マリオネットは夢を見る 終
寝台に残るの甘い匂いを引き寄せる。
昨夜はを何度も求めてしまった。
長らく溜め込んでいた想いをすべて打ち明け、存分にと囁くに従うがままに柔い体を抱き続けた。
愛していると何度告げただろうか。
嬉しいと応えてはくれたが、同意の言葉はついぞ聞けなかった。
嫌われてはいないと思う。
情事に対する価値観がやや特殊なでも、さすがに憎い相手には体を開かないはずだ。
「殿、大事ありませんか?」
丸まった布に腕を差し入れる。
何もない。どこまで探っても肉体がない。
荀攸は体を起こすと寝台を見回した。
まるで初めから独り寝をしていたような整い方だ。
匂いだけを残してが消えてしまった。
慌てて身支度を整え居室を出る。
厨からふんふんと軽やかな歌声が聞こえる。
聞き馴染みのない拍子だが、が歌えば何であろうとすべて天の調べだ。
が残っていて良かった。たった一晩の逢瀬で姿を消されなくて良かった。
まだ、は信じてくれている。
荀攸はそっとの背後に近寄った。
平時と変わらず色良く着こなした服から昨晩刻んだ愛の印がちらりと覗き、それだけで気持ちが高揚する。
昂った感情を堪えきれずに背後から腰に手を回す。
まあ、荀攸様!
歌うことをやめたが振り返ろうとして、動きを遮るべく荀攸は首元に顔を埋めた。
「どうかそのまま」
「そのまま、とは?」
「歌を続けてください」
「でも朝の支度をしないと・・・」
「殿の歌を聴かずしては何も手につきません」
「まあ、そうですか。ふふ、くすぐったい」
すうと息を吸ったが、途切れた歌の続きを口ずさむ。
呼吸のたびに上下するの胸や腹に命を感じ、ゆるゆると手を動かす。
よほどこそばゆいのか、の声が僅かに震える。
歌の続きよりも夜の続きがしたくなってきた。
美しいは声音も甘く美しいのだ。
あの声で名を呼ばれたい、悦んでほしい、愛していると言ってほしい。
我慢をしなくなったから、次から次にへの執着が生まれていく。
荀攸様、とが苦しげに声を上げた。
「どうしましたか」
「手を、その、良ければお口も」
「殿は歌もお上手とは。どちらの歌ですか?」
「わかりません、でも前は楽士見習いとして・・・あぁ」
「なるほど」
いや、と小声で漏れ出た窮状を聞き逃さずを解放する。
の「いや」がどの類に当たるのか判明していない以上、再び彼女から拒絶されたくない。
「いや」が積もり積もって、再び邸を出ていくと言われては敵わない。
しゃがみ込み、乱れた服と呼吸を整えるをじいと見下ろす。
楽士見習いとして都で厳しい修練を積んだであろうだ。
歌もあれだけ巧かったのだから、奏楽も相当の手練に決まっている。
瀟洒な楽器を構えているの姿はきっと、ひと目見たら忘れられない美しさだろう。
今度、の得意な楽器を仕立てに行こう。
天の調べに耳を傾けながら愛しい女と夢を見る、この上なく平穏で素晴らしい日々だと思う。
「殿」
「はい」
「殿に伝えきれていない心の裡はまだあります。ですからどうか、殿は末永く俺の元に」
「はい、わかりました。荀攸様のお心が離れるまで、はお側におります」
いつか、は自らの意思で居所を決めてくれるのだろうか。
彼女から求めてくれる時、相手は果たして自分だろうか。
荀攸は腰を下ろすと、の体をそっと抱き寄せた。
あとがき
許昌編でした。別作品の登場人物や事件が一部スピンオフしています。
意思が希薄な主人公と、主人公に心をぶん回され続けている荀攸と、果たしてどちらが「マリオネット」か。
このまますんなり上手くいくはずがないので、引き続きよろしくお願いします。
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