かたきどもの遠吠え     3







 事前に情報を受けていた地へ到着し、地図と見比べながら狼の出そうな位置に目星を付ける。
初めてではない任務なので大体の手順は心得ているが、慢心して怪我をしては目も当てられない。
しかも今日は1人ではなく楽進もいるのだ。
頼もしい護衛だが、彼もいる手前尚更無茶はできない。
は地図の一点を指し示すと、回り込みましょうと進言した。




「住民たちに聞き込みをしてみたのですが、さほど大きな狼ではないとのこと。飢えて里に下りてきているようですし、そう難しくはないかと」
「わかりました。狼退治など久々なので慣れた者の意見は非常に参考になります」
「こういう任務は兵卒の仕事ですから。あの、本当にくれぐれも怪我はしないで下さいね」
「それは私が言うべきことです。厳しくなればすぐに助けを呼びなさい、は1人ではないのだから」
「はい」




 落ち合う場所を最後にもう一度確認し、二手に分かれて進む。
道中出くわした狼は群れではあったが、どれもみな痩せていて動きも鈍い。
日々の生活に困窮しているのは人間だけではない。
哀れだとは思うが、領民の命を守ることも任務であるこちらにとって人々の命を脅かす存在である狼たちは退治するしかない。
は群れを蹴散らし茂みの前を通り抜けようとして、茂みの不自然な揺れに気が付いた。
ちらとは聞いていたが、野盗も出没しているのだろう。
伏兵の基礎もできていない連中のようだが、大立ち回りをするには少々厄介でもある。
楽進を連れて来ていて正解だったかもしれない。
は気付かないふりをして茂みを抜けると、野盗たちと距離が離れすぎないよう合流地点へと馬を走らせた。
さすがは楽進だ、もう到着している上に一緒に倒すはずだった狼も退治してしまっている。
は馬から降りると、楽進に目配せし武器を構えた。




「数は?」
「5名ほど。1人でも対処できるとは思ったのですが・・・」
「とんでもない! 私がいながらもしあなたに何かあったら、私は生涯自分を責めます」
「だからちゃんとおびき寄せたんですけど」
「よくできました。、あなたは下がっていなさい」




 言い終わらないうちに動き出した楽進の動きは、やはり普段行動を共にする兵たちとは比べものにならないくらい洗練されている。
彼の力の前では、5人どころか数十名が束になり襲い掛かってもなお勝つことはできないだろう。
これが将軍と兵の違い、経験の差だ。
は構えたままの武器を振るうことなく仕舞うと、戻ってきた楽進にお疲れ様でしたと声をかけた。
頬についていた血をまさか怪我かと思い手を伸ばすと、こちらの行動に気付いた楽進が身を屈める。
当たり前だ、楽進があの程度の相手に怪我など負うはずがなかった。
は頬についていた野盗の返り血を布で拭うと、ふうと息を吐いた。
大丈夫だとは思っていたが、見知った親しい人物が単身敵へ突入していく姿を見送るのは今でも心がざわつく。
きっとこれから先もずっとそう思うのだと思う、大切な人はたくさんいるのだ。





は優しいですね、それによく気が付きます。やっぱり女の子ですね」
「もう女の子って言われる歳ではないのですが・・・」
「おや、すみません」




 楽進にとっては、きっと自分はいつまで経っても子どものままなのだろう。
子どもと思っている相手を酒に誘うなんてそれもおかしいと思いながら、は笑顔で戦場を後にする楽進に慌てて駆け寄った。



















































 温かくなった懐に手を当てながら、商店を覗き込む。
報酬はきっちり折半にするつもりだったが、楽進が全額譲ってくれたおかげでかなりいい装備が買える。
は楽進と馴染みの防具屋へ向かいながら、どんな額当てにしようかと考えていた。
俊敏な動きを求められるため、兜などの重い装備は身に着けられない。
しかし布だけでは弓矢が飛び交う前線ではかなり心許ない。
できれば夏侯覇のような大剣を遣う相手の力押しにも耐えられるような頑丈なものがいい。
楽進みたいな額当ても好きですと言うと、楽進は照れ臭そうに頬を掻いた。





「自分もと同じように身軽に動きたいですから。いいものがあるといいですね」
「はい。これでまた戦えます。ふふ、思っていたよりも妥協しないで選べそう。これも楽進のおかげです」
「それは良かった」





 目当ての店へ入り、顔見知りの店主とその妻にこんにちはと挨拶する。
いつも1人きりで訪れているが今日は連れ、しかも将軍がいることに驚いたのか店主の妻はあらまあと歓声を上げた。




「まあちゃん、立派な方を連れて来て! でもごめんなさいね、ここには婚礼道具は置いてないの」
「いえ、そういうのではなくて今日は額当てが欲しくて」
「えっ?」
「え? いえ、ここは武具の店ですよね? 前使っていたものが壊れてしまったので、今日は新調しようと思っていて」
「えっ・・・えっ、ちゃん、じゃあ・・・、えっ、楽進様は・・・?」
「私は今日は彼女の付添です。そうだ、今日は出世祝いとして私に誂えさせてくれ」
「いいんですか? さすがにそこまでしてもらうのは・・・。報酬だって私が全部もらったし・・・」




 甘えていいのであれば、すっきりと甘えてしまいたい。
嫌だと言ってわかってくれる相手でもないし、出世するつもりはないがここは彼の好きなようにさせておいた方が良さそうだ。
は気に入っていたひとつを手に取ると、狼狽えたままの女へ差し出した。
何か重大な思い違いをしているようだが、本当に誰かとそういう事態になった時は改めて挨拶に来るので安心してほしい。
そう伝えると、女はようやく落ち着いた表情になりはあと気の抜けた笑顔を浮かべた。




「そうよね、私ってば早とちりしちゃってごめんなさい、そうよね、李典様ならともかく楽進様だものね、ちゃんにそんなこと思うはずなかったわ。
 楽進様、これからもちゃんとうちの店をよろしくお願いいたします」
「李典・・・? 楽進、李典が私に何か?」
「さあ?」




 また来てね、怪我しないでねと見送る店主と妻に別れを告げ真新しい額当てを胸に抱く。
がありがとうございますと言い深々と頭を下げると、楽進はとんでもないと慌てて両手を振った。




「気に入ったものがすぐに見つかって良かったです。怪我を防ぐためいいものを身に着けるのも兵の務めです」
「はい。これなら夏侯覇殿にも遅れは取りません。でも私、出世するつもりはないですよ」
「それでもです。あなたが傷つくのを見て悲しむ人は大勢います。殿も夏侯惇殿も李典殿も、もちろん私もそうです。賈ク殿だってそれだけ目をかけているのですから、とても悲しみます」
「そうでしょうか・・・」
「そうです。・・・さて、では荷物を置いたら食事にしましょう。予定は大丈夫ですか?」
「空けています。えっと、李典も来ますか?」
「はい。とても会いたがっていました」
「そうですか」




 李典と会うのも合肥での孫権軍迎撃戦以来だ。
あの時はそう話す時間もなかったから、きっと何やかやと言われるのだろう。
上司もいつぞやぼやいていた、また李典殿に小言をぶつけられたと。
好きではないが軍師という点においてはそれなりに信頼している上司なので、あまり彼を糾弾するような真似はしてほしくない。
副官でもなんでもないただの兵卒だが、そのくらいの諫言は言ってもいいだろう。
酒を飲ませる前にまずはそのあたりをきつく言っておかなければ。
は酒宴へ場所を変える次なる戦場に、顔をきりりと引き締めた。







分岐に戻る