流れ星の置き土産     4







 人攫いを見つけた。
目と口を封じられ、馬の後ろに括りつけられている少女が、じたばたと足をばたつかせている。
許昌から少し離れただけでこんな連中に出くわすとは、どこもかしこも物騒だ。
今日はたまたま見つけたから助けてやれるが、彼女よりも前に攫われていた人々はどうしているのだろう。
考えを巡らしたところで何かができるわけでもないので、今は目の前の出来事に集中する。
失敗した時はすぐに逃げ出すことを信条にでもしていたのだろう、軽く捻っただけであっけなく少女を落とし逃げ去った人攫いを追うことなく賈クは少女に声をかけた。



「おい、大丈夫かあんた」
「ん・・・んーーー!!」
「あーよしよし、今楽にしてやるからそう焦りなさんな」




 地面に転がされてもじたばたと暴れ続ける生きのいい少女を宥めながら、口元を楽にする。
助けて典韋。悲鳴のように漏れた男の名に、介抱してやろうとしていた手を止まる。
つい先頃、その男を殺した。
彼に娘がいたとは知らなかったが、縁者だろうか。
だとしたら面倒な拾いものをしてしまった。
どう返答すれば良いのかわからず黙り込んでいると、少女もまた自らの発した言葉に気付いたのか、もういないのにと小さく呟く。



「典韋は、殿を守って死んじゃったのにね」
「・・・・・・そう、だな」
「典韋、あんなに優しかったのに」
「・・・・・・」
「典韋が助けてくれたの。典韋や殿がいなかった私、とっくに死んでたの」



 目隠しを外そうとしているのか、もぞもぞと再び動き始めた少女の体を思わず押さえつけ抱き上げる。
少女が典韋をとても慕っていることはよくわかった。
都合が悪すぎる。
まさか知らないとは思うが、典韋を殺した仇だと顔を見られ気付かれでもしたら厄介なことこの上ない。
視界を解放されることなく再び担ぎ上げられたことに動転した少女が、再び暴れ始める。
嫌だ、助けて、降ろしてとありったけの罵詈雑言を浴びせられ、ついでに背中も蹴られる。
痛みはない。
何を言われても当然だし、本来ならば足蹴どころでは済まないことを彼女に対してしているのだ。
己が仕打ちを後悔してはいないが、いたいけな少女の心に癒えがたい傷を残してしまったことにはほんの少しだけ胸が痛む。
賈クは暴れる少女を自身の馬に乗せると、ようやく口を開いた。




「俺は人攫いじゃあない。殿にお仕えしているが、訳あって顔も名も明かせない。・・・お嬢ちゃんは典韋を殺した奴が憎いかい?」
「嫌い・・・大嫌い! 殺してやりたい、私の、私の大事な家族なのになんで、なんで!」
「そうかい。じゃあ・・・まずは腕を磨きな。そうすればあんたは仇に近付くことができる。哀れな仇は、あんたに殺されるまでずっと軍に居座ってるからな」




 威勢だけでは人を殺せない。
そう続けて言うと、少女の足蹴の勢いが止む。
戦う、強くなる、教えてもらわなきゃとぶつぶつと独り言を呟いている。
言いすぎてしまったかもしれないが、こうとでも言わなければ憎しみに囚われた者はその世界から抜け出せなくなる。
たとえそれが仇討ちに繋がらずとも、曹操軍のために働く忠実な下僕となるだろう。
許昌城内に入り、彼女が住んでいるという居住区付近で降ろしてやる。
身なりからなんとなく察していたが、やはりどこかの良家の子女なのだろう、同僚の館がたくさんの見慣れた景色に気まずさが増大する。
賈クは今度こそ目隠しを外そうと奮闘している少女の頭をぽんと叩くと、そそくさとその場を後にした。





























 が剣を習い始めたらしい。
よりにもよって夏侯惇に直接教えを乞うたらしく、以来彼女はすっかり稽古の虫だ。
剣術なら俺も教えられるのに・・・というかなぜ急に。
典韋と死に別れてからみるみるうちに笑顔を失い、最近は悲壮感すら生まれてきたを見かね話に誘う。
もちもちの柔らかな肌触りだった頬は鍛錬の賜物か引き締まり、ふにふにだった手も今や肉刺だらけだ。
痛々しくて見ていられないが、目を逸らしたくはない。
李典と楽進は食堂にを呼び出すと、近況を尋ね始めた。



「どうして急に剣なんか教わり始めたんだよ。しかも夏侯惇殿なんて手加減抜きだろ」
「水臭いですよ、私たちに相談してくれれば良かったのに・・・」
「・・・駄目です、2人は私には本気にできないです」
「そりゃあそうだろ・・・。戦場で戦うわけじゃないんだろ? 許昌で暮らしていくうちの護身術程度で本気になるわけがない」
「いずれは戦場に出るつもりです」
「本気で言ってるんですか!? 、私たちはを守るために戦っているんです、だからが戦う必要などないんですよ!?」
「この間、人攫いに遭いました」
「「は!?」」



 衝撃的事実が多すぎる。
人攫い事件など初めて聞いた。誰からも報告を受けていない。
ここにいるということは未遂で済んだということなのだが、恐ろしすぎる。
許昌でまだ人攫いが横行していることにも、ずっと黙っていたにも驚きを隠せない。
やはりこの子はきちんと見ていないと駄目だ、全然守りきれていない。
李典と楽進は顔を見合わせ頷き合うと、話の続きを促した。



「相手は、誰に助けられた? ま・・。まさか自力で?」
「城外の村落に向かっている途中でした。目隠しされていたので相手はわかりませんし、誰が助けたのかもわかりません。軍の方だと言っていました」
「わからないって、それ本当に軍の奴か・・・?」
「本人はそう。・・・強くならないといけないんです」
「そっ、それは殿や曹仁殿はご存じなのですか・・・?」
「・・・呂布との戦いでお忙しい殿を、こんなことで心配させたくないです」




 曹操は絶対に『こんなこと』とは思わない。
親の心子知らずだ。
典韋を喪ってから塞ぎ込んでいるの様子をいつも気にかけている。
食事はきちんと摂っているか、病気はしていないか、郭嘉に絡まれすぎていないかと逐一尋ねてくるほど心配性だ。
人攫いに遭ったなど知れてみろ。
不安が限界突破して、本気で満寵に仕掛け部屋を作らせ閉じ込めかねない。
満寵も満寵で調子良く完成させてしまいそうなので、それだけはどうにか阻止しなければ。
李典はを見つめた。
きらきらと輝くあの笑みは、もう見ることができないのだろうか。
誰でもいい、に笑顔を取り戻させてやってほしい。
自分の力では彼女の命しか守ることはできない。
いや、命だけは何に代えても守ると誓うから、彼女に心を与えてほしい。
安らぎを与えてほしい。




「ああ、ここにいたんだね。おや、李典殿と楽進殿も」
「郭嘉殿。ちょうど良かった、聞きましたかの人攫いの件」
「ああ・・・痛ましい出来事だったね、あれは。まったく、私のを拐そうだなんて命知らずもいたものさ」
「郭嘉殿はご存じだったのですね、安堵しました。人攫いの居所など掴めたら我々にもぜひご一報下さい。不逞の輩はこの楽文謙が許しません!」
「ええ、そうしてもらえるとこちらも助かるよ。さあ、そろそろ行こうか。お勉強の時間だよ」
「・・・郭嘉様の勉強、私はあまり・・・・・・」
「照れてはいけないよ。人の人生に潤いと彩りを与えるとても大切なことだから・・・ね」



 文書に関しては、指南役が変わったところで苦手意識は拭えないらしい。
手を取られあれよあれよと食堂から連れ出されるを見送る。
郭嘉は知っていた。
と郭嘉の関係については、初めての出会いのおかげで主に周囲が警戒していたためそれほど親しくしていたとは考えも及ばなかった。
戦場に出たいという彼女の意思も、郭嘉は知っているのだろうか。
知っているとすれば、止めないのだろうか。
なぜ止めないのだろう、戦場に出てもにとっていいことなど何ひとつとしてないのに。



「・・・殿、李典殿、どうなさいましたか?」
「い、いや何でもない。・・・なあ楽進、もしもが本当に戦場で戦うようなことがあったら、その時は・・・」
「ええ、戦場に出ることを止められないのであれば、私たち2人で必ずやを守りきりましょう! はっ、その時は私たちの麾下に入るよう殿にお願いしてみては!?」
「どうだろうなあ・・・。たぶんそう考える奴ばっかりだと思うんだよな、俺・・・」




 誰もがに傷ついてほしくないという思いを、本人は気付いているのだろうか。
李典は、まるで在りし日の自身と同じようにの手を引き歩く郭嘉の姿を思い出し、くしゃりと髪をかき乱した。







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