箱から飛び出たお姫様




 突然の外出禁止令を言い渡され行き場を失くしたが、物憂げな表情で四阿から中庭を眺めている。
鍛錬場に行くことも許されず、できることといえば書物を紐解くか兄たちと歓談するくらいといったところか。
鍛錬場に来てくれなければ、宮中の奥深くで大切に育てられているであろうの姿を見ることはできない。
宮城に赴く用はあるが、所定の行路を外れわざわざの様子伺いには行きづらい。
せめて彼女が気付いてくれれば良いのだが、気付いたところで歩み寄りはしないだろう。
彼女はこちらの気持ちをまったく知らない。
父に仕える武人としか思っていないに決まっている。



「お呼びいたしましょうか?」
「いや、遠くでお姿を拝見できるだけで構わぬ」
「張遼殿がお側にいるのであれば、様も心置きなく散策できると思いますが」
「しかし私が見張っているようでは、公主は気が休まらぬのでは?」
「そのように険しいお顔で眺めていては、どんな方でも緊張するかと」



 フフと小さく微笑んだ荀彧が、四阿に向かいに何やら話しかけている。
荀彧に促されたが、ゆるりとこちらへ顔を向ける。
慌てて居住まいを正し拱手すると、立ち上がったがほんの少し早足でやって来る。
張遼殿と呼ばれ明朗に返事をしたつもりだが、正直上手く言えたか自信はない。
主君の娘を直視することも畏れ多く、下げたままの頭を上げることもできない。



「張遼殿が散策に連れ出していただけると荀彧殿より伺ったのですが、真でございますか?」
「場所によりますが、私で良ければお供いたしましょう」
「まあ、嬉しゅうございます。では早速鍛錬場に・・・」
「それはできかねます。公主を危険に晒すわけには参りません」
「危険危険と、このところ陛下のおわす許の都とは思えぬ話が多うございます」
「ご心配をおかけしており申し訳ございません。夏侯淵殿の縁者の行方については引き続き情報を集めていますが、御本人の帰還は未だ叶わぬ状況です」
「左様でございますか・・・。わたくしも何かお力になれれば良いのですが、外に出てはならぬと言われてしまい途方に暮れていたところでした」



 張遼殿のおかげですと、が弾んだ声を上げる。
心優しいだ。
面識がないとはいえ、彼女なりに親族の安否を気遣い胸を痛めていたのだろう。
が夏侯淵の姪を探したいと言うのであれば、彼女に危険が及ばない範囲で捜索を手伝うつもりだ。
もっとも相手の人となりをも自分も知らないので、街中で見かけたとしても本人と断定できないのだが。
その状況下でどうやって探そうとしていたのかは訊かない方が良さそうだ。
訊けばおそらく、の無策の捜索方法に苦言を呈してしまうだろうから。
できればに嫌われたくはない。



「ではわたくしは支度をして参ります。荀彧殿、お声がけいただきありがとうございました。また後ほど」
「お気を付けておでかけ下さい。張遼殿、公主をよろしくお願いいたします」



 軽やかな足取りで自室へ引き返したの背を荀彧と並んで見送る。
お節介が過ぎたでしょうか。
なんでもお見通しの王佐の才の機智に、張遼は無言で深々と頭を下げた。




























 様と見知らぬ娘に呼びかけられ足を止める。
振り返るより先に娘との間に割って入った張遼が、何をしに来たと叫ぶ。
わ、わ、わたくしと震える声で名乗ろうとする娘の姿を見たくて背伸びするが、張遼に阻まれ何も見えない。
は張遼の衣服を軽く引いた。
怖がっておられる様子と嗜めると、張遼が狼狽した表情になり口ごもる。
は張遼を脇にやると、今にも泣き出しそうな娘の前に歩み出た。
まったくもって心当たりがない顔だ。
隣の虎髭の男はどこかで見たことがあるような気がしないでもないが、やはり名前は出てこない。
張遼はもちろんとして、虎髭の男も剛勇を誇っていそうな気風を感じる。
往来で睨み合うのは往来の市民が怖がるので控えてほしいが、武人2人には何を言っても届かない気がする。



「あの、様。お久し振りです」
「どなたでしょうか」
「え、あ、あの、わたくし淵おじ様の・・・。以前宮中でご挨拶させていただいたのですが、その、覚えておいでではないですよね・・・」
「・・・・・・ああ」
「おめぇほんとにこいつの知り合いか? 全然ピンときてないみたいだが」
「こ、この方は様と仰って曹操様の御息女でらして」
「もしや妙才おじ上のご親族の方でございますか? そちらの方は?」
「お下がりください! こやつは張飛、曹操殿の敵です」
「張飛とは、関羽将軍の弟でいらっしゃる? 初めてお目にかかります、関羽殿はお元気でいらっしゃいますか?」
「お、おう・・・。なんだ、曹操の娘ってんだからもっと冷てえ感じの奴と思ったけど変わってんな」
「公主に対して何たる無礼な!」



噂に聞く張飛を間近で見たくて近寄ろうとすると、張遼が鬼の形相で叱責する。
主の娘に対してすげぇ態度だなと、張飛すら動揺している。
彼が手厳しく接してくることに対してはもはや慣れてしまっているので、今更どうとも思わない。
その感覚がずれていることに張飛に指摘されるまで気付かなかった。
本人の好きなようにさせるのは、本音はどうであれ世間体は良くないのかもしれない。
宮中から出ることが少ないから世間の常識がわからなかった。
やはり自分もまさしく箱入りの姫君だ。



「妙才おじ上が大層案じておられました。疾く戻られませ」
「ですが公主、こやつは」
「もとより娘を害すつもりであれば、とうに始末しているのでは? 障りが出るようであればが案内させたと伝えなさい。妙才おじ上であれば、わたくしの名を出さずとも張飛殿と事を構えはしないと思いますが」
様・・・っ、その、ご厚情ありがとうございます!」



 間違いなく夏侯淵の邸へと歩き始めた張飛たちを見送り、憮然とした表情のままの張遼を見上げる。
気に入りませんかと尋ねると、いいえと納得しきれていない声で返される。
予想通りの返答にふふと小さく笑みを零すと、張遼が驚いたようにこちらを見つめ返す。
たとえ事を構えたとしてもと呟き、小さくなっていく張飛の背へ視線を戻す。



「ここで倒さずとも、いずれ父や張遼殿たちが劉備軍ごと倒しますでしょう?」
「・・・ごもっともです」
「であれば今は2人にしておきましょう。箱入りの姫君は、外で過ごす時間が待ち遠しくてたまらないのです」



どうせ別れてしまう2人だ、会話ができるうちに別れの挨拶を済ませてしまった方がいい。
は宮中へ踵を返した。
今日は何もない一日だった。




そういえば一族総出でご挨拶いただいた際に、端にいらしたような・・・?



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