マリオネットは夢を見る     10




 順序が崩れてしまったなと、の形良く整った口を吸いながら頭の片隅で思う。
に対して抱く感情は様々で、ひとつひとつ告げていくときっとは困惑してしまう。
怖がって逃げ出してしまうかもしれない。
だから言えなかった。
伝えるのは今ではないと先送りし続けていた。
そしてが痺れを切らした。
引き留めなければは本当に邸を出ていたと思う。
拒絶された数刻前の痛恨事をすっかり忘れ、がむしゃらに腕を引いた。
想いが溢れ出て少々力強くなってしまったのか、倒れ込んできたを全身で受け止めた。
貂蝉から話は聞いていてそれなりに理解しているつもりだったが、想定以上には手強かった。
まさか女に組み敷かれる日が来るとは。
どこから見てもは美しかった。
今こうして腕の中にいるももちろん、このままずっと閉じ込めておきたくなるほどに愛おしい。



「初めは多分の罪悪感から保護しました。今も殿の平穏を奪った者としての自覚と自責の念はあります」
「私は荀攸様を命の恩人だと思っています」
殿から向けられる感謝の眼差しが耐えられませんでした。目が合わないのは他の理由が大きいですが」



 の顔に掛かった髪を退け、ゆっくりと頬を撫でる。
触れてしまうのを躊躇ってしまう美しい肌が、しっとりと指に馴染む。
そういえばは、こちらが薬の調達で不在にしている間に湯を浴びていた。
何から何まで準備が整っていて、どこまでがの思惑の範疇なのかわからなくなってくる。
荀攸は添えられた手に自身の手を重ねているを見下ろした。
手の温もりと柔らかさが心地良かった。



「荀攸様は私の容姿がお嫌いなのかと思っていました」
「まさか、ありえない」
「信じにくいです」
「まず、俺は殿といる時は常に殿を見ています。殿が猫を撫でている時も郭嘉殿に言い寄られている時も、基本的に殿しか見えていません」
「では目を逸らすのはどうしてですか?」
「照れるからです。微笑まれた日には、俺は罪悪感を忘れてしまう」
「私は早く忘れてほしいのですが・・・」
「それを忘れると俺は自制をやめることになりますが、殿は俺のすべてを受け止めてくれると?」



 すべて、と復唱しているの手を掴み唇を寄せる。
初めは指の先、次は手の甲、二の腕、脇へと次々に口付けを落としていく。
たくし上げた袖の隙間から、刻んだばかりの跡がちらりと見える。
もっと残したい。
どこを見てもが今日のことを思い出せるように体中に口付けたい。
自分だけの女にしたい。
露わにした首元に、嫉妬と欲情に突き動かされ噛みつく。
くすぐったいと小さく笑うの余裕が気に入らなくて再び唇を塞ぐ。
笑うことも話すこともできないように、深く長く呼吸を奪う。
ぐるりと首に腕が回され、体を引き寄せられる。
苦しいのかと唇を離すと、荀攸様と吐息とともに名を呼ばれる。
名を呼ばれるだけで体中の体温が上昇したような気がする。
は人という名の獣を手懐けるのも恐ろしく巧いらしい。



「ねえ荀攸様」
殿」
「私にも罪悪感、芽生えました」
「は?」
「ずっと我慢なさってたんですね、私が無知だったばかりに」
「俺の方こそ殿に辛い思いをさせました。今も俺は殿に無体を働いている」
「荀攸様は閨でもお優しいんですね。やっぱり今までの方とは違います」
「・・・・・・」
「荀攸様、私に荀攸様の無理も我慢も全部全部いただけませんか?」



 たくさん、たくさん、どうぞご存分に。
ぎゅうと胸に抱き寄せられ、の柔らかな肢体と匂いと温もりに包まれる。
が理解したような、まだどこか曲解しているような。
やはり順序が崩れてしまったことが一番の原因か。
言葉を尽くすより先に、の甘く艶やかな言葉と身体に完全にのめり込んでいる。
下半身に絡みつくの足に、心もがっちりと絡め取られている。
まだ彼女から愛情を勝ち得ていないのに。
薬の余韻が残っているからなんて腑抜けた敗因の弁も言えない。
直視できないほどに愛おしいの嫣然とした笑顔に主導権を奪われたきり、まったく戻ってこない。
抱いているのに抱かれている気分だ。
改めて仕切り直そうと思う。



殿」
「はい」
殿を抱く男は、俺を最後にしてください」
「・・・ええと、怒っていますか?」
「いえ、殿の生き方は尊重しています。正直を言えば嫉妬もしますが、そんなものは今更どうにもならない。俺は最後の男になりたいので」
「わかりました。ふふ、荀攸様に可愛がっていただけるよう精一杯お務めしないと」



 主でない、任務ではないと言い聞かせても、彼女は真面目な性分だから与えられた役目はしっかりと果たそうとする。
誰に対しても手を抜かず「務める」ことで愛寵や心を奪い、命を奪われずに生きてきたのだ。
あとどれだけの時を尽くせばは愛を知ってくれるのだろう。
荀攸は汗と香油で艶めかしく輝く肢体に自身を埋めた。





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