女狐の艶笑 6
趙雲は大いに困っていた。
特に何か気に障ることをやったつもりはないのだが、突然との連絡が途絶えてしまった。
いつもの馬超や馬岱との仲違いの延長かと思ったが、今回はどうも違うらしい。
人伝に聞いたところによると、先日馬家3人組は往来のど真ん中で3人が3人ともものすごい殺気と闘志を放っていたという。
武芸はからきしの文官たちは3人の他を圧倒する怒りに気圧され縮み上がっていたというし、いったい彼らは何に対してそこまで怒り、そして一致団結しているのだろうか。
曹操絡みならばそれでいいのだが、それとは違う気もする。
馬超だけならともかく、普段冷静な馬岱やも怒っているのだ。
手がつけられない状況になるのではないだろうか。
誰だ、あの3人を怒らせたのは。
趙雲は犯人が己だということにはちっとも気付くことなく、浅からぬ縁のある馬家一門を案じていた。
刃傷沙汰になる前にぜひとも怒りを鎮めていただきたいものだ。
「子龍、眉間に皺寄せてちゃせっかくの男前が台無しよ」
困るといえば、最近になって突然姿を見せ、遂には屋敷にまで押しかけてきた珠蓉も趙雲の悩みの対象だった。
どうやって屋敷の場所を探し当てたのか、旅道具一式を背負って現れた時は本当に驚いた。
お金を盗まれてしまったのと悲しそうに話す昔なじみを無下に追い出すほど、趙雲は鬼ではない。
当座の旅費を稼ぐまではいていいからとあやすように言うと、なんとそのまま居ついてしまったのだ。
夜遅く疲れて帰って来ても、お帰りなさいと出迎えられ甲斐甲斐しく世話を焼かれる。
彼女が来てから心なしか家も綺麗になった気もする。
本当に日中働いているのかと不安に思いもしたが、趙雲の住環境は格段に改善されていた。
このままではいけないと思いつつ、出ていけの一言が言えないのはこのせいだと自覚もしていた。
に知れたら馬で踏みつけられかねない事態である。
「そういえば近頃、子龍はあの可愛いお友だちと会ってる?」
「・・・避けられているのだろうか・・・」
「子龍を? ・・・あ、もしかしてあの子、好きな殿方でもできたんじゃない?」
「まさかそれはあるまい」
「いいえ、わからないわよ? だって私見たもの、この間あの子がとっても仲良さそうに男の人と歩いてるところ」
それはおそらく楊丹だと反論したかったが、に避けられ続けている趙雲は断言することができなかった。
楊丹はいい、あれの恋人がどこに勤めているかも知っているくらいに人畜無害なの子分にすぎない。
しかし、彼以外の男だとしたらどうしよう。
こちらに来なくなったのも、その男に現を抜かしているから?
ありえない話ではないような気がして、趙雲は表情を曇らせた。
思えば彼女と出会ってからというもの、どこがの心を惹きつけたのかと問われても具体的な事例を挙げることができない。
思い返してみても、張り手を飛ばしたり声を荒げて叱ったりと、彼女の機嫌を損ね怖がらせるようなことしかしていない気がする。
そもそもどこを好きになってくれたのかすら未だによくわかっていない。
どうしよう、彼女との関係が急に脆いものに思えてきた。
ずーんと落ち込み頭を抱えた趙雲を、珠蓉はにこにこと笑って見つめていた。
馬超と馬岱は諸葛亮の元を訪ねていた。
呼ばれたのではない、自らやって来たのだ。
諸葛亮のことは相変わらず苦手だが、今回は彼に報告しておくべきだった。
厄介なことになった時に頼りになるのはやはり、頭の良い軍師なのだ。
「お2人がいらっしゃるとは珍しい・・・。何かありましたか?」
「趙雲殿のことでお話ししたいことがある」
「趙雲殿・・・・・・。ああ、殿とようやく祝言を? 私は仲人ですか、光栄なお話です・・・」
諸葛亮にとっての存在は様々な意味で大きなものだった。
うっかり彼女を戦場へ連れて行ったばかりに目の前の猛将2人と怒らせ趙雲を切れさせ妻に叱られ、何段階にも渡って寿命が縮む思いをした。
本人はもう気にしていないようだが、諸葛亮はあの事件以来、それはもう丁寧にを扱ってきた。
そのおかげで彼女との仲はそれなりに良好になり、だから今回は仲人の話なのか。
そう勝手に思っていた諸葛亮だったが、馬超の違うの一言ですぐに現実に引き戻された。
「そういう浮ついた話ではないのだ。趙雲殿に女の影がある」
「殿を差し置いてですか・・・。命知らずな方がいらっしゃるものです」
「ええまったく。おかげで私たち、今にも暴れだしたいくらいに怒っています」
「文官たちが怖がっていたのでやめて下さい」
「趙雲殿にまとわりつく不愉快極まりない女は我らで片をつけたいが、事が大きくなるやもしれぬので、その時はよろしくお願いしたい」
「訳あり・・・ということですか、その女は」
「惜しいものです。私好みの美しい方なのですが、北からはるばる毒を持ってのお越しなので手を出そうにも出せません」
「・・・わかりました、どうぞご自由になさって下さい。女については私の部下にも見張らせておきましょう」
本当に、ろくな逢瀬を重ねられない恋人たちだ。
そろそろ進展があるかと思った頃に事件ばかり起きて、また先に進まなくなる。
しかしどうしてここまで周囲を巻き込んでいくものかな、馬家のお嬢さんは。
珍しくも謀略をいち早く察知した馬超たちの観察眼と野生の勘に若干の敬意を表しつつも、諸葛亮は遠からず起こるであろう修羅場を思い、深くため息をついた。
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