親の顔が見たかった




 偉大な父の木像を、じいと見つめる。
父を模した精巧な作りの木像からは、それなりの年月を経ても朽ちた点は見つからない。
持ち主は実子たる自分ではない。
父が我が子のように可愛がり、我が子以上に時間と愛情を注いだ娘が持ち主となった。
木像は持ち主の邸から引き出した。
父は、こんな顔を見せたことは一度もなかった。



「はじめまして、です」



 遠い昔、幼かった頃ににこやかに挨拶してくれた娘がいた。
母から聞かされていた悪評を吹き飛ばす春風のような彼女は、諸葛孔明の息子であるというだけで非常に丁寧に接してくれた。
父が五丈原で没した後、釣りに誘ってくれたこともある。
美しく通った鼻筋が印象的だった娘と2人で水遊びと楽しみにしていたら、なぜだか姜維も同行していたのは苦い思い出だ。
のことは、生前の父をよく知る人物として好きだった。
優しく朗らかで社交性に富んだ美しい彼女が姜維に取られてから、いつしか憎むようになっていた。
彼女は何もかも奪っていく。
誰もが彼女に寄っていく。
父も、姜維も、皆が彼女に惹かれ、引き寄せられていく。
諸葛瞻殿と親しげに呼んでくれるのも実は何か意図があって、こちらを手駒にするためか。
そうはさせない。自分だけは違う。
諸葛孔明の息子たる自分が、あんな女の思うがままになってたまるか。
諸葛瞻は綺麗に磨き上げられた父の膝に手を置いた。
父の膝はもう少し柔らかかったと思う。
父の膝の上で遊んだ記憶は辛うじてある。
たった一度の経験だったから、日常ではなかったという意味で記憶に深く刻まれている。



「しょ、諸葛瞻殿! ここにいた!」
「ようやく来たのか」
「あ、あのっ、諸葛亮様の像を前線に出したって聞いたんですけど」
「事実だ」
「どうしてですか?」
「父は死して後も蜀を守ってくださるからだ」
「この諸葛亮様は戦うお顔じゃありません。諸葛亮様はもう」
「私は父の、父親らしい顔を知らない!」



 怒りに任せて吐き出した言葉の鋭さに、の顔が悲しげに歪む。
諸葛瞻は荒く息を吐くと、綿竹関へ息を切らせて駆け込んできたを冷ややかに見つめた。
邸に像がないことに気付いてから、行方をずっと探していたのかもしれない。
に遺された数少ない思い出の品とはいえ、単身前線へ来るとは思わなかった。
生前の父の表情は乏しいものだった。
内心を悟らせたくないのか淡々としていて、喜怒哀楽がほとんど見えなかった。
と初めて会った時は、父がに向けていた表情の豊かさに驚いていた。
穏やかに笑う父の視線は息子ではなく、血の繋がりのないにしか注がれていなかった。
戦う顔も、優しい顔も知らない。
父親で、息子なのに、だ。



「そ、そもそも、像なんて出したって魏軍が退くとは思えないです」
「逃げたぞ?」
「それは一度きりだったから・・・」
「死せる孔明、生ける仲達を走らす。殿も走ったのだろう? 遥々ここまで、誰に似たのか。或いは、ここに来たのには他に理由が?」
「何言ってるんですか・・・」
「それほど父上の像が心配なら、共に出陣すれば良いのでは? 父上も、息子より愛情を注いだ貴女が傍にいれば安心なされよう」
「諸葛瞻殿!」



 やめて、考え直してくださいとが悲鳴のような声を上げる。
木像をの横に並べ、そのまま門の前まで押しやる。
長い間悪い夢を見ていた気分だったが、ようやく終わる。
籠もっていても魏軍は減らず、退けるしか蜀に残された勝ち筋はない。
諸葛亮様、ごめんなさい。
の泣きそうな声に合わせたように、成都へ続く重厚な門が開かれた。




私が知ってる諸葛亮様って・・・?



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