私には兄と従兄が1人ずついる。他の家族は亡い。
そしてその兄たちも、たった1人の可愛い妹を置き去りにしやがった。
白馬は誰が姫を乗せる 序 置き捨てられて敵陣の中
馬超率いる連合軍は、報復でもあった曹操との戦によって壊滅した。
見るも無残な負けっぷりだったが、こうまで素敵に負けたのは曹操に殺された父、馬騰の義兄弟が曹操に取り込まれたからだった。
馬と同じくらい正義を愛する馬超は、この正義の欠片もない戦いにひどく憤った。
しかし彼は怒りのやり場を与えられることもなく、長年慣れ親しんだ涼州の地から去らなければならなかった。
それも、これまた馬超がもっとも嫌うと言ってもよい逃げるような方法でである。
孤高の勇者馬超にも家族はいた。
父や弟は曹操によって遠く離れた地で殺されてしまったが、従弟の馬岱と異母妹のだけは息災だった。
彼はこのたった2人残された一族を連れ、南の益州に落ち延びることになった。
「岱、。いずれ曹操を倒す。だから今は大人しく逃げるぞ」
「従兄上が一番大人しくして下さい。私とは平気ですから。ねぇ」
馬岱は従兄にちくりと釘を刺すと、そのすっきりとした端正な顔を従妹に向けた。
彼の視線の先には、長く伸びた黒髪を無造作に頭上で纏めた黒目の美少女がいる。
彼女がという。
は勝気な色を宿した瞳をきらめかせ、大きく頷いた。
「岱兄上の言うとおりよ。くれぐれも暴走しないようにしてよ」
「こそ、この兄をしっかりと追いかけるんだぞ」
「・・・こんなわかりやすい目印ないから」
はぼそりと呟くと、机の上に置かれたぎらぎらと輝く兜に目をやった。
敵に追われていようが、馬超はいつもこのやたらと派手な兜を被っている。
そのせいで、何度彼の耳元もしくは頭上を矢が掠めたか知れたものではない。
兄の身が心配だからこそ、同じ兜でもやや地味な種類のを贈ったにもかかわらず使おうとしないのだから、よほどその兜が好きなのだろう。
もっとも、この錦馬超の手にかかれば弓矢の1本や10本なんてことはないのだが。
「益州には劉備殿という人徳で名高い漢がいるらしい。同じ正義を貫く者として、ぜひ会ってみたいものだな!」
「せいぜい矢とか槍とかに貫かれないように」
「! 俺の心配をしてくれるのか、兄は嬉しいぞ!」
「も従兄上の愛情をようやく理解したのですね。あぁ良かった」
「2人とも話聞いてないでしょ、ねぇ」
月夜にの諦めたため息が響いた。
よく朝早く、馬超たちは粛々と移動を開始した。
先頭は絶影に乗り、愛用の槍を小脇に抱えた馬超。
彼の斜め後ろには馬岱、さらにその後ろにはがそれぞれ騎乗している。
「よし、このままならば何事もなく通過できそうだ」
「・・・乱世は甘くないって兄上に教えてあげてよ、岱兄上」
「教えたところで3日経ったら忘れてますよ。こういうのは身体に刻み込まなきゃ」
たとえば追撃とかでと馬岱が付け加えた時、遠くはない背後から鬨の声が聞こえた。
「なに!? 追手か! おのれ曹操め、許せん!」
「落ち着いてください従兄上! 逃げますよ、ほらも!」
ぐるりと反転し敵陣に単身突っ込みかけた馬超を、馬岱は馬ごと止めた。
ここで逃げなければ、本当に殺される。
馬岱の直感だった。
馬超は舌打ちすると、の隣に控えている少女を掴み上げた。
そして絶影の後ろに乗せ、全力疾走を始める。
「、兄から離れるな! しっかり捕まっていろ!!」
「兄上!? あの子は私の護衛なんだけど」
あの人どこまで馬鹿なんだ、妹と護衛を間違えるか普通とは胸の中で毒づいた。
まぁ、あの子は間違いなく無事だろうからほっとしたが、兄が人違いと気付くのは一体いつなのだろうか。
おそらく益州に入ったあたりでであろう。
絶影の速さには他の馬は到底敵わないから、すなわち馬超の暴走を遮るものはないのである。
というか、残された自分たちはどうなってしまうのだ。
万一の有事にこそ役に立つ、彼の他を圧倒する強さはどこへ行った。
「従兄上、やるべきことはしっかりとしたのですね・・・。さすがとても言いますか」
「それは私を絶影に乗せたこと?」
独り言を言いつつ逃げる馬岱の後ろには追いついた。
てっきり先に逃げたと思っていた従妹がすぐ傍にいることに、きょとんとする馬岱。
しかしすぐに、何が嬉しいのかにっこりと笑った。
もう一度言うが、彼らのすぐ後ろには曹操軍が迫って来ているのだ。
笑顔を見せる暇など寸分とてない。
「、私が心配になって戻って来てくれたんですね。嬉しいですよ。でも私とあなたは従兄妹同士ですから、その気持ちに応えることはできないのです」
「違うから。単純に兄上が連れ去ったのは私の護衛」
ひゅんひゅんと時折飛んでくる矢を器用に回避しつつ、2人は疾駆した。
途中、道が二手に分かれた。
どっちを馬超が通ったのかはわからない。
目印ぐらいつけておいてほしいものだ。
あの兜とか置いてあったらすごく楽なのに。
「、二手に分かれましょう。どちらも益州のどこかには繋がっているはずです。繋がっていなかったら、獣道通って下さい」
「私を人間と思ってますか、岱兄上」
馬岱はやんわりと笑うと、とは違う道に姿を消した。
こうなったら腹を括るしかない。
私だって不本意だが錦馬超の妹。
かくなる上は獣道だろうが川だろうが通ってやる。
いき過ぎた怒りは、時として人をたくましくするものである。
「向こうで会ったら一発殴る!」
は天を仰いで叫んだ。
ちょっと後ろにえらく体格のいい敵武将がいるような気がしたが、軽く無視したかった。
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