15.男心と秋の空
憎き婚約者と同じくらいいけ好かない男を見つけた。
ラフプレーをただ注意しただけの霧野を剣呑な目で睨みつけた、サッカー部の中では見たことがないおそらくは新入部員。
注意され逆上したのかもしれないが、霧野相手に逆上するとは許しがたい。
どうせ切れるなら霧野ではなくてキャプテンたる神童に対して恨みを抱けばいいのに、神童はなぜ彼の強引なプレイを咎めないのだ。
拓人さんには負けるけど気に食わない子。
そういつの間にやら来ていたベンチでぼそりと呟くと、近くで神童や霧野たちのミニゲームを観戦していた浜野がくるりと振り返った。
「あれえ、めっずらしーお客さんじゃね?」
「浜野くん、ちょうど良かった」
「へ、日直日誌?」
「倉間くんに渡しておいてくれる? あと拓・・・神童くんにこっち見るなって伝えといて」
「りょうかーい。ちゅーかやっぱ神童限定厳しくね? 見ちゃ駄目ってどういうことよ?」
「言葉のまま、見ないでっていう意味」
「そりゃ無理な話だってー。俺が神童でも、いや、神童じゃなくて俺が俺でもガンガン見るって」
「浜野くんはいいの、邪気がないから。でもあの人はいや、あの人、私に意地悪ばかりするのよ」
意外だ、人が良すぎて人生回り道ばかりしている神童が意地悪をするなんて嘘のようだ。
クラスメイトの彼女は人と極端に馴れ合わない落ち着いた性格の子だが、神童のことだけは毛嫌いしている。
神童は彼女を見るとたちどころに満面の笑みを見せるのだが、ひょっとして神童のその笑みは意地悪相手を見つけたことに対する笑顔なのだろうか。
そうだとしたらなんと恐ろしい男だ、神童拓人。
浜野は、神童の悪魔の尻尾が見えたような気がした。
「じゃあ私帰るから、またね浜野くん」
「おつかれー」
グラウンドを後にしようと背を向けると、どこからともなく初めて聞いた声で霧野先輩も女なんじゃねという悪態が聞こえてくる。
新入部員とはいえ言っていいことと悪いことがある。
こちらが振り向いた瞬間に底意地の悪い笑みから人懐こい嘘くさい笑みへと切り替えた少年の元へ向かうと、立ち止まることなくすれ違いざまに言い放った。
「蘭丸くんと違って私は人を信用しないから」
「・・・そうみたいですねえ」
「どうしたんだ? もう暗くなるから一緒に帰ろう。待っててくれ、今準備を「いらない」
ぐずぐずと追いすがる神童を精神的に突き放し、今度こそグラウンドに背を向ける。
威勢のいいサポーターがいるんだな、懐かしい。
そう話しながら真正面に現れた奇抜な眼鏡を装着した男は、こちらを見下ろすと妙に優しく笑いかけた。
うふふ、ちゃんは変わらないのね。
秋は、商店街で出くわしそのまま木枯らし荘へ上がり込みきゃっきゃと話し続ける友人を見つめくすくすと笑っていた。
が日本に来ているとは知らなかった。
ずっとイタリアにいて向こうでサッカーに関係する仕事をしているとはあちこちから聞いてはいたが、気分転換に日本の空気を吸いに来たのかもしれない。
秋はお茶請けに出したクッキーを絶え間なく口に運ぶに、夕飯入らなくなるよと窘めた。
「気に入ってくれたならお土産にあげるよ?」
「いいの!? やった! ねね、今度レシピ教えてー」
「どうせなら一緒に作りましょうよ。ちゃんが昔作ってくれたケーキすごく美味しかったし、そっちの方がきっと楽しいわ」
「それもそっか! じゃ、今度休み分捕ってくるわ」
「ちゃん、今はこっちで仕事してるの? どこのチーム?」
「あーいや、今はハウスキーパー的なことやってる」
「そうなの?」
これがまたどうもやばい感じがする仕事場でさあ、ストレス溜まるしやる気は出ないしやってらんなくて。
は紅茶を一気に飲み干すと、はあと深くため息をつき秋にぼやいた。
今も昔も秋はとても優しい。
人の話に口を挟まずじっと聞いてくれるし、かけてくれる言葉にはどれも温もりがある。
こちらも家主になるなら秋のような包容力で剣城に接したいが、剣城は秋の親戚とやらの松風とは違い素直さに欠けるのでなかなかどうして包み込んでやろうという気にならない。
いいなあ秋ちゃん、いいなあ。
思わずそう零すと、秋は苦笑いを浮かべながらそうでもないわよと返した。
「見ての通りここってちょっと古いから雨が降るたびに雨漏りしないかなって不安になるし、天馬は練習が遅くなるって連絡ひとつくれないし」
「それは酷い。うちの京介くんは絶対にメールするよ、味気ないけど」
「いい子じゃない。あと、家も空けにくいし」
「ああ、確かにダーリンに会いに行きにくいよねえ」
「あっ、いや、違うのよ。そういう意味じゃなくってね!」
「ダーリン頑張ってるよー。前にいっぺんオファーもらったけど、私はどーうも秋ちゃんのダーリンとの相性良くないみたいでフィーくんたちからも猛反対喰らったけど」
「・・・ちゃんはよく話せるのね、ちょっと羨ましいかも」
「・・・余所んちのダーリンとは話すのに、私のダーリンは何してるんだか・・・」
本当に、どこで何をしているのだろうか。
ふらふらと日本をうろついている暇があるのなら、とっととやることをやって迎えに来いと言いたい。
迎えに来る気はあるのだろうか。
サッカーバカはサッカーバカだから、ハニーよりもサッカーの方が大きくきらきらと輝いて見えることがままあるらしい。
それでも彼が良かったから俺を振ったんだろうと笑いながら背中を教えてくれた、身も心も超イケメンでマジ紳士だった男の言葉と顔が脳裏に蘇る。
彼を構成するすべての中の一番になれずとも人間の中では一番になれるだろうと思い、それでも良かったから彼を選んだ。
サッカーを愛し追いかけ続け、自分では見ることができない世界をフィールドで見出している彼だから愛するようになった。
人間の中では一番になれても、それでは一番になれないのだ。
結局はサッカーを通して繋がった縁だから、きっかけを与えてくれたサッカーには打ち勝つことはできないのだ。
彼らしいと思う。
しかしは、サッカーを真っ直ぐ見つめているがゆえにその周囲にいる自信を認識してくれない視野の狭い眼鏡をかけた彼のことが信じられなくなっていた。
「結局、人間自分が一番可愛いってことかあ」
「ちゃん、上手くいってないの?」
「そんなとこ? 帰ろ、今度材料持ってくるねー」
「気を付けてね。変な人にはついてっちゃ駄目だからね」
「もーう秋ちゃんってば私をいくつだと思ってんのー? 二十歳だよ二十歳、大人!」
「24でしょ、ちゃん」
サバを読まなきゃなんないほど歳取ってないのに、でもちゃんって私よりも若く見えるかも。
ひらひらと手を振り、お土産クッキーを片手に軽やかな足取りで木枯らし荘を去っていくを見送る。
の大して広くない背中が小さくなったのを見届け家へ入るべく振り返ると、が去った逆の方角から懐かしい顔ぶれが揃ってやって来る。
久し振りだなとのんびりと声をかけた鬼道に、秋は慌てて声をかけた。
「鬼道くん!」
「どうした? 珍しいな、そんなに慌てて」
「ちゃんあっちに行ったわ、ついさっき」
「なに・・・?」
「ゆっくり歩いてたから今ならまだ間に合うはずよ。ちゃんと会ってないんじゃない? 会ってあっ、鬼道くん!?」
さすが鬼道だな、ついこないだまで現役やってただけはあるスピードだよ。
えっ、さん来てたんだキャンプファイヤーぶりじゃん会いたかったのにー。
つむじ風のごとき素早さでが去った方へ駆けて行った鬼道が見えなくなったや否や口々に暢気な声を上げる円堂と小暮に、秋はもうと叫んだ。
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