今日もフィフスセクター本部は停電ないしは省エネ中なのだろうか。
は二度目の訪問となる薄暗い施設の中でもひときわ暗いであろう部屋の扉の前に仁王立ちし、きりりと眉を吊り上げていた。
先日は平手打ちをしたが、今日は手加減せず拳で殴るつもりだ。
大丈夫だ、向こうはこちらを愛人として囲いたいほどに入れ込んでいるようだから多少のやんちゃは許されるはずだ。
殴ったところで奴のやったことは帳消しにならないが、そうでもしなければもやもやと苛々が治まらない。
久々にこちらのお目付け役という任務を思い出したらしい黒木が、重く分厚い扉をノックする。
はぎいと開かれた扉にするりと入ると、黒木を外に押し出し扉を素早く締めた。
「2人きりの方が嬉しいだろうから気ぃ利かせてあげたの、どう?」
「・・・悪くないな」
「でしょ」
相変わらず部屋の奥にしつらえられた壇上の豪華な椅子に腰かけたままの聖帝を見上げ、かつかつと大股で歩を進める。
本当は照明を点けて明るいところで狙い誤たず頬をぶん殴りたいが、スイッチが見つからないので手探りで手当たり次第に殴る先鋒を取る。
玉座へ続く段へ足をかけようとしたは、待てと静かに声をかけられ足を止めた。
「何をしに来たのか教えてくれ」
「ぶん殴りに来た「その理由だ」
「ケンジョウくんのお兄ちゃん人質に取ってケンジョウくんのサッカー人生滅茶苦茶にしたでしょ。さっすが聖帝サマ、やることが悪どーい」
「ケンジョウはケンジョウと呼ばないぞ」
「はあ? 剣に城で他のどう呼ぶっての、ほらケンジョウくん」
「・・・私は『ケンジョウ』には何もしていない。ゆえに、殴られるいわれはない」
いちいち腹が立つ回りくどい男だ。
殴られるのが怖いなら素直に恐怖をさらけ出せばいいのに、時間稼ぎのためだか屁理屈ばかり連ねて意気地がない。
決めた、奴への制裁は出血大サービスで拳骨も増やそう。
は聖帝の制止を振り切ると、階段を一気に駆け上がった。
ターゲットまであと10歩足らず、もう逃がさない。
柔らかな絨毯を踏みしめた時、今まで座ってばかりだった影がぬっと大きくなった。
「これ以上近付かない方がいい」
「そんなの聞くわけないっての」
「私の・・・、俺のためじゃない」
「今更びびってんの? だーめ、もう遅い」
「そうじゃない。・・・来たら後悔する、色んなことを後悔する。だから来るな、来ないまま俺に従ってくれ」
と懇願するように名を呼ばれたと同時に、は怖気づいた男の顔へ拳を振り上げた。
身に迫る危険を察知したのか手首をがしりとつかまれ、拘束から逃れようと身を捩ると体勢を崩し絨毯の上に転がる。
なんて非道な奴だ、か弱い女性に手を上げ力任せに床に伸しやがった。
自身が先手を打とうとしたことを棚に上げ聖帝の正当防衛に憤っていると、ようやく停電が復旧したのか部屋が明るくなる。
嘘でしょ。
手首をつかんだまま自身に跨る男の顔に、の脳内回路が停電した。
「・・・・・・だから近付かない方がいいと言ったんだ」
「・・・・・・何、やってんの、しゅ「イシドシュウジだ」
「いや、修也でしょ。ねぇ、何やってんの? 何馬鹿なことやってんの? 馬鹿はサッカーバカだけにしてよ」
「・・・今は言わない。・・・俺の言うことを聞いてくれ、」
「ねぇ、何やってんの? ケンジョウくんに何してんの? あんた誰? あっ、修也にそっくりなだけで実は真人くん?」
「、今の俺はが知ってる俺じゃない」
「わかってるってばそんなこと!」
手首をつかんだままだった豪炎寺の手を振り払い、がばりと身を起こす。
は久方ぶりに再会した幼なじみを睨みつけると、もう何度目かもわからない問いを発した。
「何やってんの? ねぇ、修也何やってんの? 何させてんの?」
「だから言わない」
「私をここに連れて来たのも修也なの? あの日、幸せマックスだった私をイタリアから連れ去ったのも修也?」
「・・・そうするしかなかったんだ」
「そうするって何? どうすること? そんなに気に食わない? 私が自分でない人と結婚するのがそんなに嫌?」
「・・・・・・」
「・・・ねぇ、なんとか言ってよ」
「・・・そうだって言ったらどうする?」
「ふざけるのもいい加減にしてよ!!」
勢い良く振り上げられた手に頬を張られると思い、歯を食い縛る。
覚悟した痛みは待っても訪れることはなく、頬を張る乾いた音の代わりに小さく鼻をすする音が聞こえてくる。
また泣かせてしまった。
こちらの覚悟もしていたが、いざ実際に泣かれると張り手よりも拳骨よりも暴言よりも深く鋭く傷を抉られる。
が泣いた原因のすべてはこちらにある。
だから、赤絨毯の上に崩れ落ち肩を震わせているに触れることができない。
ぶん殴ろうとして気力が削がれたのか、拳が握られたまま床にだらりと投げ出された右手が痛々しい。
俺の言うとおりにすれば良かったんだ。
そうぼそりと呟くと、目尻をぐいと拭ったがばっと顔を上げ射殺すような鋭い目で睨みつけてくる。
まだ何か言い返し、あるいはやり返してくる気力があるというのか。
思わず身構えると、が不意と目を逸らしのろりと立ち上がる。
そのまま扉に向かい歩き出し背を向けたにどこに行くんだと尋ねると、は短く答えた。
「試合」
「駄目だ、行くな」
「そう言うと思ったから行く」
「行かない方がいい。行ったら後悔する」
「もう後悔ならいっぱいした。こんな目に遭わされるんなら、修也といつまでも幼なじみやってんじゃなかった」
「じゃあこれ以上後悔しなくていいだろう。頼む、昔みたいに流されてくれ。強引に言われたらなんだかんだで流されていくになってくれ」
何が昔だ。
その昔の関係につけ込んで人を絶望と不幸と怒りと失望のどん底に叩き落とした奴の言い分なんて聞くわけがない。
たとえ流されそうになっても、その時は岩に体をぶつけてでも下流まで流されるのを阻止してみせる。
は世界で最も大嫌いな人間の頂点に躍り出た男の声を無視すると、フィフスセクターと大嫌いな幼なじみのどす黒い陰謀を叩き壊す復讐の道を歩き始めた。

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