ここからは地球の表側




 チャーターした飛行機のタラップを降り、眩しい日差しに目を細める。
愛用のサングラス越しに前方を見つめると、にこやかに手を振る女性と、彼女にしなだれかかるように体を傾けニヤニヤと笑っている青年がいる。
電話口では訊きそびれてしまったが、やはり2人は一緒にいたらしい。
鬼道はサングラスを胸ポケットに仕舞うとに歩み寄った。



「ずっとここにいたのか? 待たせたな」
「やだ~有人さんってば、それ修也の口癖! わざと言ってるでしょ」
「はは、ばれたか」
「修也と何年一緒にいたと思ってんの、有人さんといるより長いんだから」
「・・・今のところは、だがな」
「けっ、鬼道クン傷ついてやんの」



 ケケケと品なく笑うかつてのチームメイトの放言を睨みつけ、の背に手を回し出口へと足を向ける。
日本から急に飛び立ち、さすがに今日は少し疲れた。
時差にも慣れたいし、まずはホテルでゆっくりと体を休めたい。
空港に待機させておいたタクシーに乗り込んだ鬼道は、当たり前のように助手席に座った不動においと声をかけた。



「いつまでついてくるんだ、失せろ」
「でも行き先一緒だろ。仲良くしようぜ」
「へぇ、あっきーホテル変えたんだ」
「後で遊びに行くからちゃんの部屋番号教えて」
「いいよ、えーっとね」
、教えなくていい」
「ちぇっ、心が狭い夫なことで」



 今すぐ不動をタクシーから突き飛ばして路上に捨てたいが、と楽しげに話しているので無下にはできない。
せっかくの休暇に仕事をねじ込まれたがせっせと溜め続けていたであろうストレスを、今もこうして発散させている相手は不動なのだ。
が非難の声を上げたり、落胆させるような状況には持ち込みたくない。
鬼道は目を閉じると、と不動の会話に耳を傾けた。



「イタリアの幼なじみクンは帰ったわけ?」
「うん。でも有人さん来るなら残っとけば良かったって昨日電話で言ってた」
「やっとちゃんが夫婦水入らずの時間持てたってのに気が利かねぇ野郎だな」
「フィーくんもあっきーには言われたくないと思うよ」
「確かに」
「一緒に遊んであげるの今日までだからね。明日からは時差ボケ治って完全無欠になった有人さんとバカンス満喫するから邪魔したらぶつ」
ちゃん、ほんと鬼道クンのこと大好きだよな」
「まぁね! こんなに好き好き言ってる嫁放ったらかしにして寝てる有人さんの寝顔、かわいい~」



 目を閉じていて良かった。
不動との会話が、眠りを妨げるレベルの音量で繰り広げられていて良かった。
寝不足と不動に対する苛立ちで機嫌はすこぶる悪かったが、の場を弁えない惚気のおかげですっかり元気になった。
これなら数日後の解説も万全の体制で臨めそうだ。
実況は各馬と聞いたし、主導権は完全にこちらにある。
タクシーが止まり、が有人さん有人さんと体を揺する。
今目覚めたばかりの体を装って目を開けると、またもやニヤニヤと笑っている不動が視界の隅に入る。



ちゃんいい嫁だな、鬼道クンにはもったいない」
「やらんぞ」
「寝たふりしながら聞いた惚気話ってどんな感じ?」
「・・・・・・最高だ」



 有人さん、早くお部屋行こうよ!
一足先にロビーに入ったが大きく手を振っている。
鬼道はらしくないアシストを演出した不動に真顔で頭を下げると、の元へ駆け寄った。

































 プライベートはプライベート、仕事は仕事。
その志は非常に崇高でもっともだと思うが、もう少し手心を加えてくれても良かったのではないだろうか。
鬼道は前半戦の間に手汗でびっしょりとなった手をタオルでしきりに拭っていた。
さすがは大会初日から現地入りし、時間が許す限り白い流星と試合を観戦し続けていただけはある。
円堂邸の新品テレビでは収集することができなかった情報、視界、戦術、それらすべてをは知っている。
あれはどう、この選手の動きはこれ、
カウンターはどこから。
大会を通じ最新の知識を手に入れたの解説は、非常に正確だった。
もはや未来予知の境地だったかもしれない。
ここまでとは聞いてないんだけど。
を挟んだ座席で同じく手を拭いていた不動は、引きつった顔で離席中のの席を見下ろした。



ちゃん、幼なじみクンとどんな観戦してきたわけ。違う事故が起こってる」
「嫁が強すぎてすまない。自慢の嫁なんだ」
ちゃん張り切ってたからな、鬼道クンとゲームメークのお話するんだ~って、ありゃ気合入れすぎ」
「俺の解説のためにそんな努力を・・・。何から何まで愛おしい人だ」
「いや鬼道クン、俺らこのままじゃ後半マイクのスイッチ切られるって。ちゃん実況の奴とも知り合いみたいだし、昔から美少女ってだけでそんなに人脈作れる?」
「話せば長くなるが、俺がと初めに会ったきっかけは・・・」
「その話は駄目です」



 休憩から戻ったが、席に座るなり鬼道の口を手で蓋をする。
俺は話したいんだがと拗ねた顔をする鬼道に、が真顔で駄目ですと却下する。
思い出したくない黒歴史ですとばっさり切り捨てられ、鬼道が黒歴史と復唱する。
ここはあまり茶化さない方が良さそうだ。
不動は落ち込んだ鬼道の肩をぽんと叩くと、に努めて明るく声をかけた。



ちゃん、後半なんだけどちょっと口数減らさない?」
「え~なんで? さっき裏でテレビ局の偉い人とかチームの人からいっぱい名刺もらってもっと声が聞きたいってラブコールとアンコールもらったのに」
「俺らの仕事奪わないで」
「私の仕事でもあるんだけど」
「せっかくの特等席で観てんだから俺の存在なんて忘れて夫婦水入らずで試合観戦してって言ってんだよ。鬼道クン寂しがっちゃてるじゃねぇか、嫁、なんとかしろよ」
「だから鬼道くん元気ないの!? 世界中の視聴者相手に嫉妬して!?」



 理由はもうなんでもいい。
嫁のせいで鬼道の元気がない。
嫁の様々な言動のせいだ、こちらは何ひとつ悪くない。
悪くないどころか、鬼道がこの地に降り立ってからアシストプレーばかりしている。
チームに献身的なプレイは試合でもしないのに、に惚れていた弱みでつい、彼女が愛する男のために尽くしてしまう。
いくつになってものことを好いていて、彼女に喜んでほしくて、笑顔のために走り回っている。
それに今日は舌がよく動く気がする。
前日からや鬼道とたくさん話して騒いだおかげだ。
与えられたチャンス、訪れた好機をみすみす逃すほどこの目は節穴ではない。



「じゃああっきー、後はよろしくしてもいい?」
「元はと言えば俺の仕事だし、当然」
「元は有人さ「」あ、そっかなんでもない」
「お前ら夫妻、何か俺に隠してるよな」
「「何も?」」



 マイク切っちゃうねとあっさり職務放棄を決めたに、そこまではと必死に押し止める。
後半から一切登場しなくなると、それはそれで不穏な憶測を招く。
不動は、特製試合データとやらを収めたタブレットを顔を寄せ合って眺めている鬼道夫妻を眺めた。
大好きな、見たくてたまらない笑顔がそこにあった。





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