12.せかいでいちばん嫌いな人










 彼はいったいどうしてしまったのだろうか。
は海外サッカーリーグを映しているテレビを消し、首を捻った。
日本に連れて来られた当初はフィールド上で活躍していた彼の姿が、ある日を境にぱったりと見られなくなった。
ベンチにも入っておらず、伝手を頼り情報をかき集めようとしたが確たることはわからないままだ。
本人に直接尋ねるのが手っ取り早いのだが、サッカーに打ち込んでいる彼に厄介事を抱え込ませたくないので連絡する気になれない。
他人行儀だと言われそうだが、サッカー選手である時の彼は他人だ。
フィールド上でサッカー以外のことを考えてほしくないから、思わず考え込んでしまいそうなことは口にしたくない。
そう言えば、彼はまた他人行儀だと失笑しそうだが。




「・・・ケンジョウくん、ほんと大丈夫かな」




 昨日も悩んでいたのか遅くまで起きていたようだし、今朝も顔色を悪くして出かけて行った。
サッカー部には居場所がなくて、今まで用意されていたフィフスセクターでの居場所も今回の試合でなくなったはずだ。
ケンジョウはサッカーに何を見ていたのだろうか。
サッカーを憎んでいるからサッカー部を潰そうとして、しかし人を潰そうとすることには自らの立場が危うくなることも顧みず猛反発した。
不良のくそガキは、少しずつではあるがまともな子どもに構成しつつあるらしい。
もしもこのままケンジョウが彼にとっては大きな代償を払ってフィフスセクターから足を洗えば、こちらのケンジョウシッターとしての役目も終わるのだろうか。
なぜこうなるに至ったかちっとも判明しないままに終わっていいのだろうか。
本当に終わることができるのだろうか。
厄介事に巻き込まれ経験上、一度巻き込まれた厄介事がすとんと解決することはない。
今は亡き影山とは、県境を越え国境を越えた先でも因縁の対決をした。
キングオブ巻き込み屋影山はもういないが、10年の時を経て新たなる巻き込み屋が誕生している可能性は高い。
クイーンオブ巻き込まれ屋のは、蟻地獄のような巻き込まれループの予兆を感じ取っていた。
予感は気のせいであってほしい。
もう、面倒なことに首を突っ込んで解決させられるだけの体力はない。
はいるのかどうかも定かでない運命の神様にお願いとおねだりをした。



























 ますますもって意味がわからない。
円堂は春奈から手渡された紙を見つめ、うーんと唸っていた。
フィフスセクターはどうやら本気で雷門中サッカー部を潰したいらしい。
部員も11人に満たないチームとして成立しているかどうかも定かでない看板だけは名門ブランドできらきらと輝いている雷門に、あの帝国学園をぶつけてきやがった。
中学時代から帝国とは何度も何度も戦いその度に苦戦を強いられてきたが、今回の帝国戦はかつてない厳しい戦いになりそうな気しかしない。
帝国学園サッカー部の監督があの鬼道など、様々な意味で信じたくない。
なぜここにいるんだとか、サッカーはどうしたんだとか、ここにいていいのかとか、言いたいことと訊きたいことが溢れ何をどうすればいいのかわからなくなる。
どこからどう見ても『鬼道有人』としか見えない帝国のデータリストを眺めていた円堂は、ようやく紙から目を離すと春奈へ向き直った。






「イタリアのプロリーグでプレイしていたはずじゃなかったっけ」
「最近連絡が取れなくて、私も気になってはいたんです。でもまさか、こんなことになっていただなんて・・・」
「・・・下手すると、アルティメットサンダーが完成しても封じ込められるぞ」
「ですよね・・・。そうなったら円堂さん、どうしますか」
「ゲームメーカーじゃない俺がどれだけ毎試合悩んでるか音無、知ってるだろ」
「知ってます。だからさんにぶたれたんですよね」
「元気そうで良かったよ。・・・そうだよ、がいる。音無以外で鬼道に勝てるのだけだって」
「円堂さん、さんがどこにいるか知ってるんですか? ・・・おかしいと思いませんか? どうしてさんが日本にいて、剣城くんと知り合いなのか」
の交友関係が面白いのは今に始まったことじゃないだろ。たぶん剣城も不動みたいに面白い出会い方して面白い呼び方する仲になってんだよ」
「でもやっぱりおかしいです。さん、フィフスセクター側じゃないですか・・・?」





 春奈が不安がる気持ちもわからないでもないが、たとえそうだとしてもこちらにを翻意させる手立てはない。
だけでなく鬼道もフィフスセクター側にいるのならば尚更こちらが介入する隙はないし、無理に割り込んでもまた右手一本で追い返されかねない。
すべてはかつてのチームメイトにして親友、鬼道を問い質してからだ。
円堂は携帯電話に映し出された鬼道からのメールを春奈に見せると、鉄塔広場へと歩き始めた。



























 毎日変わらぬ綺麗な笑顔と、新しいフォーメーションを考えているのか眉根を寄せた難しげな顔。
ついこの間までは当たり前のように近くにあったそれがある日突然何の前触れもなく消えてしまった日から、どれだけの日数が経ったのだろうか。
鬼道は鉄塔広場で10年前と大して変わらない景色を見下ろしながら、脳裏に焼きついて離れないあの日見た彼女の最後の笑顔を思い出していた。
昔から呪われているのではないかと思ってしまうほどにことごとくサッカーにまつわる厄介事に巻き込まれていただから、
今回突然姿を消したのもおそらくはサッカーに関する何かに巻き込まれたからなのだろう。
表舞台に出ることが少ないためサポーターたち一般人にはあまり知られていないが、は欧米を拠点にプレイするサッカー選手や指導者たちの間では有名な存在だ。
誰もが見向きもしなかった弱小サッカークラブを下部リーグでクラブ史上初の優勝に導き上部チームの常勝チームに育て上げ、また、誰も気付きもしなかった無名の選手の才能を見出しトップリーグで活躍するスーパースターに仕立て上げた凄まじい観察力の持ち主。
長期休暇のアルバイト感覚で始めた地方チームの監督兼コーチが、今では押しも押されぬ一流コーチになっている。
本人はコーチなんて偉すぎでしょと相変わらずへらりのらりとして強豪チームのオファーを断りのんびりと無名チームで過ごしているが、鬼道は、の時を経て更に研ぎ澄まされた戦術眼に全幅の信頼と尊敬の念、そして愛情を寄せていた。
だから信頼でき、愛おしく思える。
彼女と立つフィールドは違うが、同じサッカーを見て目指すものも同じだから立場が違っても戦える。
より強く、より楽しく、よりどきどきする華麗なサッカーをさせる、することが2人が見た道のゴールだ。
サッカーの成長に終わりはない。
限界がないから、どこまでも歩いていける。
そう思っていたから、そうするつもりだったからショックだった。
どこへ行ったのか探そうとしても、手がかりをつかもうとしたら糸が千切れてしまう。
まるで意図的に隠されているかのようで薄気味悪かった。
どこにいるんだ。
そう小さく呟いた直後、鬼道と名を呼ばれ振り返る。
円堂も春奈も怖い顔をしている。
ああ、そういえば怖い顔はしばらく見なかったが俺はいい男だったのかな。
またぼんやりと思いだしかけた鬼道は、ゆっくりと首を横に振ると一時的に頭の中のを隅に追いやった。





「しばらくだったな、円堂」
「鬼道、なんで帝国の監督に?」
「円堂が雷門の監督なら、俺が帝国の監督になって何の不思議がある」
「帝国はフィフスセクターの言いなりだと聞いた。鬼道・・・、お前はフィフスセクターの」
「時代は変わった。サッカーも変わらなければならない時が来たんだ」
「サッカーの勝ち負けを決めることは、どんな理由があろうと間違ってる。サッカーはサッカーだ、そのくらいお前にわからないわけがないだろう!」
「・・・相変わらず熱いな円堂。だが、熱さだけでは世の中は変わらん。お前のサッカーが正しいと言うならフィールドで証明して見せるんだな。・・・もっとも、雷門が我が帝国に太刀打ちできるとは思わんが」





 円堂の監督、指導者としての実力は知っている。
フォーメーションや戦術を臨機応変に指示し、指示通りに動くことができる鍛え上げられた帝国に雷門が勝てるとは思えない。
神のタクトと呼ばれる天才ゲームメーカー神童の存在は脅威だが、逆を言えば彼を封じさえすれば雷門など恐れるに足りない。
聖帝も用心深い男だと思う。
演出のためとはいえ、ぶつけ散らせるのは準決勝ではいささか舞台照明が足りない。





「ゲームメークで俺が鬼道に勝てるわけないって。天才ゲームメーカー鬼道有人にゲームメークで勝てるのは不動とかフィディオくらいだろうしな」
「ふっ、買い被られたものだな」
「・・・鬼道、お前嫁さんどうした?」
「寝ぼけているのか? 妻はいない」
に会った。日本にいる」





 なら勝てるだろ、むしろじゃないと帝国には勝てなさそうだしな。
様子を窺うように尋ねてくる円堂からわずかに視線をそらし、ゆっくりと口を開く。
だからどうした。
心にも思っていない嘘しかないたった7文字の震えながら吐き出された言葉が、円堂と鬼道の間を抜けた突風に攫われた。







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