22.トルマリンの火打石










 昔、よく家に遊びに来ては兄と夫婦ごっこをしていたあの人は今どうしているのだろう。
いつか本物のお姉ちゃんになるものだと子ども心に無邪気に思いお姉ちゃんお姉ちゃんと親しんでいた、優しくて可愛くて元気いっぱいなあの人は何をしているのだろう。
フィフスセクターに入り聖帝の地位に就いてから間もなく、兄の顔からただでさえ少なかった笑みが完全に消え失せた。
以前はあれだけ熱心に見ていた彼女関連の海外紙のどんなに小さな記事も、いつしか見向きもしなくなった。
あんなに楽しげに、まるで自分のことのようにのことに関しては称賛なんてもったいないと扱き下ろしていた兄の口から、『』という言葉が聞かれなくなってしまった。
口にしてはいけないとなんとなく察したからこちらもの話題を振らなくなったら、豪炎寺家から一人の大切な家族同然だった人の存在が消えてしまった。
正直すごく寂しかった。
けれども、本当に寂しがっているのはなんらかの理由でのことを話せなくなった兄だ。
兄はこれからもきっと辛い道を歩く。
何を目指しているのかわからないところもあるが、兄を信じている。
夕香は河川敷のサッカーグラウンドで寂しげにボールを見下ろしている兄注目の松風に歩み寄ると、声をかけていた。
松風のように煮え切っていない男を叱咤するのは、本来ならばのような人はするのが適任なのだと思う。
幼心にも、中学生時代にぐずぐずうじうじしていた兄をがぴしゃりと叱り飛ばしていたのを覚えている。
逞しい人だったなあ、私も大きくなったらお姉ちゃんみたいになりたいな。
松風を兄と引き合わせた夕香は河川敷沿いを鼻歌交じりに暢気に歩く女性をすれ違い、慌てて彼女を振り返った。






































 虫の知らせ、女の勘、とにかくびびっときたから直感の赴くままに河川敷のサッカーグラウンドに向かうとそこには彼がいた。
フィフスセクター本部やホーリーロードの試合会場以外で彼の姿を見るのは随分と久し振りだ。
フィールド上にいる姿はもっと久し振りだ。
あんなだるっだるの格好じゃボールもろくに蹴れないだろうに松風くん相手に何するつもりなんだろ、あの人。
まさかしないとは思うけど、聖帝の地位を脅かす存在、革命のきっかけを作った松風にいつぞやの円堂や虎丸に向けたような強烈なシュートをもお見舞いするのではないだろうか。
もしそうだとしたら、張り手を飛ばして阻止してやる。
は堤防の上からイシドと松風を見下ろすべくしゃがみ込んだ。
イシドと松風に面識はあるのだろうか。
倒すべきボスと悪と戦う勇者が顔見知りだというのは、最近の漫画では割とよくある話らしい。
松風が勇者だとは微塵も思っていないが、世の中の様々な世界を知るためにも見聞を広めておくのはいいことだと思う。
こちらだって影山キチガイ石油王、ありとあらゆる悪役と渡り合ってきて今がある。
イシドは日々何を考え聖帝業をこなしているのだろうか。
剣城から聞いた話によれば、最近のフィフスセクターは雷門が始めた革命に靡いたフィフスセクターにとっての反逆校を次々に廃校に追い込んでいるという。
私立学校を廃校にするとは、フィフスセクターは学校法人団体にも強い圧力をかけられる強大な組織らしい。
サッカーができなくなるような環境を作ることがフィフスセクターの目的だっただろうか。
違うと思う。
フィフスセクターが目指す管理サッカーの世界とは、誰もが皆平等な環境で等しく勝利の喜びと敗北の悔しさを味わう、面白味はないけれどサッカーをやりたい人サッカーボールに触れることができるものではなかっただろうか。
サッカーそのものを取り上げることは、サッカーに対して何の利益も生み出さない。
フィフスセクターのやり口は正しくないが、今回の廃校措置は今までのフィフスセクターとは違う気がする。
イシドは馬鹿だが、そんなことをするほどの愚か者ではなかったはずだ。
どうしようもない馬鹿だから放っておけなくて付き合っているが、愚者ではないと信じている。
ねぇイシドさん、私はあんたをどこまで面倒見てあげればいいの?
ぼんやりと呟いたは、不意に体が後ろに引きずられ尻餅をついた。
肩から掛けていた鞄が、今にも紐を千切らんとする勢いで引っ張られる。
やめろ、その中には大したものは入っていないが人の者を取り上げるのは気に食わない、やめろ。
おい気付けそこのサッカーバカとバカ。
早く助けろ特にそこのイシド。
はぐいぐいと引っ張れる鞄を必死につかむと、悲鳴を上げた。






「きゃーーーー!」
「えっ? あっ、さん!?」
「えっ、松風くんの方なの!?」





 マジか、ピンチに助けに来るのは大の大人ではなくて正義感に熱い子どもなのか。
失望した、絶望した、幻滅した。
は引ったくり犯と揉み合う松風を見つめ、様々な意味で空しくなった。
そりゃああれはここぞという時は助けてくれなかったけど、ここにきてもやっぱりそうなのか。
そっか、そうだ。
だってあの人はあれじゃないから、よく似てるけど別人だから見向きもしないのが当たり前なんだ。
あと少しで戦利品を手に入れようとしていたのに子どもごときに邪魔をされたことに逆上した引ったくり犯が、強盗犯に変貌すべく地面に転がった松風に向かって拳を振り上げる。
それは反則だ。
試合も近いサッカー選手に不要な怪我はさせたくないし、殴ること自体人道的に許せない。
私も殴りたいけど。
痣とかできちゃうのかな、男の人にマジで殴られると。
は無意識のうちに松風の前に飛び出した直後に我に返った自身に失笑すると、ぎゅうと唇を噛み引ったくり犯の拳との対面を待った。
どうしよう、覚悟はしたけどやっぱり怖い。
助けて、助けて、





「助けて有人さ「さん!」「に触るな」えっ・・・?」





 目の前で引ったくり犯が吹っ飛び、サッカーボールが大きな音を立て足元に転がる。
ボールが放たれた方向へ視線を向けたは、シュートの主と目が合い口元に手を当てた。
手で蓋をしなければ、今にもあれの名前を口に出してしまいそうだ。
指先が、口元が、全身が震える。
恐怖ではない、驚きと、ほんの少しの悲しさから体の震えが止まらない。
あなたは誰なの。
どうして私をそんな目で見るの?
あなたは聖帝イシドシュウジで、私が知ってるあの人じゃないんでしょ?
サッカーをあんなふうにしか見ていないのにどうして今もそんなシュートをするの、できるの?
どうして、炎は出てなかったけど昔練習に散々付き合ってやった末に完成したファイアトルネードを見せたの?
あんなもん見せられたら勘違いするじゃない。
勘違いしたくなるじゃない。
あなたが、イシドさんが私が知ってる幼なじみの豪炎寺修也に戻ったのかって。
大丈夫ですかと声をかけてくる松風に頷き、よろよろと立ち上がる。
ゆっくりと歩み寄るイシドに身を固くしながらも、目を逸らさずに待ち構える。
鬼道じゃなくて悪かったな。
すれ違いざまにそう呟かれたは、ゆるゆると頭を振った。







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