いつからか傍にいた。
傍にいてほしいと思っていたら気付いたら同じ小学校どころか同じ中学校へと進学し、転校先の中学校でも同じクラスになった。
傍にいるのが当たり前で、それがありがたいことだと初めて思ったのは幼なじみを始めて実に9年経った頃だった。
近くで喧しく発破をかけ褒め言葉など滅多に口にしないお小言幼なじみの存在を羨む連中の気が知れず、そんなに欲しいのならばくれてやると思ったことすらあった。
何も気付いていなかった。
気付くのが遅すぎたが、それでも気付くことができて良かった。
豪炎寺は貸し切りの雷雷軒のテーブル席できゃあきゃあと騒ぐをカウンター席から眺め、ふっと頬を緩めた。
最後の最後まではこちらに弾ける笑顔を見せてくれたことはほとんどなかったが、それが幼なじみの関係というものなのだと思う。
いつでもどこでも笑顔でいるのはとても疲れる。
めいっぱい笑って、ちょっと疲れた時に露骨なまでに疲れ切った不機嫌な表情を隠すことなく見せられる相手も必要で、それが自分だった。
無駄なポジションではないし、誰もができることではない。
そんじょそこらの付き合いの浅い連中に任せられるものでもない。
つくづく俺は尽くし屋だな。
そう独りごちた豪炎寺の隣に、を風丸に取られ憮然とした表情をした鬼道がグラスを片手に腰を下ろす。
お互い苦労するな。
鬼道の言葉に、豪炎寺は自嘲の笑みを浮かべると俺のせいでなと返した。
「俺が聖帝になってをイタリアから連れて行ったから鬼道は苦労したんだろう」
「・・・彼女がどこにいようと何をしていようと、俺はきっと日本に来ていただろう。自惚れではないが、俺は彼女の恋人抜きにして俺単体でも充分に戦力になるからな」
「そうだな、をどうこうしていなくても俺はお前を帝国に招いていた」
「もっとも、お前が彼女を傍に置いている時は気が気でなかったが。信じてはいたが、相手がお前だとそれら自信はすべて意味のないものになる」
のことは信じていた。
昔から人が良いばかりに流されやすい性格で―――だからオニミチ時代に彼女に無理を強いることもできたのだが―――、豪炎寺ともきっと流されてしまったのだろうと推測はしていた。
はびしばしと手厳しいことを口にするが、本当はとても優しい女性だ。
誰よりも他人の心中を察しフォローしようとして、気が付けば自身を犠牲にしていることもままある。
相手が聖帝を名乗る豪炎寺だったから、もしものことがあれば豪炎寺が自らの地位を投げ出してでもを守ってくれるから今回は少しだけ安心していた。
現に豪炎寺はをイタリアから連れ去った時から既にすべてを捨てていた。
なかなか真似できないことだと思う。
だったから豪炎寺は躊躇うことなく自らを犠牲にしたのだと思う。
彼の心意気に感心し悔しがり、少し羨ましかった。
恋する男は、想いを寄せる女性の前では少しでもかっこよくありたいと思い行動している。
だから、ちっともかっこよくないどころか今まで築き上げてきた関係性のすべてを失う覚悟でに接し、そして守りきった豪炎寺が羨ましかった。
彼にはこれから一生かけても勝てない。
勝とうとしなくていいのだろう。
が豪炎寺を消すことは不可能なのだから。
「イタリアに戻らなくていいのか? 向こうでチームメイトも待ってるだろう」
「監督というのは楽しいな。自分が強くなるのももちろん嬉しいが、自分が持ちうるすべてを注ぎ込んだ教え子たちが成長していくのを見ることがこれほど充実したものだとは思わなかった」
「日本に残ればとはまた離れ離れになる。が寂しがるぞ」
「そうだといいがどうかな。彼女の本拠地は10年前からイタリアだ。フィールドの女神が采配を振るうのはここではない」
「尽くす男だな」
「尽くす男が好きなんだ。ずっとそれが口癖だったが知らなかったのか?」
「・・・・・・」
「後は、思春期の男の近くに置いておきたくないというのもある」
「それはわかる」
尽くそうが尽くさせようが、が傍にいることに変わりがなかったから一度も気にしたことがなかったのだろう。
豪炎寺らしい。
鬼道はぎゅうと風丸に抱きついたまま動かなくなったに歩み寄ると、と小さく声をかけた。
返事をしたくないほどに風丸との世界に入り込んでいるのかと思うと悲しいが、相手が風丸なので仕方がない。
寝ちゃったみたいだぞ。
の髪を慣れた手つきで優しく梳きながら口を開いた風丸が小さく笑い、鬼道を見上げた。
「強がっててもやっぱりはだから寂しかったんだろうなあ。俺らがもっと早くに迎えに来れたら良かったんだけど、豪炎寺はほんとに意地悪だ」
「すまない風丸、重いだろう預かる」
「こら、女の子に重いと言っちゃ駄目だろ。軽いよ、消えちゃうんじゃないかって思うくらい軽い」
「そうだぞ鬼道、お前仮にも自分の嫁さんになる人のこと重いとか言うなよ。起きたらちくるぞ」
「それは勘弁してくれ。ところで半田、お前はなぜここにいる?」
「様のお慈悲で招待されたんだよ、今日の昼に」
「へぇ、半田と2人でデートしてたのか。さすが親友、格が違う」
「ばっ、やめろよ風丸爆弾撒くの「ほう・・・?」ほらきた、ほーら鬼道に聞こえてた!」
それなりに騒いでいるのに起きないは、まるで呪いにかかった眠り姫のようだ。
大好きな人たちとやっと心置きなく話すことができて、ようやく気持ちが落ち着いたのかもしれない。
風丸からを抱き取った鬼道は、飲みすぎかはしゃぎすぎかすやすやと眠るの顔を覗き込んだ。
寝顔を見るのも随分と久し振りだ。
綺麗な寝顔だ、まさに女神の休息だ。
間もなくまた見られなくなる顔だが、彼女のありとあらゆる表情は何があっても絶対に忘れまい。
「帰ろうか、・・・」
「おー帰れ帰れ、ここでいちゃつかれても豪炎寺の機嫌が悪くなるだけだからな」
「気を付けてな。あ、タクシー呼ぶからちょっと待ってくれ」
「鬼道」
「何だ」
「もう、を手放すなよ」
「もうを奪うなよと返させてもらおう」
風丸が呼んでくれたタクシーに乗り込んだ鬼道たちが雷雷軒から遠ざかるのを、薄暗く無機質な部屋の中央に置かれた丸いモニターが映し出す。
実に興味深く、けれども危険な歴史だった。
サッカーを愛する人の思いの深さと恐ろしさをまざまざと見せつけられた、今世においては悪夢のような歴史だった。
『・・・インタラプトの確認をした。修正を開始せよ』
温もりの感じられない言葉が響き渡った直後、鬼道の腕の中のの輪郭がぼやけた。
ー完ー
それは ひとつの世界での 物語