びっくり箱入りのお姫様
昨日と同じように部屋を出て、散策に赴くべく宮城から足を踏み出す。
ちょっと待てと大きな声で呼び止められ、嫌だという気持ちを顔に出すことなく涼しげな表情のまま声の主を顧みる。
夏侯惇と夏侯淵が厳しい顔で手招きしている。
隻眼の親族の険しい表情はいつものことだが、もうひとりの慌てたような焦ったような、とにかく見慣れない表情には不安を覚える。
は大人しく2人の前へ歩み出ると、何かと問いかけた。
「お困りごとでしょうか」
「公主、今日はどこに行く。行き先は孟徳には伝えているのか」
「父には何も・・・。ですが侍女と警護の兵には宮城の散策と伝えております」
「宮城の外、例えば市街には出らんだろうな」
「お許しをいただければいつでも出とうございますが、なければ何も。おじ上たちにご心配をおかけしたくはございませんゆえ」
「淵、公主ですらこの聞き分けの良さだ。お前の姪も探せばどこぞにいよう」
決して褒められてはいない評価を下された気がする。
だが、今気にすべきはそこではない。
夏侯淵の姪の行方が知れないのだろうか。
直接会ったことはないが、夏侯覇から邸の外に出すことも滅多にない箱入りの令嬢だと聞いたことがある。
公主よりも深窓の令嬢がいることが俄には信じられず、話を聞いた時は思わずわたくしよりもと尋ね返してしまった。
とてつもなく変な顔で見つめ返されたこともちょうど思い出した。
彼はおそらく、こちらのことを深窓の令嬢と一度たりとも思ったことはないのだろう。
は困り顔の夏侯淵を見上げた。
大きく口を開けて笑う快活な将軍が、弱りきった顔で落ち込んでいる。
何か手助けできることがあれば良いのだが、いったい何ができるだろう。
程度の差こそあれ、同じく厳しく育てられている姫君同士だ。
箱入り娘が通いたくなる魅力的な場所にはいくつか心当たりがある。
市街の流行り物が並ぶ店、武器屋、料理屋、行きたいところは両の指では足りないだけある。
「わたくしも妙才おじ上のご親族の方をお探しいたします」
「いやいや、それじゃ行方不明がもうひとり増えるだけですって」
「わたくしとて箱入り娘の端くれ、同じく箱入りの令嬢が興味を引くような場所には心得がございます」
「お前が入っていた箱はもはや箱ごと燃えているだろうが」
「少々煤けただけです」
「公主、お気持ちだけでありがたいんで。公主は惇兄ぃが言うとおり、箱入りっつーのはもう難しいお年頃で。俺の息子を煙に巻くような方はもう箱入りとは言えねぇな」
今度こそ気のせいではなく、思いきり芳しくない評価をされた。
断罪された。
一応自分の中では箱入り娘として育てられている自覚はあったが、本当に独りよがりの感想だったらしい。
それならもっと行動範囲を拡大させてほしいと談判したいが、それを決めるのは夏侯惇たちではなく父や母だ。
箱入りでもなく、手伝うことすら許されず、ただただ何も為すことができない非力な我が身が惜しい。
夏侯淵たちだけで姪御を見つけることは難しいと思う。
箱入り娘は一度外に出ると、どこまでも歩き続けてしまう性質なのだから。
「おお、ここにおったか」
「そんな・・・」
「孟徳、公主の足止めはしておいたぞ」
「うむ、助かった。よ、おぬしもしばらくは宮殿からの外出は禁ずる」
「なにゆえ・・・。父上はお庭であれば良いとお許し下さったではございませんか」
「夏侯淵の姪の話は聞いておろう。おぬしも本来は外に秘すべき深窓の公主、姪御の行方がつかめるまでは警備も厳重にせねばならぬ。まさかないとは思うが、賊徒が許昌に紛れ込んでいる可能性もある」
彼女が見つかるまで外に出られなかったらどうしよう。
晴れて箱入り娘の勲章は取り戻せるかもしれないが、制限された自由はまた失われてしまう。
賊の仕業でなければいい。
彼女が自分の意思でもって許昌よりもさらに広い場所へ散策に出たという結末であってほしい。
もちろん無事に帰ってきてほしい思いはある。
は曹操に促され宮殿へ戻った。
出た時よりも宮殿が狭く見えた。
「殿ですか? 先程鍛錬場で見ましたが」「文烈、今すぐ連れ戻してこい」