リゼリュシータは、バースとエルファの間にやや強引に腰を下ろした。
「これは王女、今日も大層麗しゅう」
「本音は『また来やがったな邪魔しやがって』でしょう?」
「王女・・・、そのようなはしたない言葉遣いはお控え下さい」
「そうですねエルファ。狼のような物騒な男の口真似など、すべきではありませんでしたね」
はしたない、狼、物騒と3コンボで否定されたバースは、あははと乾いた笑い声を上げた。
この愛は、誰かに邪魔されることによって更に熱く燃え盛るのだ。
男そっちのけでにこやかに談笑する麗しい娘2人を眺め、バースはふっと頬を緩めた。
近いという理由だけで身を寄せたこの国は楽園だった。
賢明な王を擁し、彼や国を守る神官団員は皆とても優れている。
出会った少女は非常に可愛らしく、猛アプローチして恋人となった今は、更に王国生活が楽しくなった。
何よりも、魔物の影がないことが良かった。
それもこれもリゼリュシータ王女のおかげだ。
バースは、国内では神官団長であるタスマンしか知らない事実に気付いていた。
彼女がいてこその平和。王女は国の宝だった。
「そういえば、王女は勇者オルテガとお会いできるんですよね」
「ええ、賓客をもてなすのも王族の務めですから・・・」
「あまり、気が進まないのですか・・・?」
「いいえ。ただ・・・・・・、私とは全く境遇の違う方なので、戸惑いが大きくて・・・」
羨ましいだけかもしれませんねと続け、リゼリュシータは寂しげに笑った。
最近の王女はよく城の外に出たがる。
暮らしに不自由しているわけではないが、簡単に言ってしまえば退屈なのだろう。
自身を籠の中の鳥と言ってみたりしているし、相当ストレスが溜まっているように思えた。
決められた範囲内でのみ生き、定められた道を歩んでいくだけの人生。
自分らしい自由な生き方を認められない生活に嫌気が差している。
エルファは、己の力では叶えてやることのできない王女の夢を知っているだけに苦しかった。
なんとかしてやりたいとは思うが、国に仕える人間である以上、守るべき対象にある王女を野放しにするわけにはいかなかった。
「オルテガに余所の国の話とか訊いてみたらどうです? 旅した気分にはなれそうですよ」
「あなたもたまにはいいことを言うのですね。もちろんお聞きします、私が嫁ぐことになる国のことも・・・」
バースとエルファに聞こえるか聞こえないかという微かな声で呟いたリゼリュシータは、ふわりと立ち上がると2人に背を向けた。
勇者を出迎えるための準備があるのだと告げ去って行った王女を、2人はずっと見送っていた。
間近で見た勇者オルテガは大きな人だった。
懐の広さ、包容力、大らかさ。すべてが誰よりも優れているように思えた。
いかにも王女が憧れそうな人だな。
いや、もしかしたらすでに彼女の心にはオルテガが住んでいるかもしれない。
エルファは形式上は王女と賓客として接しているリゼリュシータとオルテガを窓越しに眺め、一抹の不安を覚えた。
王女と勇者が親しくなるのはいいことだと思う。
思うのだが、得体の知れない不安がエルファを襲っていた。
なんというか、親しくなることに代償がありそうな気がしたのだ。
「王女ってあんな華やいだ表情できたんだな。俺にはちっともしてくれないのに」
「バース・・・。・・・うん、でも私もちょっとびっくりしてる。リゼリュシータ様、すごく楽しそう」
「世界中を旅して様々な魔物と戦い葬ってきた強く逞しい勇者。外の世界知らなくて勇敢な男なんて見たこともない王女が憧れる要因はたくさんあるけど・・・・・・」
バースは頬杖をつくのをやめ真面目な顔になると、庭園で中睦まじげにしている2人を見つめた。
やはり彼も不安を抱いていたのか。
エルファは己の感覚が間違っていないことにほっとした。
「ありゃもう『憧れ』を越えてんだろ。王家に仕える人間としては複雑なんじゃないか?」
「勇者といってもオルテガ様はここではただの賓客。アリアハンと友好関係になるのは構わないだろうけど、王女があの方を愛してしまっても・・・・・・」
「結ばれないんだよ、どう考えてもあの2人は。王女には決まった相手いるんだろ?」
王女として生を受け決められた範囲でしか生きることができないリゼリュシータには、当然婚姻の自由もなかった。
しかるべき王族の息子と結婚し、王妃として一生を終える。
どうあがいても変えることができない定めだった。
だから仮に彼女がオルテガと恋仲になったとしても、添い遂げるという願いが叶うことはない。
オルテガもそれはわかっているはずだ。
わかっていても彼女と接し続けているのは、彼もまた賢く麗しい王女に恋情を抱いてしまったからだろう。
もしも王女がただの町娘だったら、矢も盾もたまらずオルテガを慕う気持ちを吐露しているだろう。
思ったことはしっかりと口に出す彼女だからこそ、今抱いているであろうオルテガへの想いを告げられないことは苦しいに違いない。
何ひとつ不自由ない生活を送ることの代償は余りにも大きかった。
「バースもそのうち帰っちゃうんだよね。寂しくなるな・・・」
「当分こっちにいるっていうか、帰るつもりないから大丈夫。
でもネクロゴンドの誇る超エリート神官団が住所不定自称賢者の俺なんかと付き合ってるってのも、よくタスマンさん許してくれたよな」
「一応神官だけど私たちが実質上仕えてるのは神様よりも王って感じだから」
妻帯してる人もいるから気にしないでと笑顔で話すエルファに、バースはしばしの間見惚れた。
ネクロゴンド神官団。神官、僧としても高い徳を積み武芸や魔法に秀でた国中のエリートが集う、ネクロゴンド王国が全世界に誇ることができる王家直属の部隊である。
神官団長のタスマンを筆頭に団員たちは国王や王族、領内を守ることを任務としている。
エルファは弱冠15歳という最年少で神官団員になった、将来を嘱望された少女だった。
団員になって2年経とうとしているが、エルファは城での生活にようやく慣れてきたところだった。
楽しいと思えるようになったのは王女リゼリュシータと出会い、バースがふらりとネクロゴンドにやって来たころから。
今まで充実した日々を送っていたからこそ、エルファは今回のリゼリュシータとオルテガの一件を案じていた。
「そういえば今度テドンで祭りがあるって聞いたんだけど、もし良かったら案内してくれる?」
「うん、行こ! あちこちで篝火焚かれてて綺麗なんだよ」
デートみたいだねデートのつもりなんだけどと盛り上がっていると、とんとんと窓を叩かれた。
見やると、リゼリュシータがにこやかに微笑んでいる。
エルファが慌てて窓を開けると、リゼリュシータはバースをひと睨みしてエルファに尋ねた。
「2人はいつも楽しそうですが、どんなお話をしていたのですか?」
「テドンの祭りの話です」
デートプランをあっさりと暴露されバースはため息をついた。
せっかく王女に内緒で行こうと思っていたのに、彼女に知れたら面倒ではないか。
エルファに関しては容赦しない彼女だ。
バースにとってリゼリュシータは一番のライバルだった。
「祭りがあるのですか? 楽しそうですね」
「みんなが輪になって踊ったりするんです。神官団から見回り派遣しなきゃいけないんですけど、ほとんどお遊びだから私が行こうかなって」
「エルファが? では、私も連れて行ってくれませんか?」
予期せぬ申し出にエルファとバースは顔を見合わせた。
領内とはいえ、テドンの祭に王女が訪れる?
かしこまりすぎて祭が祭りでなくなりそうだ。
どうしたものかとエルファが考えあぐねていると、リゼリュシータはエルファの悩みを見透かしたように付け加えた。
「もちろん王女としての身分は隠します。お忍びで連れて行ってくれませんか?」
「・・・王のお許しを頂けるのなら・・・。で、でも、祭りってすごく人との距離が近いんです。
私たちが頑張っても、ひょっとしたら王女に粗相をする村人がいるかもしれません」
「それが祭りの醍醐味でしょう? 私が連れて行けと頼んだのです。エルファやバースさんに迷惑がかかるようなことはしません」
そこまで言われては断れない。
それに、外に出ることすらままならない王女のたっての願いなのだ。
王の許可さえもらえれば連れて行ってやりたい。
バースは少し拗ねるだろうが、後で埋め合わせをすればどうにでもなる。
エルファがわかりましたと答えると、リゼリュシータの顔が綻んだ。
「なさらないとは思いますが、あまり羽目を外されませんように・・・」
「わかっています。・・・苦労をかけますね、2人とも」
リゼリュシータのエルファを見つめる瞳が、わずかに悲しみを帯びた。