地球の裏まで顔貸して
今回は充実した祭典だった。
かつてないほどに解説を依頼され、予選から決勝トーナメントまで引っ張りだこの大活躍だ。
ようやく世界が俺に追いついた。
そのくらい胸を張っても罰は当たるまい。
サッカーの女神もついにこちらの魅力に気が付いたのか、祭典の間は微笑みっぱなしだ。
不動は、決して微笑んではいない現世の自称女神をテーブル越しに眺めた。
互いに別の仕事で来ているが、こうして食事を囲むことができるのはもはや運命としか思えない。
天の采配も冴え渡っているようで、この場に彼女のダーリンもいないときた。
「ちゃん来てるんなら一言言えばいいのに、冷たいヤツ」
「急に決まったからバタバタしちゃって、あっきーに解説の仕事回ってきてるって忘れてた」
「あ? 何言ってんだ? けど、嫁放ったらかしにするどころか俺に充てがってくれるなんて、鬼道クンもいいとこあるじゃん」
「鬼道く・・・有人さんは円堂くんと修也と一緒に日本で観戦。ほんとは一緒に来る予定だったんだけど、円堂くんが大会に合わせて買ったらしい新品テレビのはちけーとかいう映像に負けました」
「マジで? 画面越しに見るより生ちゃんの方がよっぽど美人な上にいい匂いするのに」
「でしょ~! タイムラグなくサッカーも私も観れる絶好のチャンスだったってのにも~、思い出したら腹立ってきた。円堂くんに!」
せっかく来てるんなら飯でも食おうぜと不動が誘ってきたディナーの席は、泊まりたかったラグジュアリーホテルの高層階にあるレストランだ。
なぜここに夫ではない人と来ているのか、アルコールを入れたおかげか理由がわからなくなる。
要人と会うかもと用立てておいたドレスも、なぜ夫より先に不動に見せているのだろう。
もしかして私のダーリンってあっきーだったっけ。
自虐的なジョークを呟くと、向かいの不動がそうだけどと冗談で返す。
相変わらず口さがない男だ。
は人の悪い笑みを浮かべた不動を呆れた顔で見やった。
「俺は別にちゃんが鬼道クンと別れた後でも構わないぜ? 最後に選ばれたのが俺っていいじゃん、いろいろあって落ち着く先って響きがいい」
「あっきーは私ならなんでもいいんだもんね」
「よくわかってんじゃねぇか。ま、確かにこんなとこ打算と下心がないと来ないけど」
「ここ来たかったんだよね?、有人さんと」
「だろうな~。ちゃん鬼道クンのこと大好きだもんな」
「まぁね! あーあ、鬼道くんの隣に座って鬼道くんのゲームメーク聞きながら頷きたかったなー!」
「ベンチで隣に座り続けてゲームメーク談義してた俺にとっちゃ致命傷レベルの惚気だよ」
は鬼道の才を誰よりも尊敬している。憧れている。
彼の話を聞きたいというのは妻としてではなく、サッカー戦術に携わる者としての純粋な願いだろう。
だからは、ゲームメークの話をする時は鬼道に敬意を表して『有人さん』とは呼ばない。
呼べないのだろう。
にとって天才ゲームメーカー鬼道有人とは、彼女自身が意識するより前から目標としていた存在なのだから。
かつて中学生だった頃、鬼道に後れを取らないゲームメーカーとなるべくと主にベンチで研鑽を積んだ不動は、世界中の誰よりも早くの心中に気付いたと自負していた。
ちなみにその感情を不本意ながらも認めたのはつい最近のことだ。
「鬼道クン呼べば? 来てって言ったら来るんじゃね? ノート見せてたし、あれ見て何も思わねぇんなら俺は鬼道クン殴るね」
「殴るんならぶつわよ」
「たとえ話だよ。ちゃんまだこっちでの仕事残ってんの?」
「フィーくんとの仕事は終わったよ。あっきーは?」
「俺は準決勝と決勝は解説やるから最後まで。稼ぎ時なんでね」
「てことは、そこは有人さんにチェンジできるってことか! 有人さんが人気すぎて妻も鼻が高い」
「ちゃんさっきから何言ってんだ?」
「私をダシに有人さんを準決と決勝の解説に召喚しようかと」
突然誘って、果たして鬼道は駆けつけてくれるだろうか。
試合でのフットワークは軽いが、私生活での夫は非常に慎重な男だ。
何をするにも無理強いはせず、必ず了承を得てくる。
もはやそれが彼の性癖なのではないかと疑ってしまう場面でもそうだ。
このタイミングで嫌と言えば彼はこの後どうするのだろうと、何度悪魔の尻尾と角が生えそうになったことか。
はレストランから出ると、重々しくスマートフォンをタップした。
ワンコール鳴り終わるより先に、もしもしと静かな声が聞こえてくる。
は不動が現れたのを視界の隅で確認すると、あのねと口を開いた。
「有人さん、仕事しない?」
『仕事? そんなことよりも、この間の中継は』
「そんなことよりも鬼道くん、私と仕事しない? 今なら不動くんもついてくるかもしれない」
「おいおい、俺は絶対だぜ。俺の解説枠だからな、鬼道クンはオマケ」
『なるほど、そういうことか。も出演するか?』
「鬼道くんとゲームメークの話できる機会を逃すと思う?」
『わかった、行く』
「ほんとに?」
『いっぱいお話できるいい機会じゃないか。チャーターで行くから足は心配しなくていい、それから一緒に帰ろう』
「わかった! あ、そうそう、私もちゃんと買い替えてるから楽しみにしててね」
『何を?』
通話を切り、寒いのか小刻みに震えている不動の冷たい手を両手で握り包み込む。
マジでと尋ねられたのでマジと答えると、不動が側のソファに倒れ込む。
不動はいつの時代も不遜な態度で座っている姿がよく似合う。
は不動に並んでソファに腰を下ろすと、がんばろうねと声を上げた。
「大丈夫あっきー! 私もいるから有人さんの解説独壇場にはならないはず! がんばろう!」
「頼むからちゃんは大人しく俺と鬼道クンの白熱した解説合戦を仲裁して。もう放送事故起こさないで。あと何買い替えたか教えて」
「は、そりゃもちアレよ、内緒」
「アレか?。見せてくれたら俺もがんばる」
「だーめ。てかなんでわかったの?」
「この状況でわかんないのは鬼道クンくらいだと思う」
とにかく今から選手とチームのこと勉強しないと、忙しい忙しい!
会食の余韻を味わうつもりはないらしく、慌ただしくホテルを出ていったのドレスから覗いた白い背中を見送る。
鬼道にはもちろんだが、にも無様な姿は見せられない。
決戦の日は刻一刻と迫っているのだ。
頂点に君臨する者に迫る戦いはいつだって、何だって血湧き肉踊るものだ。
不動は勢い良く立ち上がると、の泊まるホテルとは真逆の方向へ足を向けた。
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