縁儚し恋せよ姫君     12







 初めて会って誘われるがままに初めて手合せをした時は尚香が次々と放つ矢を叩き落とすことで精いっぱいで、いつの間にやら近付いていた彼女の体術には成す術もなく地面に倒されていた。
実はあの時すごく悔しかったのだ。
同じ姫君で場数は違えど同じように戦場に出て武器を振るっているのに、尚香に太刀打ちできず破れたことが悔しかった。
悔しさを表に出して悟られることすら悔しくて恥ずかしかったので、手合わせをした翌日からより真剣に鍛錬に打ち込むようになった。
凌統からは体術を学び、甘寧やその子分たちからは奇襲戦法を教わった。
陸遜からは彼の相手が務まったかどうかは定かでないが兵法の話もしてみたりして、少しでも尚武の姫君に近付けるよう努力した。
は尚香の圏での攻撃をひらりとかわしざまに剣戟を繰り出すと、弾かれたと同時に間合いを取り剣を構え直した。
やはり尚香は強い。
以前よりも更に強くならざるを得なかったのだろう。
見ず知らず者ばかりが住まう地で暮らすことにはとても神経を使う。
巴蜀の地の者たちが尚香をどう思っていたかは定かでないが、少なくとも麦城での関羽の死から人々の尚香を見る目は大きく変わったはずだ。
強くあり続けることが自らを保つ最後の手段だったのかもしれない。
は剣を構えたまま、尚香殿と呼びかけた。




「尚香殿がこちらに戻られるつもりがないことは私にもわかっております。・・・わたくしが尚香殿と同じ立場にあっても帰りますまい」
「ええ、帰らないわ。だって私は玄徳様の妻だもの。・・・ねえ、どうしてあなたがここにいるの? どうして私を追いかけたのがなの?」
「わたくしは、わたくしの大切な方たちが仲間同士で争い悲しむのを見たくはありません」
だって大切な仲間よ!? 私たちは行った先では違う国の人だけど、でも、玄徳様は私のことを大切な家族だって言ってくれた。
 だってそうよ、は立派な兄様の国の家族よ!」
「・・・本当にそうなのでしょうか」
・・・?」
「わたくしは時々わからなくなります。わたくしがなぜまだ生き永らえているのか。わたくしがなぜかの地にいるのか。わたくしとは何者なのか」





 曹魏の公主とはおそらく誰も真っ先には思わないと思う。
そもそもこの出自を知る者自体わずかしかおらず、建業に住まうようになってから向こうの話を口にしたことはない。
しかし、凌統の想い人ともあまり思われていないように感じる。
思い返すと、凌統と衆人の目がある中で一緒にいた記憶はあまりない。
もっと言えば、2人きりになったことはほとんどない。
いつも周りには陸遜や甘寧がいて、気を利かそうとしない2人を囲み散々話をした帰りに2人で少し言葉を交わす程度だ。
きっと、良くも悪くも陸遜の元にいた小間使い程度の認識なのだろう。
嫌ではないのだが、もちろん嬉しくもない。
なぜここにいて何のために生きているのか悩んでも仕方がないと思う。
尚香は悩み動きを鈍らせたとの間合いを一気に詰めると、いつぞやのように地面に伸すべくの腕をつかもうと手を伸ばした。





「同じ手を何度も受けるほどわたくしも愚かではございません。そして、同じ相手に何度も後れを取るほどわたくしは負け好きでもございません」
「くっ・・・」





 凌統から学んだ体術を駆使し、尚香の伸ばした腕をつかみ勢いに任せ地面に倒す。
伊達に鍛錬を積んできたわけではない。
は地面に転がった尚香からすぐに離れると、飛刀を取り出し投擲した。
転がりながらもそれらを避け立ち上がり態勢を整えるのは、尚香にはできてこちらにはできない離れ業だ。





「お願い、私の邪魔をしないで。私は玄徳様を逃がしたいだけであなたと戦いたいわけじゃないの」
「では尚香殿が武器を下ろして下さいませ。さすればわたくしも剣を捨てましょう」
、あなたは本当にここに来ちゃいけないの。いけなかったの。・・・玄徳様が起こしたこの戦いがお互いに得るものが何もないってことはみんな知ってる。
 でも、頭がいい人はただ損害を出すだけだと困るから負けの中からでも戦利品を欲しがるの」
「敵の首級でしょうか」
「そうね。でも、兄様の軍が強いことはみんな知ってる。玄徳様の軍は誰が見てもわかるようにもうぼろぼろ、正面から立ち向かっても打ち破られるわ。
 それにそもそも兄様の軍を倒してもいいことなんて何もないわ。蜀軍が・・・、諸葛亮が欲しいのは蜀軍でも呉軍でもない、曹操の娘である曹あなたの首よ」
「よもやそのような戯言。わたくしは、わたくし自身をあの方の娘とはもはや思っておりません」
「・・・私たちはどこへ行こうと出自を変えられないわ。私が玄徳様の妻で、それを誇りに思ってるけど成都じゃ必ずしもそうは見られなかった。私は兄様の妹だから。
 が本国で死んだ身扱いされてても凌統に見初められても、それでも家族でない他人から見たらは曹操の娘、公主なの。それが姫君の定めよ」





 がここに来ることも、私がここに残ることも残念だけど全部あの人にはお見通しだったみたい。
悲しげに尚香が呟いた直後、どこからともなく四方から聞こえてきた馬蹄の響きと曹操の娘はどこだと叫ぶ怒声にはぎゅうと剣を握る手に力を込めた。
謀られた。
こちらがどう思ってここに来たのかは知られていないのだろうが、行動は読まれていた。
自らの行動が本隊の囮になるとはわかっていたしそうなってもいいと覚悟していたが、予想以上の大物を釣り上げてしまったらしい。
強大なばかりに敵も作りやすかった父だから、今は蜀軍に身を置いている曹操憎しの将がいてもおかしくない。
誰だ、どこの隊が釣れた。
騎馬隊を率いる金色の兜を身に着けた派手ないでたちの武将を目にしたは、西涼の金馬超と呼ばれる男の憎悪の籠った目を見た瞬間全身が震えるのを感じた。







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