9.鎖のフラグ
大好きな人が、あんな奴のことで悩んでいた。
あんな奴が、大好きな人を困らせていた。
押しつけがましい責任感を持つあれごときのせいで、また新たな被害者が生まれているらしい。
蘭丸くんが困るようなことしないで。
そういたくもない神童の自室で言い放つと、事の次第がわかっているのかいないのか神童は緩く微笑むと頷いた。
「・・・そう言うと思ってたよ」
「神のタクト様にはなんでもお見通しとでも言いたいの? 見えてたんならわかってるでしょ、早く私を解放して」
「相変わらず酷い言いようだな・・・。責任感からじゃなくて本気だからだと、何をすれば信じてくれる?」
「信じたくはないし、知ったところで嫌でしかないからやめてって言ってるの。この間の試合だって、拓人さんのせいで蘭丸くんや倉間くん迷惑してたじゃない」
「観に来てくれてたんだな。ありがとう、すごく嬉しい」
論点がずれていると非難すると、お互い様だと即座に言い返される。
いつもそうだ。
神童はいつもこちらの話をのらりくらりと交わし、気が付けばすぐ近くに迫ってきている。
霧野は笑いながらお似合いじゃないかと言うが、いくら大好きな人の言葉であれ、いや、大好きな人の戯言だからこそ身に堪える。
神童とお似合いだなんて、神童が霧野にならない限りお断りだ。
「ねえ、どうして気付いてくれないの? それとも気付いててわざとやってるの? 私、拓人さんのこと嫌いよ、嫌い嫌い、大嫌い」
嫌いと言ってもなお笑みを絶やさない神童を見ていると、独り相撲をしているようで空しくもなる。
神童は駄々っ子のようにこちらを嫌いだと連呼する愛しい反逆者に、嫌悪をも包み込みたい笑みを向けた。
夢はあった。
憧れている人もいたし、その人に近付きたくて練習に明け暮れていた日ももちろんあった。
しかし夢はいつしか、悪夢へと姿を変えてしまった。
清らかで楽しかった夢をどす黒く塗り潰したのは他でもない自分だ。
2人で追いかけていた夢の片方が砕けてしまった、砕いてしまった自身に夢を追い求める資格はない。
真に夢を叶えるべきは叶えたかった夢を叶えられなくなった兄であり、夢を砕いたこちらではない。
それに、才能だって兄の方が格段にあった。
剣城は車椅子での入院生活を続けている兄優一を見やり、いたたまれなくなり目を伏せた。
「まだ気にしているのか?」
「・・・・・・」
「お前はサッカーを続けろ。そして世界に行くんだ。2人の夢だろ、世界のフィールドで戦うのが。あの豪炎寺さんのように」
「その豪炎寺さんは今、フィールドにはいない。世界には兄さんが行くべきだ、俺は兄さんの活躍が見たい。足は絶対治る、だから!」
「・・・京介」
弟がサッカーを続けられる体で良かったと安堵する半面、サッカーが大好きな弟に自身の怪我という大きな重荷を背負わせたという申し訳ない気分にもなる。
怪我をしていなければ、今頃弟はサッカーだけを考えて楽しく溌剌とプレイしていた。
病院に足繁く通うこともなかったし、辛い顔をしたり、間違ってもサッカーの練習をさぼるようなことにもならなかった。
弟と同じくらい、実はこちらも弟に対して申し訳なく思っているのだ。
優一は苦しげな表情を浮かべこちらと目を合わせようとしない弟を見つめ、同じように目を伏せた。
「父さんたちから離れて、サッカーに集中できる環境にいるんだろう? お前の才能は認められているんだ、京介」
「その環境とやらじゃ、俺はケンジョウだけどな」
「ケンジョウ? 面白いじゃないか、あだ名と思えば可愛い」
確かに同じ年頃の女の子が言えば可愛くも聞こえるかもしれないが、口にしている相手は立派な大人の女性だ。
いくら彼女の見目が麗しかろうと、大人が剣城をケンジョウと呼べば馬鹿としか思えない。
サッカーに関してはごく稀にとんでもないことを言うが、それ以外の時はできれば口を開いてほしくない観賞用の美人だ。
聖帝に囲われているなど大ぼらを吹いて、聖帝がどんな人物かも知らないくせによくもしゃあしゃあと悪びれることなく言ったものだ。
中学サッカー界を管理する組織に君臨する男が、あんな観賞用を好きになるわけがない。
万が一にでも彼女を本当に囲っているのだとしたら、その時はフィフスセクターに知られないようにひっそりと聖帝の審美眼を疑い笑ってやろう。
確実に訪れるであろう嘲笑の日を思い一足先に小さく口元に笑みを刷いた剣城は、病院の入口に待ち構えているように立っていた黒木の姿を認め、笑みを引っ込めた。
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