かたきどもの遠吠え     4







 一番槍を務めたがるのは結構だが、戦場以外でもいささか性急すぎやしないか。
李典は次々と明らかになる事後報告を楽進から受け、はああと深い溜息を吐いた。
確かに許昌に戻ってきた時、2人でとも飲みたいなとは話していた。
賈クにいびられていないか、無茶をしていないか、今でも心に何か抱えているのではないかと密かに様子も見に行った。
扱き使われているのか目まぐるしく働く彼女に声をかけることはついぞできなかったが、元気そうな姿に安心した。
落ち着いたら改めてと思い窺っていた日にはは非番で、しかも楽進と出かけたという。
あんたも運がない人だと賈クには同情されるし、いいことが何もない。
誘おうと思っていたのは俺だし、俺から誘っとくわと楽進にも言っていたし、店なども考えたかったのになぜだか酒宴は楽進の私邸だ。
李典は公私に渡り無自覚の用意周到さをいかんなく発揮している頼もしい同僚を、ほんの少しだけ恨めしく思った。






「どうされましたか李典殿。もしや、お加減が優れぬのでは・・・」
「いいや、絶好調だ」
「ですが無理は良くありません。には私から話しておきますので、このまま休んだ方が・・・」
「平気だって! ていうか俺にも少しくらいに構わせてくれよ頼むから!」
「・・・・・・私は別に構っていただかなくてもいいのですが」
「ああ、いらっしゃい。良かったですね李典殿、ですよ」




 戦場で見る時とは違い、身綺麗にしている小柄な女性が楽進の背中からひょっこりと顔を出す。
じとーとこちらを見つめ、お久し振りですと頭を下げるのは間違いなくだ。
少し見ない間に大きくなったとはお世辞にも言えないが、前よりも随分と穏やかな表情をできるようになったと思う。
少なくとも、今にも死にそうな思い詰めた顔ではない。
賈クの元にいて平気かと案じていたが、彼女なりに賈クとの付き合い方と典韋との関係に区切りをつけたのだろう。
こちらが何もしてやれなかったのは悔しいが、彼女自身が過去を解決することができたのであれば、それ以上に喜ばしいことはなかった。





「元気そうだな、良かった良かった」
「李典も相変わらずお元気そうで安心しました。あ、楽進、これお土産」
「ありがとうございます。おや、随分と美味しそうな点心ですね」
「なんだ、が作ったのか?」
「いえ、兵の間で評判のお店です。食べれば体力が増すなんて言われてるんです」




 家人に土産を渡した楽進が2人を部屋へと案内する。
李典は席に着くと、早速の盃に並々と酒を注いだ。




「賈ク殿のとこはどうだ、慣れたか?」
「はい、最近は忙しいですけど」
「李典殿、はすごいんですよ。賈ク殿に副官にならないかと打診されているそうです」
「まあは真面目だし仕事もできるしそのくらいの役職当然だろ。副官になったらもっと扱き使われそうだけど」
「だからその話は断るつもりだと言ったじゃない、楽進」
「もったいないお話だと思います。そう思いませんか、李典殿」
「そうだぜ! あ、それとも賈ク殿の副官が嫌なら俺んとこに来るか? 三食昼寝つき、仕事もそうさせない! どうだ、いい話だろ」
「三食昼寝つきって、奥方じゃあるまいに・・・」
「お・・・っ、そ、それも俺は別にいいけどな!」
「は? そういえば聞いて下さい李典、私と楽進、今日防具屋から夫婦に思われてしまったんですよ」
「は!? おい楽進、あんた本っ当に狼退治行っただけか?」
「ええ、狼退治に行っただけです。安心して下さい、ちゃんと説明もしましたし、何よりも私がとなんて恐縮です」
「私ごときで恐縮なんてしないで下さい」





 そんなことありません、は立派な将です!
だから将じゃないですし、楽進もう酔ってますよね?
昔から3人で様々なことをしてきたが、楽進とは本当に仲がいい。
本物のきょうだいのようにも思えるほど、彼らは離れていても顔を合わせればすぐに会話が始められる仲だ。
羨ましいと思う。
楽進は礼儀正しく控えめな性格で、人当たりも良い。
自身も悪いわけではないが、楽進に比べればいくらかぞんざいだと思う。
子どもの頃にをたくさん泣かせたのもこちらだし、その度に慰め諌めていたのは楽進だった。
は楽進が好きなのだろうか。
そうだとしたら友として大いに応援するべきなのだろうが、上手くできない自信は多分にある。
それはおそらく、を好いているからだ。
よく戦ってくれる兵としてではなく、共に笑ってくれる友としてでもなく、彼女を好ましく思っているからだ。
その感情は、おそらくはかなり前から自分でも気付いていた。
だから、典韋を喪いどんどん暗く落ち込んでいくを止められなかったことにも、赤壁で深手を負った彼女を助けることができなかったことにも、合肥でが張遼に同行したことにも、
自分でも驚く以上に嫌で辛い思いをしたのだ。





「楽進、しっかりできないのなら今日はもうお開きにしましょう。李典、それでいいですか?」
「だな。はあ、酒に飲まれるなんざ俺らも歳かな」
「冗談はやめて下さい。2人にはまだまだ長生きしてもらわないと嫌です」
「・・・ごめん、そういうつもりで言ったんじゃない」
「・・・私の方こそすみません、いつまでも気を遣わせて」





 すっかり潰れてしまった楽進を任せ、2人で屋敷を後にする。
こんなことになるのなら初めから段取りをこちらに任せてくれれば良かったものをと思ったが、と2人きりでいられる時間の到来に考えを改める。
どこかで飲み直しますかと店を指差し尋ねてくる存外酒豪のに、李典は首を横に振り手を制した。
これ以上酒が入る前に言いたいことは言っておいた方がいいと勘が告げている。
李典は宿舎への道を歩き始めたに、なあと声をかけた。





「本当に副官の話は断るつもりなのか」
「しつこいですね、副官なんて私には務まりません。私は前線で戦う方が性に合ってるって、自分でわかってて言ってるんです」
「賈ク殿は軍師で、戦場での俺らの布陣はもちろんだけど自分の部下の特性も見抜いた上で仕事を割り振ってるんだと思う。
 それでもが前線で戦いたいって言い張るのは、昔の考えとは違う意味だってことでいいんだよな」
「・・・そうです。もうあんな戦い方はしない、絶対に」




 殿に怒られて、夏侯惇様と曹仁様にもお説教されて、たくさん心配かけて、もうあんな思いはさせたくないから。
そう続けるの声には淀みがなく、しっかりとこちらを見つめてくる。
そこまでわかっているなら、なぜまだ戦うと彼女は言うのだろう。
戦わないという選択肢をどうしては選ばないのだろう。
戦う必要なんてない。
思わず呟いた言葉が聞き取れなかったのか、が訝しげな表情を浮かべる。
李典はの腕を引いた。
何かと言いかけたの声を遮り、李典は口を開いた。





「なあ、さっきの話・・・、真面目に考えてみないか?」
「さっきってどの話」
「俺んとこに来るって話! 賈ク殿のとこ以上の待遇は約束する。三食昼寝におやつだってつけていい。俺のとこに来ないか・・・?」
「そんな厚待遇されたら私、腕が鈍っちゃいます」
「鈍っていいから!」
「・・・典韋のことがあるから李典が賈ク様のことを不安に思っているのはわかります。いつまでも心配かけててごめんなさい。でも・・・・・・」
「でも?」
「一緒に仕事してみると、案外あの人も悪い人じゃないんですよ。やっぱりちょっと辛気臭いとこはあるし、顔も悪人面だけど」





 だから李典はそろそろ自分のことを第一に考えて。
誰よりも第一に自分のことを考え提案したが、それすら気付いてもらえない。
は李典の手をゆっくりと振り解くと、宿舎へと戻っていった。







分岐に戻る