冬が来たれば
雪とやらを見とうございます。
おそらくは望めばほとんどすべてのものが手に入るであろう公主のささやかなおねだりに、居合わせた人々の表情が一様に曇る。
兄上は見たことがございますかと問われた曹丕は、苦々しい表情のままあるとだけ答えた。
好奇心に富んだの興味を刺激しないよう、できるだけつまらなく話して聞かせるに限る。
朱塗りの回廊に降る儚い白いものが詩情をかき立てるなんて本音を言ってみろ。
詩情の何たるかはほとんど理解しないだが、それほどに良いものならばぜひ見たいとせがむに決まっている。
曹丕は隣に座る兄弟同然の親族の足を軽く蹴った。
そうだなと張り切った声を上げる曹休には、嫌な予感しかしない。
「官渡に行った頃に見たことはありますが、とても冷たく身体が凍えるものなので殿には辛いと思います。だが、寒い中で皆で飲んだ茶は格別に美味かった！」
「文烈」
「まあ、それは風情があります。皆で焚き火を囲み暖を取るのでしょうか」
「その時は陣中だったので、殿が仰るとおりです。しかし驚いた、まさか殿から風情といった言葉が聞けるとは！ 良かったですね子桓殿」
「ふふふ・・・」
「文烈、もう良い」
「兄上、わたくしも雪を見とうございます。兄上や文烈殿と雪見をしとうございます」
「恐れながら様」
焚き火の支度はお任せ下さいと聞いてもいないのに張り切るに、共に書物を開いていた荀彧が静かに声を上げる。
この男は数いる弟妹たちの中でもには殊に甘いが、甘いからこそ危険なものは絶対に許可しない。
今でこそ丈夫だが、子どもの頃は病に伏せがちだったを寒空の下に連れて行くなど荀彧が納得するはずもない。
何の権限があるのか、彼は、に関するものは父が許したものにすら非難の声を上げるのだ。
もはやどちらが父親なのかわからない。
まるで父親だなと揶揄しても、恐れ入りますと言うだけで否定もしない。
父の信頼も厚い荀彧なので口出しせずに任せているが、彼でなければ即刻氷像にしていた。
「荀彧もやめろと言っている。わざわざ自らの身を危険に晒すような真似は感心せぬ」
「いえ曹丕殿、私は懸念はあれど否定はいたしません」
「・・・ほう。その理由は」
「今や華北の地も殿の統治下にあります。様が公主としてそこに暮らす人々や治世に興味を抱かれるのは当然のことかと」
「なんと、殿にはそのような深い心があったのですね！ さすがは殿だ、よく勉強されている」
「荀彧はああ言っているが、そうなのか？」
「ええ、荀彧殿のお口添えのとおりです。わたくしも曹孟徳の娘としてお役に立てることがあるのではないかと思案していたところです」
取ってつけたような理由と真面目な顔だ。
荀彧がいかにも立派な理由を並べ立てる強力な援軍となったから、は彼に便乗しただけだ。
いけませんかと、が不安そうな顔で見つめてくる。
の行動の良し悪しを決めるのは自分ではない。
が行くのであれば兄として雪見に同行し、行けないのであれば兄として沈んだの心を慰めるだけだ。
行くとなれば何を用意すれば良いだろうか。
は微塵も興味がないだろうが、雪見をするなら詩会も開きたい。
折に触れてには詩作の手ほどきをしているので、そろそろ何らかの才が芽生えても良い頃合いだ。
いつか、兄妹がつくった詩を集めて一冊の詩集にまとめたい。
兄弟仲は悪くない、きっと弟妹たちも同意してくれるはずだ。
「、行くのであれば手持ちの中で一番断熱に優れたものを選べ。なければ新しく仕立てろ。甄に話しておく」
「俺もぜひ子桓殿と殿の護衛として同行させて下さい！ 殿はあちらでも馬に乗られますか？ 寒さに強い馬は俺にお任せ下さい」
「ではわたくしは父上に外出のお願いをしてきます。荀彧殿もご一緒いただけますか？」
「かしこまりました。様のお力になるよう精一杯務めます」
後でわたくしと寒い日に合うお茶を選んでいただけますか？
いくつか心当たりがあります、もちろん。
晴れやかな笑みを浮かべ出立の準備を話し合いながら去っていくと荀彧を見送る。
父もこっそりついてきそうだが、果たして夏侯惇は父を止めてくれるだろうか。
曹丕はちっとも読み進めることができなかった書物を閉じると、語らずに落ちそうな危うい妹の後を追いかけた。
「なに、雪見？ わしも行くか」「孟徳」