お隣さんの大惨事




 宮中までの道程でを見つけることができなかった。
姜維は連れ歩くべき女を見つけられないまま、辿り着いてしまった宮殿の入口に佇んでいた。
人々との交流を拒まないが珍しく警戒している将がいる。
魏からの降将なら夏侯覇も、古くは自らもそうだったから、は出自で差別しない。
長く蜀に仕え、少々の交流難はのらりくらりと乗り越えてきたが困っている相手は、よほど蜀のためにならない人物なのだと思う。
の才を語ることも測ることもできないが、彼女の蜀への愛は存分に思い知っている。
蜀のために戦う男に愛していると言わないは、国のことは大好きと即答する。
そんなを愛おしく思っていたはずなのに、愛してくれないを遠ざけてしまった。
はまだ、こちらを信じ相談してくれたのに。
 姜維は妙にざわつく胸に手を当てると、再び宮殿へ視線を向けた。
見慣れた顔が視界に入り呼び止める。
偉大な父によく似た顔立ちの青年が立ち止まり、不思議そうな表情で見つめ返してくる。



「これは姜維殿、いかがなされた?」
「そうだが・・・。趙広殿、殿を見ていないか? 迎えに行っても不在のまま、ここまで来てしまった」
なら費禕殿に引きずられて先に中に入っていきましたよ。今日こそ姜維殿が連れてくると思っていたんですが」
「・・・わかっているなら足止めしてくれればよいものを」
「早く行った方がいいですよ。に郭循殿が張り付いてます。俺はあんなとこ行きたくないし姜維殿だけです、を引っ張ってこれるのは」



 素っ気なく拱手し去っていく趙広の背中を見送る。
生前の趙雲を知っているから、彼とよく似た面差しで中身がまるで違う息子と接すると妙な気分になる。
と仲良くしているから何も言わないが、もう少し父に似せて誠実な雰囲気を出した方がいいと思う。
は趙雲を熱烈に推していた。
息子にそれを押し付けないのはの優しさかもしれない。
姜維は再びひとりになると、宮殿へと歩を進めた。
甲高い女の悲鳴と怒号が突如響き渡り、緩やかな足取りが駆け足へ変わる。
あれはの悲鳴ではないなと、気味が悪いほど頭は落ち着いているのが滑稽でならなかった。
まるで、さえ無事なら良いと心の片隅では考えているようだった。





















 ゆらゆらと、舞うように動く男の手を見ていた。
この人は費禕殿に近付くためなら何だってするんだなと、尽きない手数をずっと見ていた。
どんなにこの男が手を尽くしても、私が彼に手を貸すことはないし、心を寄せることはない。
巧いものだなと呑気にお酒を飲んでいる費禕殿に、私はそうですねと返した。



「剣舞も楽も、よくやるわ」
「そうですね」
「興味がない・・・と顔に出ておるぞ」
「そういうのする人が周りにいなかったんで」
殿は猛者に囲まれて育ったからな」
「ふふふ」




 でも肝心な時にいないんだよなと、上座からぐるりと見回す。
姜維殿はまだ来ない。
準備に手間取っているのか忘れ物をしたのか道に迷ったのか、そろそろ来てもよさそうな時間なのに来てくれない。
関索殿は魏に備えて陣に詰めていて、馬岱殿も前線にいる。
殿と男に呼ばれ、視線を向ける。
手招きを断ることはできず、ほんの少しだけ体を動かす。
かっこいいところを見せたかったのか、男がひときわ大きく右手を上に掲げる。
どす、と首に重い衝撃が加わる。
息ができない。
首を絞められたわけではないのに、当たりどころが悪かったのか吸うことができない。
どうして、今、何が起きた?
我が身に起きた変事に混乱し、何もできないまま身体が前のめりに倒れる。
ぶれる視界にうっすらと、狼狽えている費禕殿が映る。
ばしゅ、と重い肉を斬り裂いた音が聞こえた直後、顔に生暖かい液体がかかる。
何もできないまま、何かが終わった。




悲鳴さえ上げられない



Back  Next

分岐に戻る