20.こちら雷門中学校ラテン支部
寿退職したい。
はフィフスセクターの聖帝ルームのリフォームにもたれ、うつらうつらと眠りの世界に落ちかけていた。
翌日も行きたくもない仕事があるとわかっていたのにやっとまともに再会した鬼道と一緒にいたら、案の定睡眠時間が消えた。
剣城が起きだす前の明け方に帰って来て素知らぬ顔でいたが、その時から眠かった。
フィフスセクター本部までの通勤途中もバスの中で立ったまま寝ていたし、イシドが会議とやらで部屋を開けている時間はがっつりソファで眠っていた。
夕方にはイタリアから帰って来た錦の練習に付き合うことになったし、体がいくつあっても足りない。
今からでも分身ディフェンスの練習を再開しようかと考え込んでしまうほどに切実な問題だ。
私結婚したら即行仕事辞めよう、手か今すぐにでも辞表書こ。
はのろのろと顔を上げると、イシドの執務テーブルの上の紙とペンと手に取った。
困った、万年筆を使うのは実は初めてだから上手く字が書けない。
盛大にインクを零し書き損じた紙をくしゃくしゃと丸め、ぽーんと紙くずを投げる。
ぽすん、痛っ。
誰もいないはずの部屋に響いたイシドではない男の声に、は紙のボールを投げつけた先を見やった。
「まったく・・・、人を呼び立てたかと思えば随分な歓迎だね、豪炎寺くん」
「は?」
「・・・・・・ああ、幻覚かな? 目の前にいてほしくない同業者がいる」
「その腹立つ言い方とイケメン面アフロか」
「アフロディって呼んでねって10年前からずっと言ってるけど、君はいつになったら僕の話を聞いてくれるのかな」
「あんたの名字はアフロでしょ。それよりもなぁにその服、一張羅に染みつけちゃってまあさっすが自称神様はおっしゃれー」
「これはね、さっき突然投げつけられた紙にべったりとついていたインクの跡だよ。クリーニング代は君に請求していいのかな?」
「いや、そこはイシドさんで。こんな使いにくいペンを使いやすいとこに置いてたイシドさんが悪い」
「相変わらずすごい世界を生きてるんだね、君」
そりゃあ君じゃなくて僕に助けを求めるわけだよ、豪炎寺くんは。
はアフロディから告げられた初めて聞く情報に、へえと声を上げた。
焼き餅を妬いているのではない。
ただ、ちょっぴり苦々しく思っているだけだ。
剣城はお疲れ状態なのか、今日も今日とて夕飯を食べ終わるや否やリビングのソファに沈没したを見つめ眉根を寄せた。
があの夜帰って来なかったことは知っている。
朝は何食わぬ顔で朝食を食べていたが、欠伸を噛み殺していたのも知っている。
は大人だから、子どもの自分とは違う生き方をするとはわかっている。
とはフィフスセクターの部屋の手配の手違いでたまたま一緒に暮らし、フィフスセクターを抜けた後も誰が家賃を払っているのかわからないまま共に住み着いてしまったという偶然で生まれた仲でしかない。
だから、が外で何をしようとそれについてこちらがとやかく言えはしない。
ただ、ちょっとだけ嫌だった。
年頃のそりゃあもう色々と考えてしまう男に抱きついたその日に朝帰りなど、の気が知れない。
イタリア生活が長かったにとってはハグはただの挨拶程度のコミュニケーションなのかもしれないが、こちらにしてみればとのハグは大事件だったのだ。
頓珍漢なことしか口にしないだが、彼女は自他共に認める『綺麗なお姉さん』だ。
あの聖帝イシドシュウジが何の酔狂か愛人にしたというのも顔だけ見ればわかるし、いつぞややって来た吹雪がにべたべたくっついていた気持ちもわからないでもない。
むしろ、に終始冷ややかだった鬼道の反応に違和感を感じたくらいだ。
鬼道は人を愛したことがあるのだろうか。
彼は、の才能以外の魅力を感じたことがないのだろうか。
鬼道は優れた指導者だ。
鬼道の練習メニューの意図がわかり彼の教えに従うようになってから、雷門イレブンの基礎体力は着実に底上げされている。
の日々のアドバイスと鬼道のメニューのおかげで、シュートの精度とパワーは上がった気もする。
こんなにすごい人なのに、どうしてこの人はこんなとこでぐったりしてるんだろう。
剣城は今にも眠ってしまいそうなにブランケットをかけると、の隣に座り込んだ。
「そんなに疲れてるんですか」
「うん」
「何やったらそんなに疲れるんですか」
「うーん、生きてたら?」
「・・・朝帰りとかするから疲れてんじゃないですか」
「えーしてない「知ってます」そっかあ」
心配かけてごめんね、別に心配してないんだろうけど。
はゆっくりと顔を上げると、剣城の頭をぽんぽんと撫でた。
剣城は本当に丸くなりいい子になった。
兄以外の人間も気にかけてくれるようになるとは、ここまで剣城を更生させた自らの手腕は素晴らしいと思う。
さすがは自称神を地に堕ちさせ頭から尻尾を生やした不良を保護者代理に仕立て上げ、悪魔を潰しただけはある。
これら過去の華々しい戦歴に比べれば、剣城の人格矯正など容易いものだ。
は眉を寄せたままの剣城の眉間をちょんとつつくと、練習どーうと尋ねた。
「鬼道くんの練習メニュースパルタでしょー」
「はい」
「でも強くなったでしょ? 鬼道くんのメニューのすごいとこは個人の限界ギリギリまでさせるとこだから」
「おかげで毎日くたくたです」
「夕飯たくさん食べるもんね。でも鬼道くんのかげで錦くんのスタミナも保ってんだー」
「錦先輩?」
「うん。錦くんイタリアにいた頃にちょっと練習見てたことあって。ま、京介くんのアドバイス先輩ってとこ?」
「・・・だから疲れてるのか」
「京介くん?」
「なんでもないです。さん、疲れてるところ悪いですけど俺の練習も見て下さい。俺ももっと強くなりたいんです。俺はもっと決定力のあるストライカーになりたい」
「はあー、京介くんってほんと話してるたびにあれを思い出すわ、つら」
「あれ? 辛いって何ですか、俺といるのが辛いんですか?」
違う違う、京介くんはあれよりもうーんとずーっといい子だよー可愛い可愛い。
はへにゃりと笑ってそう言うと、再び顔をしかめた剣城の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
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