私にさせれば良かったのに、イシドさんは私を使う気あるわけ?
は次々にピッチダウンを起こすウォーターワールドスタジアムで戦う雷門中と木戸川清修中イレブンをそれぞれ見下ろし、VIP席で悠然と試合を眺めているイシドに問いかけた。
木戸川に何の縁もゆかりもないアフロが指揮を執るのであれば、少しでも木戸川に縁があったこちらが監督になっても良かったと思う。
イシドは利用価値があると言ってイタリアから連れ去って来たのに、連れて来られてから今日までろくに利用されたことがない。
毎日聖帝ルームに掃除機をかけ少しだけ話相手を務めるだけで、黒木による監視時代と違い今はどこで何をしていても咎められない。
何かをさせられるために連れて来られたのならばまだここにいる理由がわかるが、何もさせられず無為に日本に留まっているのは非常に腹が立つ。
使う気あるならとっとと使いなさいよ私を使いたいとか思わないの?
無言を貫くイシドに尋ねたに、イシドは気だるげに目を閉じると口を開いた。





「抑止力という言葉を知らないのか」
「はあ?」
「いるだけで意味がある、存在そのものに価値があるということだ」
「私が鬼道くんに及ばないとでも思ってんの? 鬼道くん相手だと本気出せないとでも思ってんの? ばっかにすんじゃないわよ、私を誰だと思ってんの?」
「誰かと比べられる人ではないと私は思っている。これだけは言っておく。私は、お前を監督やコーチとして起用することはない」
「じゃあなんで私はここにいるの。ほんとに愛人にしたかったってわけじゃないんでしょ」
「言っただろう、いるだけで意味があると。わからないのならわからないままでいい、わからなくていい」





 わかってほしくないというのが本音なのかもしれない。
知られていないからに制限のある自由を与えられるのであって、が自身の存在理由に気付いてしまったら、その時は彼女を本当に閉じ込めてしまわなければならなくなる。
目の届くところにいさえすればそれでいい。
雷門に有利な行動をどんなに取ったとしても、ここにいてくれさえすれば何をしていたって構わない。
大切なのはがここにいるということだ。
話は終わったとばかりに再び口を閉ざしたイシドに、はむうと眉を潜めた。
言葉足らずなのは相変わらずで、何を言いたいのかさっぱりわからない。
イシドは、こちらには知ってほしくない何かを隠している、
疑惑のデパートフィフスセクターだからどす黒い知られたくないことはたくさんあるのだろうが、飼い殺しで毎日が終わる。
なぜここにいるのかわからないまま、日にちだけが過ぎていく。
何のために存在しているのかわからにことがこれほどまでに空虚なものだとは思わなかった。
は突然地面が割れる水没フィールド上で策を巡らし駆け回っている両校の選手たちを見下ろし、へえと呟いた。






「アフロってあんなに監督っぽいことできたんだ」
「木戸川の三角形フォーメーションは古くから続く伝統だ。ただ、突破力を高める攻撃的布陣として作られた必殺タクティクスをフィールドに応用したアフロディは選手を見る目もある」
「3人一組だからピッチダウンにもすぐに対処できるし、アフロのくせしてやるじゃない」
「彼を木戸川の監督に招聘したのは私だ」
「そんなアフロの采配を打ち破る策を思いつくのは私のダーリンよ」





 鬼道の基礎体力向上メニューには、もちろん跳躍力アップも含まれている。
元々神童の神のタクトで類稀なパスワークを見せていた雷門イレブンだから、多少の応用と機転を利かせたパスにもすぐに対応できる。
それに、木戸川が3人一組で行動しているから効果は倍増だ。
試合中に善後策を考えすぐに形勢を逆転させるとはさすが天才ゲームメーカーだ、アフロに対しては常に容赦ない。
ピッチダウンの問題は、アフロディと鬼道それぞれの采配により解決した。
チームとしては確実に成長している。
しかし、だからこそ錦が気になって仕方がない。
こればかりはどんなに特訓をして基礎体力の底上げを図っても、心が強くならなければ前に進めない。
彼はまだ、FWとしては世界に通用しなかったことを気にしているのだろうか。
はせっかくゴール前までボールを持ち込んだものの神童と剣城のがマークされパスを出すことができず、また、自力シュートを試みることもしなかった錦を見つめ小さく息を吐いた。
GKは魔物ではないから、キッカーを取って食べたりはしない。
多少の威圧感に負けてどうするのだ。
それでも、あの染岡の弟子か。
FWでなくなったことに負い目を感じる必要はない。
抜群のボールキープ力と突破力を持つ攻撃的MF、それができるのは数多くのMFの中でもわずかしかいないのだ。
はイシドをちらりと横目で見ると、ねえと控えめに尋ねた。





「シュート打つのってそんなに怖い?」
「いいや。むしろ楽しくもあった」
「なんでそんなに自信たっぷりに言えんの?」
「・・・私には昔、それはもう恐ろしい幼なじみがいた。彼女に発破をかけられ続けて完成し磨きをかけてきたシュートが決まらないわけがない」
「・・・・・・」
「自信を失えば、それは私の練習に付き合ってくれた彼女にも失礼だ。私のシュートは入る、そう思い実践することが一番の恩返しだと思っていた」
「錦くんはそういうタイプの自信は持てないでしょうねえ。錦くんは自分で自分の道を切り開いてく子だから」
「だったらもっと自分に自信を持てばいいだけだ。自分が今までしてきた特訓は、目の前に立ちはだかるGKを打ち破るどころか臆してしまうほどに惰弱なものだったのか? そうじゃないはずだ。自信を失うために人は前を向かない」





 前を向いて歩くのは、歩く先に得たいものがあるからだ。
前どころか周囲も見えていなさそうなイシドにきっぱりと言われるのは腹が立つが、言っていることはだいたい納得できる。
少々ちくりとどこかしらに刺さる部分もあったが、とりあえず彼の幼なじみとやらは大層優しい天使のような女の子だったに違いない。
正直そこの下りは聞きたくなかった。
聞かない方が良かった、今が一層辛くなるから。
錦くんもイシドさんみたいに図太く考えられたらいいのに見かけ倒しなんだから、もう。
は前半を0対2で折り返し沈んだ表情で雷門ベンチへと帰っていく錦を見下ろし、VIPルームを後にした。











































 やぁっと見つけたとっとと帰るぜ
いやあそれが聖帝っていう馬鹿に囲われちゃってて帰れないんだよねごっめーん。
この時々いきなり俺たちの前に現れるお姉さん、本当に何者なんだろうか。
神童たちは突然現れた者同士軽口を叩き合う染岡とを交互に眺め、怪訝な表情を浮かべていた。
染岡は伝説の雷門イレブンの一員で、今はイタリアのプロリーグで活躍している選手だ。
いくらが鬼道や円堂、染岡たちと同級生だろうとこうまでフランクには話せないはずだ。
ましてや『とっとと帰るぜ』である。
染岡はをいったいどこに帰るよう促しているのだろうか。
の口から時折漏れる『フィーくん』とは誰なのだろうか。
の『フィーくん』が染岡の言う『フィディオ』と同一人物だとしたら、の交友関係がますますわからなくなる。
フィディオとは十中八九あのフィディオ・アルデナのことを指しているのだろうと思う。
ユース時代からイタリアの白い流星をもてはやされている、イタリアサッカー界の若き至宝フィディオ・アルデナ。
プロリーグに所属して後もフィールド全体を見渡す広い視野でチームを統率するキャプテンとして名を馳せ、必殺のオーディンソードは放つたびに鋭さを待つ伝説の剣技とさえ言われている、
何の酔狂化気まぐれ1シーズンだけ弱小下部チームに移籍したこともあったが、気まぐれシーズン以外は常にイタリアサッカー界のトップをひた走る超一流プレイヤーだ。
は染岡のドスの利いた顔を剣城を盾にすることで逃れると、それよりもと声を上げ錦を指差した。





「錦くん、それだけ練習したんだからいっぺんくらいシュートしてみなさいよ」
「・・・じゃが、わしは・・・」
「でももだってもないの。あのねえ、そう思ってるうちは一生シュートなんて入らないわよ。うちの京介くん見てみなさいよ、超自信たっぷりの顔でとりあえずシュート打ってるでしょ」
「とりあえずじゃありません、入ると思ってるから打ってるんです」
「はあー京介くんほんとあれそっくり。天使がお守りしてるあたりからそっくり」
「師匠、コーチ、わしゃあどうすればいいんじゃ。わしゃあわからん、なーんもわからん」」
「わかんないなら自分で答え探してきなさい。後半は京介くんと錦くんポジションチェンジ、京介くんMFできる?」






 無言で頷く剣城に頷き返し、まだまだ悩んでいるらしい錦の背中をぽんと叩く。
どこの誰だか知らないが準レギュラーのごとく登場するそろそろ顔見知りの綺麗なお姉さんの独断で決まった後半のポジションに戸惑うものの、鬼道がそうしようと追認するので従わざるを得ない。
自身の采配に絶対に自信を持つ鬼道があっさりとの意見を採り入れている。
先日の試合ではダブルウィングの人選について火花を散らしていたのに、やはり鬼道もの見目の良さにころりと参ったのだろうか。
いや、鬼道に限ってそれはないはずだ。
そもそも鬼道の眼鏡ではの美醜も見えてはいまい。
後半が始まる直前、フィールドに錦や剣城を送り出したはくるりと鬼道を振り返った。
囚われのシンデレラはもう退散しなければならない。
ここでずっと試合を観ていてもおそらくイシドは何も言わないのだろうが、傍にいることが唯一の務めと言われた以上は彼の元へ戻った方がいいのだろう。
こちらの些細なわがままでフィフスセクターの付け入る隙を与えたくはない。
それに鬼道たちならばこの試合は必ず勝ってくれる。
いくら木戸川が精強でアフロがいようと、目覚めた錦を止められる者は誰もいない。
後はよろしくね。
そう告げベンチを去ろうとしたは、染岡に呼ばれ足を止めた。





「なぁに染岡くん」
「フィディオから伝言だ。鬼道、妬くなよ」
「内容による」
「そうかい。帰って来た時にチームが大変そうになってたら、またわがまま言ってちゃんに会いに移籍するから安心して日本で友だちと会っておいで、だとよ。余裕だけど切羽詰ってるな、フィディオ」
「なるほど妬くな」
「もーやだフィーくんったらほんっとに私バカなんだから―。ありがとね染岡くん、できればフィーくんの声で再生してほしかった」
「それはイタリアからはるばる伝言ゲームしに来た奴に言う言葉じゃねぇよ」





 だが、もこうして冗談を口にできている今はまだ余裕があるらしい。
日本はとんでもないことになっていると聞いていたが、その『とんでもないこと』のど真ん中にがいるとは思わなかった。
ど真ん中にいるはずのがここまで自由だとも思っていなかった。
名前を変えても立場を変えても、あいつはやっぱりあいつのままらしい。
鬼道も大変だ、色んな連中に焼き餅ばっかり妬いて脳の血管が切れなければいいが。
どこかへ去って行ったを見送った染岡は、後半開始早々ようやく自身の力に自信を持ち立派な化身と強力な必殺技を見せた愛弟子を目にして、いかつい顔に笑みを浮かべた。






「さっきのあれ、冗談のような本気だぞ」「妬いてばっかりだなお前」






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