〜時〜
ノアニールの町に活気が戻った。
リグたちがエルフの里の女王と交渉したためだ。
人々はなぜこのような仕打ちを受けたのか知らなかった。
知らない方が良かっただろう。
自分たちが眠りに就いている間に、世界は10年という決して短くはない時を刻んでいたのだから。
「・・・この町だけ時間がおかしなことになってるってのはみんな、わかっただろ?」
ひととおり町を見回ってからバースは口を開いた。
彼の言っていることがリグには痛いほどよくわかった。
この町に住む者が、つい先日オルテガと名乗る戦士がこの町を発っていったと話したからだ。
リグの父であるオルテガはこの世を去ったと言われて既に久しい。
息子であるリグですら彼と過ごしたという思い出はあまりないのだ。
それなのになぜこの町の者はオルテガが最近発っていったなどと話すだろう。
答えは1つしかない。
この町の時が止まって、人々は10年もの間眠りについていた。
とても考えられそうになかったが、紛れもない事実だった。
「もしも10年くらいの時間が過ぎてるってことを知らないで、ここの人たちが知り合いとかに会いに行ったら? みんな、どうしようもない混乱に陥るんじゃないかな」
エルファの言ったことはもっともだった。
この事件を知っているのはリグたちと里の女王だけだ。
町の者たちは皆眠りに就いていたのだから知るはずがなかった。
「でも、だからといって俺たちに何ができる? このまま眠っとけば良かったってわけでもないだろ? こうなるって最初からわかってても・・・」
「私たちは同じことをしてたと思うわ。ここの人たちだけが狂った時間を過ごしてるっていう事実はもう変えられないの。
それはいずれ町の人だって遅かれ早かれ気付くことだと思う。・・・私はこのままでいいと思う。
今さらどうこうできる話でもないし、私たちは神様でも精霊でもないんだから」
ライムの言葉を聞きリグははっとした。
その通りだ。起こってしまったことはもう変えられない。
無理やり変えようとしても、それはどこかで必ず歪みが生じてしまう。
受け入れるしかない、これも彼らの歩む道なのだ。
リグは現実の重みを改めて知った。
夜の森を駆ける者がいた。
闇に強い魔物たちは容赦なく旅人に襲い掛かる。
しかしその度に魔物たちの断末魔の叫び声が聞こえ、旅人の足音だけがした。
旅人はバースだった。
迫り来る魔物達を次々と呪文でなぎ払い、彼は再びエルフの里へと向かっていた。
里を出る時に女王から言われた言葉が彼の脳裏を横切った。
言われなくてもわかっていると言いたかった。
しかし、わかっているのと受け入れるのとでは違う。
ノアニールの住人たちを目の当たりにし、改めてそれに気付かされていた。
彼はひたすら走っていた。
「夜遅くによくここまで無傷で辿り着きましたね。さすがは・・・」
「バースです。女王こそこんな遅くまで起きていて下さって良かったです。・・・女王が俺に仰りたいことは、俺自身がよくわかってます。
でもあなたは、こうなると知っていて彼らを眠りに就かせたのでしょう? 俺とは違う」
「確かに私は、あの者たちが狂った時を過ごすことになると知っていました。あなた方がその眠りを覚ますというのは予想していませんでしたが。
私は人間たちを今でも快く思ってはいません。・・・けれども、命を奪おうとは思いません。
あの町の者たちを根絶やしにすることも本当はできました。エルフの魔力を知っているでしょう? 私たちに敵う者はごくわずかなのですから」
「知ってます。誰がエルフに敵う力を持っているのか、残念なことにそれも知ってる。・・・女王が人間たちの命を奪わなかったのは、それは精霊の御意思ですね」
「そうです。今でこそあの方も眠りに就かれておいでですが、その御意思はわかります。命あるものを尊く思う、私もそう思っています。
いくら人間といえど、彼らもまた命あるもの。しかし、命を永らえさせるということは、彼らの時を動かすということ。
それがどれだけの影響を及ぼすのかは、誰にもわかりません。ただ・・・」
そう言いかけて女王は言葉を切った。
真っ直ぐとバースを見つめる。
彼と会うのはこの間が初めてだった。
だから、彼がどのような人物かは知っていても、どのような人生を歩んできたのかは知ることができない。
それでも、彼もまた時を動かし今ここに在る。
それだけは知ることができた。
「エルファという者もまた、時を動かされた者ですね。彼女がなぜそのようになったのかは私にはわかりませんが・・・、あの娘を守りたいと思っているのでしょう?
そうだとしたら、何があっても絶対に守り抜くことです。決して後悔はしてはいけません、これから何があっても」
言いたいことをすべて言い終わったのか、女王はバースに背を向けた。
バースは背中しか見ることができない女王に向かってにこりと笑いかけた。
「ご忠告ありがとうございます。俺の仲間・・・、リグたちは何も知らないけど、たぶんいつの日か俺たちのことをわかってくれるんじゃないかって思ってます。
・・・エルファのことは心配しないで下さい。女王に言われるまでもなく、俺はあの子をずっと守ってますから、いつだって」
そう言うとバースは女王に一礼してルーラを発動した。
ノアニールのリグたちの元へと帰ったのだろう。
女王は空を仰いだ。
星々がきらめいていた。
翌日、バースはリグに叱られていた。
「昨日、ふっと起きたらバースはいないし焦ったんだぞ。もしかして盗みに走ったんじゃないだろうか、とか」
「野暮なこと言うなよ。俺は見た目だけ盗賊の姿してんの。現に物を奪うのは魔物たちからだけだろ」
「でもね、朝リグからバースがいなくなっちゃったって聞いて、私すっごく心配したんだよ? 私の呪文の覚えが悪いから、痺れ切らして1人旅に出ちゃったんじゃないかとか・・・」
「エルファの元からいなくなるわけないだろ? 俺はいつだってエルファの傍にいるからな」
「朝からエルファを口説かない。ったく、黙ってればまだ見込みがあるのに、隙を突いたらすぐにこれなんだから・・・」
「いいじゃん。男は多少積極的な方がかっこよく見えるってもんだ」
「・・・ほんとかそれ?」
今日も彼らは賑やかだった。