来るなと言われていたのにバスに乗り込み、鬼道に色目を使いはしゃいでいた喧しさの元凶がいない。
と一緒に住んでいるという事実は、想像力逞しくなりつつある諸先輩及び同級生に聞かせてもろくな想像をされないと察知して口にしていない。
だから堂々としていてもいいはずなのに、バス車内では身内ではないがそれに等しい人物の賑やかさに非常に肩身の狭い思いをした。
あんたいくつの大人ですかと思わず声を荒げたかったくらいに腹が立った。
ストイックで女の気配をまるで感じさせない鬼道だが、まさかのように見た目も中身も華やかすぎる女性が好みだとは思わなかった。
恐るべしだ、彼女に落とせない男はいないのではないかと余計なことを勘繰ってしまう。
それにしても面倒な場所に連れて来られてしまった。
ここへ来てしまったということは、すぐにたちを心配する余裕はなくなるだろう。
剣城は見知らぬ風景に戸惑う松風たちを顧みると、口を開いた。
「ここはゴッドエデン、神の名を持った地獄だ」
「地獄・・・?」
「シードを生み出すための孤島。シードになるためには尋常でない特訓を課せられる。・・・鬼道監督たちはおそらくあそこに捕えられたんだろう」
「監督たちって、葵も!?」
「ここにいないということはマネージャーたちもあそこにいるんだと思う。だが、俺たちは・・・」
他人の心配をしている場合ではないと続けようとした直後、地面が激しく揺れ剣城は舌打ちした。
ゴッドエデンに来て特訓を受けたことはシードだからもちろんある。
しかし、すぐに黒木に見出され黒の騎士団として雷門中に派遣されたためゴッドエデンの本当の地獄を味わったことはない。
自分の経験がなくても、同じシードたちから地獄の話は何度も聞かされた。
サッカーのことというよりも、フィフスセクターの指示にのみ従い『サッカー』という名の任務をこなすだけの人間に洗脳される施設だということは彼らと話しただけでわかった。
ここに長居しなくて良かったと思う。
ずっとここでシードのための特訓という名の洗脳を受けていれば、今の自分はない。
雷門中サッカー部のユニフォームに袖を通すこともなかっただろうし、に心を許すこともなかった。
つくづく運がいいと思う。
剣城は丘の向こうから現れた戦車と、うっすらと見覚えのある中年小太りの男に眉をしかめた。
「お前たちは少年サッカー法第5条を破った! よってこの場で再教育する!」
「・・・あれは誰だ?」
「ゴッドエデンでシード候補たちを教育する教官・・・だったと思います」
牙山と名乗る教官の合図で地面が割れ、サッカーグランドが現れる。
既にフィールドに入るスタンバイしていたチームの1人を見た剣城の顔が驚きに変わる。
どうやらフィフスセクターは本気で雷門中サッカー部を再教育あるいは精神的に叩きのめすつもりらしい。
ボールを蹴らずともわかる、白竜率いるアンリミテッドシャイニングと名乗るチームは強い。
厳しい血の滲むような特訓を受けてきた選手ばかり集めていると、彼らの目を見るだけでわかる。
強いけれども、輝きを感じない虚ろな瞳だ。
かつてシードにいた頃の自身も同じ目をしていたのかと思うとぞっとする。
雷門イレブン定番の布陣を敷けず、雷門中に残った倉間に代わりFWのポジションに入った影山と目配せを交わす。
試合が始まり、こちらが攻め始めても微動だにしないアンリミテッドシャイニングに不気味さを覚える。
動くまでもないということか。
見くびられては困る、こちらとて以前はシードでそれなりに特訓を受けてきた身なのだ。
チームが見下されていることが悔しくて、一泡吹かせたくて必殺のデスドロップを放つ。
黒いシュートの向かう先に白い光が現れたと思った瞬間、体が突風に抗いきれず後方に吹き飛ぶ。
自陣ゴール前から放たれたかつての知り合い白竜のホワイトハリケーンが雷門ゴールを襲い、三国が必殺技を出す間もなくゴールに突き刺さる。
彼らには勝てない。
白竜の呼吸ひとつ乱すことなく繰り出された必殺技とその威力を目の当たりにした剣城は、雷門とアンリミテッドシャイニングの格の違いを痛感した。
どれだけ走っても反撃に出ても、すべて潰され飲み込まれてしまう。
浜野や倉間たちレギュラーがおらず、鬼道どころかといった戦術家の不在も神童の正確無比なはずの神のタクトにずれを生じさせている。
不利だ、このままでは本当に再教育されてしまいかねない。
必殺技を出したからといって勝てる相手ではない。
震える足を叱咤して立ち向かったところで、気力だけで勝てる相手でもない。
何度も何度もホワイトハリケーンを発動する白竜の体力だけを見ても、こちらに対抗できるものは今はない。
あっという間に0対12と点を取られ続け大敗を喫した剣城は、遂に立ち上がり力も失せ地面に倒れ伏した。
「格の違いがわかったか剣城。これが究極の力だ」
「くっ・・・」
悔しいが、何も言い返せない。
何かを言い返せるだけの力も残っていない我が身が恨めしい。
こんな体たらくでは、フィフスセクターに連れ去られ鬼道や春奈の言うとおりばっちり厄介事に巻き込まれたを助けることすらできない。
はあれで1人で充分生きていけそうな逞しい女性だから1人で片をつけてしまいそうだが、とにかく、こっそり守ろう助けに行こうと思っていたこともできない無力さが悔しくてたまらない。
ゴッドエデンで再教育は、再びシードにさせられるのだけは嫌だ。
痛みと屈辱と疲労で薄れゆく意識の中剣城が見たのは、どこからともなくもうもうと上がった白煙の中に浮かび上がる懐かしい男性の姿だった。
予想を裏切らない人だ。
フィフスセクターに絡んでいる以上何かしらのトラブルには見舞われるだろうと思っていたが、やはり彼女までもれなく巻き込まれてしまった。
一応はフィフスセクター側に与させられているらしいだが、身内が身内を捕えたとあっては後で聖帝から叱責を受けるのではないのだろうか。
鬼道は暗い牢獄の中でぺちゃくちゃと春奈やマネージャーたちに話しかけているを見つめ、苦笑いを浮かべた。
さすがは中学生時代から拉致監禁に慣れているだけはある、完全にだけ場慣れしてリラックスしきっている。
頼もしいやら寂しいやら、どうやら自分の妻となる女性は騎士の守護など必要のない本物の神らしい。
「えっ、そんなにすごかったんですか!」
「そうよう、今までで一番堪えたのは石油王のとこで捕まったとこかなー。あの時はきつかったよ、アイアンロッド重かったし」
「地獄よりも大変なことってあったんですね・・・」
「地獄はほら、みんなの前で捕まったし春奈ちゃんもいたし、そもそも悪魔が馬鹿だったからそんなに。それに春奈ちゃんいるから有人さん絶対来るって信じてたもん」
「それって・・・、愛・・・!」
「いや、その頃はなかったよ。むしろその後から意識したのはあっき「そろそろ休んだ方がいいんじゃないか?」
黙って話を聞いていた鬼道が急に会話に割り込み、修学旅行の引率の先生よろしく就寝を命令する。
ベッドもない固い石の上で眠れるわけがないのだが、寝ろと言われたら寝るしかない。
みんなで雑魚寝とかオルフェウスの夏合宿思い出すな!
えーそれ何ですかーきゃきゃきゃ!
寝ろと言った俺の声が聞こえなかったのか、。
マジで叱られる3秒前を察知し、はぱっと口を噤み体を横たえた。
刺激しない鬼道にお叱りなしだ、ここは穏便に済ませておいた方が賢明だ。
お説教オールナイトを辛うじて回避したは、これ以上起きていて余計なことを言わないようきつく目を閉じた。
「兄さん、気にしすぎ」
「相手があのフィディオたちだと思うだけで不安になるのは仕方ないだろう」
「もう。大丈夫、さんは兄さんしか見えてない・・・ってわけじゃないけど兄さんが一番よ。でないと来ないわよ、フィフスセクターの合宿なんて」
「来てほしくなかったがな、俺は」
一緒にいることは悔しいし幸せに感じるが、牢獄の中で同じ時は過ごしたくなかった。
バスの中で異変に気付いた時にもっと行動していれば、あるいはを牢へ入れずに済んだかもしれない。
ここにはいない神童たちサッカー部員の行方はわからない。
ここが何であるのかすらよくわかっていない。
春奈も眠りに就き意識を持つのが自身だけになった鬼道は、床に転がるを見やり小さく呟いた。
「俺の元と神童たちの元と、どっちの方が安心だったのか・・・」
「私の元だ」
「・・・・・・そうだとしてもお前には渡さん」
いつからいたのか、牢の外の壁にもたれかかっていた男が口を開く。
かちゃりと小さく音を立て開いた扉から牢に入った男が、が眠っていることを確認しゆっくりと抱き上げる。
恋人の目の前で悠々と奪っていくとは大胆な男だ、殴ってやりたい。
鬼道はを抱いたまま黙って牢を後にしようとする男を、待てと静かに呼び止めた。
「彼女をどこへ連れて行く?」
「私の元だ。・・・意外だな、もっと鼻息荒く立ち向かってくると思っていたのだが」
「そうしたいのは山々だが、ここでそうすると俺だけではなく春奈たちの身に危険が及びかねん」
「賢明な判断だ。さすがは天才ゲームメーカー鬼道有人。だが、それではこいつは守れない」
「守らせてくれないのは誰だ?」
「・・・料簡が狭いな。新しいゴーグルが合ってないんじゃないのか?」
知っているか鬼道、騎士の役目は『守る』ことだけじゃないんだ。
お前は立派な騎士さ、そうであってもらわなければ私は不安になるからな。
をかどわかし厄介事に道連れにし続けることができるのは、彼女を愛する者が騎士だと信じているからだ。
何をしても必ず騎士がを迎えに来ると信じているから今があるのだ。
鬼道は誰よりも強く立派な騎士になれる。
なぜなら、敵がこのイシドシュウジだからだ。
イシドはおそらくは鋭いであろう目を無言でこちらに向けてくる鬼道に背を向けると、牢獄からを『救出』した。

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