5.泣き虫弱虫命令無視
力強く泣く子というのは、遠目かつイケメンフィルターを通してみたぼやけた第一印象に過ぎなかったようだ。
は出会ったばかりの赤の他人の前でぐずぐずと鼻をすすっている神童を前に、静かに混乱していた。
中学生時代は同級生や腐れ縁の幼なじみを泣かせたり泣かされたりとなかなかにアクティブだったが、20代も半ばになろうとしつつある大人が子どもを泣かせたとなれば、あまりにも見苦しい。
泣かせるつもりはなかったし彼が勝手に泣き出したのだと弁解したいが、世間は後ろ盾のない一般市民の大人には優しくないようにできているので、たとえ真実がどうであっても分は向こうにある。
困ったことになった、どうしようお屋敷から帰れる気がしない。
は柔らかな肌触りで皮膚を傷つけないセレブご用達のティッシュを神童に差し出すと、ぽんぽんとあやすように頭を撫でた。
「ごめんねえ、お姉さん別に僕を泣かせようとしたんじゃないんだよー?」
「知って、ます・・・!」
「だよねだよね! じゃなくて! あっれー、私ってば昔どうやって修也あやしてたっけ・・・」
「う・・・」
「ああなんでもないなんでもない、よしよし撫で撫で! 大人ってやよねえ、僕みたいな子どもに八百長吹っかけたりしてほんとばっかじゃないの」
「なん、で、知ってるん、ですか」
「あれ、違った? そんなとこかなあと思ってお邪魔したんだけど、もしかしてただのデートのお誘いだった? はっ、私ほんとのお邪魔虫だった!?」
そんなわけないじゃないですかあと呟き、再びしくしくと泣き始めた神童にはえぇと悲嘆と驚きの混じった声を上げた。
今時の子どもの落涙ポイントがわからない。
これ以上泣かせると、虐待だか苛めだかで警察のお世話になりかねない。
警察沙汰に巻き込まれ巻き込んだ連中を刑務所に突っ込むのは得意だが、こちらの手が後ろに回るようなことはしたくないに決まっている。
しかし、このまま泣いている子を放っておくことはできない。
仕方がない、こうなったら悲しさから気分を強制的に紛らわせるしかない。
はソファーから腰を上げると、向かいで泣いている神童の隣に座った。
よしよしが効かないならば、ハグをすればいいじゃない。
昔は、どんなに怒り悲しみネガティブな気分になっていてもよしよしとハグでほとんどの負の感情は浄化できていた。
は神童に向かって手を伸ばすと、横からそっと腕を回した。
「え・・・?」
「よしよし、ぎゅうー。そりゃいつもとおんなじようにサッカーしてただけなのに、ある日いきなりキチガイが来てサッカー部ぶっ潰すとか言われたらびっくりするよねえ。キチガイってほんと迷惑だもん、泣きたくもなるって」
「あ、の・・・」
「もう、とっくにめいっぱい頑張ってんのにこれ以上の頑張り求められたり頑張りわかってくれない人いると苛々するしわかるわかる、私も昔それで友だちキチガイに持ってかれたことあるよ」
「・・・あなたも色々あったんですか・・・?」
「そう! ほんともう色々色々、あ、今も色々の真っ最中でだからこんなとこ、あっ、別に僕のお屋敷に連れて来られたことじゃないから泣いちゃやぁよ、とにかくすっごく色々あった色々の先輩!」
だから、泣きたいなら涙乾いて前が見えるようになるまで泣けばいいよ。
不思議だ、彼女の言っていることは意味不明な部分もそれなりにあるのに妙に気分が落ち着いてくる。
あやされるほどの子どもではないのだが、とんとんと心臓の鼓動とよく似たリズムで柔らかく叩かれる背中も心地良い。
暖かくて少しだけ柔らかくていい匂いのする腕の中にいると、とめどなく流れていた涙が嘘のように干上がっていく。
前、見えました。
思わずそう報告すると、そっかあ良かったと心底ほっとしたような声が頭上から聞こえてくる。
名残惜しい温もりから離され、はっきりと見えるようになった両の瞳で温もりの持ち主を見つめる。
泣き止んだことによほど安堵し嬉しかったのか、満面の笑みの女性と目が合いこちらもぎこちなく笑い返してみる。
笑ってる方が僕はイケメンですねえとからかうように言われ、むっとする。
泣いている時から引っかかっていたが、人を僕と呼ぶとは彼女はいったいどれだけこちらを子ども扱いしているのだ。
次も僕と呼んだらまた泣くぞ。
神童は冷めかけた紅茶にいそいそと手を伸ばしかけていたに向かって、僕じゃありませんと口を尖らせた。
「俺は神童拓人です。あなたがどこまで知っているのか知りませんが」
「雷門中サッカー部のキャプテンでしょ。へえ、神童くん!」
「そしてあなたは誰ですか」
「通りすがりの綺麗なお姉さん?」
「ふざけないで下さい。見ず知らずの人を家に入れたとなれば、下手をすればあなたは不審者で最悪ガードを呼ばなければなりません」
「はあ、おんなじセレブお屋敷でもこんなに違うなんてびっくり」
「さん、ですか?」
「あれ、神童くん知ってんじゃん」
やっぱ知ってる人は知ってるのよ、だって私出るとこ出たら有名人だもん。
自分で自分の名前を言ったと気付かないままにいと笑うに、神童は小さく息を吐いた。
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