流れ星の置き土産 3
本当に可愛らしい女童だった。
からかったわけでも世辞でもなく、曹操軍が誇る泣く子も黙る猛将たちの足元で大人しく土遊びに興じ、されるがままに頭を撫でられても平然としていた彼女に、純粋に興味と好奇心が湧いたのだ。
この子は将来きっと素晴らしい女性になると、少なくはない経験則から弾き出したのだ。
郭嘉はそう高らかに自身の見解を述べると、隣でうんうん唸りながら程イクからの課題に取り込んでいるの頭を撫でた。
これだけ愛を語られても反応すらしない姿もまた、汚れていない無垢な一面を見せられているようで非常に好感が持てる。
育てがいがある。
「郭嘉殿がを殊の外気に入っているということはよくわかりました。けれども、それとこれとは話が別です」
「私は女人の扱いには慣れているし、私ならこの子を誰よりも魅力的で素晴らしい娘にさせることができるのだけれど」
「それは郭嘉殿の好みの娘、ということでは」
「それ以外にどう育てるというのだい? 夢のある話だろう」
「は殿や夏侯惇殿たちが皆で育てておられて、今もこうして健やかにしています。郭嘉殿が引き取らずとも、この先も変わらず立派な大人となりましょう」
「朝から夕暮れまで畑にいて、典韋殿を見つければ私を差し置いて駆け寄り・・・。がこのまま筋骨隆々とした殿方しか愛せなくなってしまっては私はもちろん、李典殿も不憫だろう!」
いろいろな人物がかわいそうだ。
一刻も早くを郭嘉から引き離さなければ大変なことになる。
荀彧はようやく課題を片付けたらしいを屋敷の外へ逃がすと、頭を抱えた。
同僚の女好きが過ぎる。
女人を愛するのは結構だが、相手の齢を考えてほしい。
話す相手も曹操など同好の士を選んでほしい。
手痛い失恋をして間もないこちらに振らないでほしい。
もちろん郭嘉はそのようなこと知る由もないのだろうが。
「・・・まあ、いずれにしても彼女を戦場に近い場所に置き続けることはおすすめはしないな。彼女はあまりにも死に近すぎると、それは荀彧殿も気付いているのでは?」
「そうですね・・・。あの子は、行軍途中に殿や典韋殿が拾いそのまま育てられたと聞いています。情が湧いてしまったからというのであれば・・・残酷だと思います」
「今更まったく別の人生というものは歩めない。むろん私たち軍師はその時が来ないように力を尽くすのだけれど」
「大きくは変わらないでしょうね」
もしもその時が来たら、という覚悟など誰も教えないに決まっている。
乱世はそれがつきもので、誰かしら一度は経験をしているといってもおかしくはない。
も現に親兄弟を喪って曹操軍に拾われたのだ、喪った時の思い出くらいは残っているはずだ。
郭嘉は、開け放たれた窓から外を眺めた。
典韋にじゃれついているが、肩車をせがんでいる。
あのくらいの小ささなら、まだ私でも肩車はできるのにな。
思わず呟いた独り言を耳にしてしまったらしい荀彧が、慌てた様子で窓を閉めた。
このところ見目の良い軍師に猫可愛がりされていると聞いていたが、まるきり変わっていない。
おしとやかになっていなければ、利口にもなっていない。
血生臭い戦場で汗臭い親父どもに長く囲われていた習性は、やはり簡単に抜けないのだろうか。
典韋は足元でしきりにじゃれついてくるを抱き上げると、定位置の肩に乗せた。
きゃっきゃと歓声を上げ今日の出来事を話すに相槌を打つ。
元は農民だったのか、畑仕事も苦ではないらしく土まみれの手で駆け回っていることも多い。
誰よりも大きな声で泣き喚いていた子どもが、随分と大きくなった。
子どもの成長はあっという間だ。
すくすくと大きくなって、きっとそのうちどこかからいい男を捕まえてきて嫁になるとか言い出すのだろう。
大変だと思う。
いつまでこうして軍にいるかわからないが、そんじょそこらの並みの男では満足できない目の肥えた娘になっていそうだ。
周りもみな頑固で偏屈な親父を気取りたがるだろうし、かくいう自身も力試しのひとつくらいぶちかましてやりそうだ。
まだまだずっと先の話だとは思うが、その日が早く来てほしいとも思う。
願わくば、その頃は今よりも穏やかな世であってほしい。
少なくともの親たちのような目に遭う民が減っていてほしい。
「ねえ典韋、聞いてる?」
「んあ? ああ、が軽すぎて抱えてること忘れちまってた」
「ひどい! 私大きくなってるもん!」
「そうかあ? ま、ちったあでかくなったしな」
「毎日いっぱい食べてるからね! あ、でも李典にはもっと食えって言われる・・・うう・・・」
「こら、女の子が食うとか言うんじゃねえ」
「はい。あのね、私もたくさん食べてたくさん訓練したら典韋みたいに大きくなれる? 許チョみたいに力持ちになれる?」
「の細っこい腕じゃあ力持ちにはなれねえだろうなあ。訓練は頭を使う方にしとけ、軍師たちと勉強させられるって聞いてらあ」
「お勉強はやだなあ・・・。畑にいる方が好き!」
「へっそうかい! が作った飯は美味そうだ!」
武器は持たせたくない。
持たせれば、その気がなくとも怪我をする。
には辛い目に遭ってほしくない。
本人はおくびにも出していないが、とうに辛い思いはしてきたのだ。
畑に水やりに行くと言い出したを地面に降ろしていると、曹操と許チョがやってくる。
礼儀正しくぺこりと頭を下げるへ柔らかな視線を向けると、曹操は口を開いた。
「、悪来との用は終わったのか」
「はい」
「そうか。悪来よ、わしはこれより宛城の張繍の元へ行く。軍門に降りたいとの申し出があった」
「じゃあわしがお供しまさあ」
「いや、お主を同道させれば相手も警戒しよう。留守を任せたい」
「しかし殿、それじゃ危険すぎまさあ」
「なに、案ずるな。子脩らを連れていく」
帝を保護し、国の立て直しを図っている曹操の元には様々な将たちが集うようになった。
争いが減るのであればそれらは喜ばしいことだ。
けれども、すべてを受け入れていけばそれらは清濁合わさることとなりやがては曹操に良からぬことが起こるのではと不安になる。
何もないのならば、それでいい。
護衛として務めている以上、片時も主の傍を離れたくない。
離れてはならないと考えている。
勝手についてきたことを曹操は怒るだろうが、怒られたくらいで主の命が守られるのならばいくらでも叱責は受けよう。
典韋は不安げな表情の許チョとに向かって、宛城に行ってくらあと声を上げた。
ひとりで平気と尋ねるにわしが弱く見えるかと尋ね返すと、ううんと弱弱しげな声が返ってくる。
は、本人は隠しているつもりなのかもしれないが大切な人の死を怖がる優しい女の子だ。
典韋はしゃがみ込むと、の頭をわしゃわしゃと撫でた。
ほんの少し加減を間違えれば握り潰せてしまうような少女の脆さが気になり、いつもより多く撫でまわす。
「なあに、すぐに殿と帰ってくらあ。土産を待ってな!」
「うん・・・うん! いってらっしゃい典韋!」
戦場へ向かう姿を見送るのは初めてではない。
夕頃出て明け方、目が覚めれば彼らは皆帰還していた。
明日が待ち遠しい。
は許チョに手を引かれながら畑へと歩き始めた。
分岐に戻る