フィフスセクターから監視役という名の刺客が現れて以来、毎日泣いている気がする。
中学2年生にもなって男が毎日ぐずぐずぐずぐず泣いているなどみっともないと自分でもわかっているし、泣いている原因が年下の1年坊主のせいだということももっとみっともなさに
拍車をかけているが、泣くのを我慢して歯を食い縛ると勝手に涙が出てきてしまうのだからどうしようもない。
我慢しなかったらすぐに泣いて、我慢しても泣いて、涙腺が壊れているのかもしれない。
本当に体に問題があるのならば医者に診てもらいたいが、どこも悪くない時は即ちただの泣き虫だと判明してしまうのでリスクが高い。
フィフスセクターの刺客とやたらとサッカーに熱い新入部員の1年と、有能なのだろうが何を考えているのか未だにさっぱりわからない久遠監督。
今日は新たに、練習試合での勝敗指示まで舞い込んだ。
1日が過ぎるごとに悩み事ばかり増えていき、今夜あたりにはついに夜泣きが始まりそうだ。
夜泣きはまずい。
ただでさえ向こうが暖めようとしないだけだが、氷のように冷めた仲にクレバスができ一生対岸に渡れなくなる。
逃れられそうにない更なる地獄を思い、目頭が熱くなる。
駄目だ、ここはまだ家じゃない。
帰り道でぐずぐずと泣いていると、不審者もしくは苛められっ子と思われかねない。
今置かれている状況は意味不明の1年坊主と暑苦しいサッカーバカ1年に精神的に追い詰められているので苛められっ子と表現しても間違いではない気がするが、
とにかくまったくの外で泣いてはいけない。
頑張れ俺、家に帰るまで気を抜くな。
唇をきつく結び再び歩き始めた神童は、前方の電信柱からぬっと現れた見ず知らずの女性に甲高い声で名を連呼され、いよいよ声を上げて泣きたくなった。
「あの、雷門サッカー部の神童さんですよね?」
「そうですが・・・」
「やっぱり! あの、この子うちの子です。栄都学園サッカー部でMFやってますの」
「栄都学園・・・」
面倒な人に捕まってしまった。
よりにもよって次の練習試合で対戦し、なおかつ勝ち星を献上しなければならない学校の生徒及びその保護者に会うとは最近本当についていない。
ついていないあれやこれやがすべてサッカー部崩壊の前兆のように感じられ、物事に対して疑い深くなっている。
神童は、マシンガンのごとく喋り続ける母親の言葉を半ば停止した思考の中で聞いていた。
もしも俺がもっとはっきりと物を言える男だったら、フィフスセクターにサッカー部を潰される危機を味わうことはなかったのだろうか。
大切なものを守りたいのに守れるだけの力がなくて、力が欲しいと願っても手に入れる方法すらわからない。
本当はとても弱いのに弱さを見せるのが嫌で、誰よりも大切な人に大きく出ては嫌われてしまう。
神童はすっと差し出された目の前の紙切れに、思わず母親を凝視した。
「クラシックが大層お好きだと聞いたものですから・・・」
「え・・・?」
「1点でいいんです、1点で! 1点で息子の内申は上がるんです」
「こ、困ります! こんなもの!」
「たまたま手に入っただけですから気にしないで下さいまし」
「だから・・・!」
「あら、お宅もしかして田中さん? やぁだお久し振り、お元気?」
素っ頓狂な笑い方をして元気に決まってるわよねーえ?
田中でもなんでもない相手を人違いでもしたのか勝手に田中と呼ばわり、フランクに肩を叩き声をかけてきた突然の乱入者に驚いた神童の手から
賄賂として贈られたクラシックコンサートのチケットが零れ落ちる。
うちは田中じゃありませんあなたこそどなたと金切声をあげる田中もとい一筆家の母親を一瞥し、乱入者が地面に落ちたチケットを拾い上げる。
すごく綺麗に意地の悪い笑みを浮かべる人だ、目が離せない。
神童はするりと自身と母親の間に割り込んだ乱入者の整った横顔を、食い入るように見つめた。
「ごめんなさぁい、お宅よーく見なくても田中さんじゃなかったわ。それに、私に田中って知り合いいなかったわ」
「ま、なんて失礼な人! ささ、それをこの子に返して下さらない?」
「これ? ねぇ、これ欲しい?」
チケットをひらりとかざし尋ねられ、慌てて大きく首を横に振る。
でしょでしょやっぱりだよねぇと今度は人懐こい笑みを浮かべた乱入者に、思わずこちらの表情も緩む。
ふふっ、やっぱり雷門のキャプテンはイケメンだあ。
イケメンは笑っている方がもっとイケメンだ。
は買い物の帰り道たまたま出くわした雷門中サッカー部キャプテンとモンスターペアレンツの戦いに割り込むと、親バカも甚だしい母親とその息子を順に見てぴしゃりと言い放った。
「重ね重ねごめんなさい、あんまり面白いお話してたからつい立ち聞きしてました。お宅も考え狭いわね、そういうのはフィフスなんとかってのに持ってかなくちゃ」
「「は!?」」
「だって今のサッカー界牛耳ってるのってフィフスなんとかのセイテイって奴なんでしょ? だったらそいつに大金とか渡して心動かす方が手っ取り早くない?」
「あ、あなた何言ってるんですか!? 恐ろしい人・・・」
「はあ? 息子のためにきったない道進むつもりならもっと確実なところ攻めないと汚れ損でしょ。それともなぁに、お宅はそうするだけの覚悟もないのにこんなことしてんの?」
甘っちょろいのよ、どうせやるなら徹底的にやりなさいよ。
贈賄を糾弾するどころかともすれば助長させかねない爆弾を投げつけたに、神童の頭が真っ白になる。
駄目だこの人、何もかもが駄目だ。
神童は気が付けば辿り着いていた自宅の応接間でばつの悪そうな表情を浮かべているの前で、頭を抱えていた。
はっ、これももしかして拉致!?