流れ星の置き土産 5
残酷な片想いですねと言い捨てられ、お互い様でしょうと言い返す。
苦悶の表情を浮かべる荀彧に何も知らないとでもという思いで追撃すると、耐えられなくなったのかふいと目線を逸らされる。
やはり知っていたのですねとほぼ同時に呟き、思わず吹き出す。
笑いごとではないのに笑ってしまう。どうしようもないからだ。
「正直、からかい半分だと思っていました。申し訳ありません、郭嘉殿」
「まあ普通はそう思いますよ。だって、本当に子どもでしたし」
「ええ、今もまだ子どもですが」
「それは・・・そうだね。随分と子どもらしくない子どもだけど。は何も気付かないんだ、わかろうとしないんだ。かなりの強敵だね」
「郭嘉殿の日頃の行いのせいでは・・・? は人の行為は受け止めて突き放す聡い子ですよ」
「受け止めて突き放す」
「夏侯惇殿が追い返す間もなく、あの子が自分の判断で拒絶しているそうです」
大切な人をつくる気にならないからという理由で断られているらしい。
喪うことが嫌になったのだろう。
そうだとしたら、ますますもってこちらの勝ち目は薄い。
なぜなら終わりが見えているからだ。
戦場を生き延びても、長くはない。
知っている者は少ない。はもちろん知らない、教える気もない。
最後まで壮健な姿を見せていたい。
だが、大切な人になりたい。
今もにとって大切な人だとは思う。
もっと上にいきたかった。
別れを終わりではなくて、切れず続いていくものとわかってほしかった。
人を愛するとはそういうものなのだと、人を愛することに怯えないでほしいと伝えたかった。
講義はとても難しかった。
「ねえ荀彧殿、私に足りないものは何だろう? これほど眉目秀麗、遊びも達人な色男はそういないと思うのだけれど」
「は、郭嘉殿のことは好きだと思いますよ。私のことも公達殿のことも、李典殿や楽進殿のことも好いてくれています」
「あなたは時々すごく意地悪だよね」
「恐れ入ります。・・・長くいすぎたのかもしれませんね」
「愛しているのは私だけ・・・か。だったら誰も彼もみんな無理じゃないか。まったく、罪な女だよあの子は」
「年端もいかない子どもに懸想していた郭嘉殿の方がよほど罪深いのでは」
「だったら李典殿も同罪だよ」
「あの方はご自分もまるきり気付いておられないのです」
「道連れに唆してしまおうかな。私が無理でも李典殿ならまあ許せる」
くつくつと笑っていると、とめどなく咳が溢れてくる。
やはり時間はもうあまり残されていないらしい。
に隠し通せるのもいつまでだろうか。
あの子はいつの間にやら人の命に聡すぎる子になってしまったので、意外に早く気付かれるかもしれない。
せめて、彼女も出陣するであろう袁紹との決戦まで持ち堪えていてほしい。
その頃にはきっとも大人になっているはずだ。
愛していると言えば伝わるはずだ。
「まさか荀彧殿と色恋の話ができるとは思わなかったな・・・。今度軍師みんなで色恋話をしたら面白そうだね。あなたの甥っ子っくんなんてすごいの持ってそうだと思わないかい?」
「公達殿をからかうのはやめて下さい」
「いや彼、飲ませれば結構乗り気で語ると思うんだけよね・・・」
病の進行を遅らせるためにも、酒は今以上に慎んでもらわなければ。
荀彧はさらにおかわりを要求する郭嘉の手を払いのけると、いそいそと酒瓶を仕舞った。
何年もずっと見慣れてきた顔だ、異変には気付きやすい自負がある。
は隣で淡々と戦況を見守っている上官の涼しげな横顔をちらりと見つめ、顔を曇らせた。
このところの郭嘉は何か隠し事をしている。
軍師とは手の内を明かさないものだよとはぐらかされもしたが、戦術ではない部分を隠している。
女絡みの問題ではないはずだ。
この男は非常に巧く女をあしらう。
もしかしたら自分もそのひとりに数えられているのかもしれない。
だから、本当に大事なことは薄い笑顔で誤魔化される。
そんなもので納得させられると思われていることが嫌だった。
「」
「はい」
「そんなにじっと見られていると照れてしまうな。もやっと私の魅力と想いに気付いてくれたのかな。そうだとしたら、今日はとても素晴らしい日だ」
「郭嘉様は最近お顔の色が良くありません。どこか優れないのでは?」
「ああ・・・それは愛する人が戦場で戦うとなれば胸も心も大いに痛むというものだよ。今からでも適当な理由をつけて許昌へ帰してしまいたい」
「郭嘉様」
また話を逸らされた。
弁舌に優れているわけでもないこの身で郭嘉の真意を掘り下げることなどできようはずがない。
ただ悲しかった。
彼が愛していると言うたびに、重さを感じなくなってしまう。
言えるうちに言っておこうと急いているだけではないかと、やがて訪れるその日の到来を予感してしまう。
郭嘉の顔色は本当に良くない。痩せた気もする。
はぐらかされる機会が増えた。
そう荀彧に言い募っても、は郭嘉殿のことをよく見ていますねと褒められるだけだ。
荀彧も絶対に事情を知っていて、でもって隠している。
いつまでもお菓子で釣られる歳ではないのだ、貰ったものはありがたくいただくが。
「が戦いをやめるには、私たちはいったい何をすればいいのだろう」
「やめろとは言わないのですか」
「戦い以外の手で繋ぎ止められるならいくらでも手を打つだろうけれど、無理矢理いうことを聞かせたくはないしね」
風にたなびきひらりと揺れる青い首巻を手に取り、そっと撫でる。
誰に影響されたか明らかなそれは、今やのお気に入りだ。
小柄で人混みに埋もれがちなを探すにはぴったりの目印になるし、誰が目をかけているかも一目瞭然なので周囲にも良い牽制になっていると思う。
どちらから言い出したのかはわからないが、いい選択をした。
羨ましい。思わず零れ出た本音に、が首を傾げる。
綺麗な目をしている。
良いことも悪いことも悲しいこともすべて直視してきた、曇らせる余裕などなかった澄み切った瞳だ。
「郭嘉様、私のどこを羨んでいるのですか?」
「に慕われている李典殿が羨ましくて、不憫で・・・、私も彼のようになれば良かったのかな」
「郭嘉様が李典様に? やめて下さい、李典はひとりで充分です。私は郭嘉様が郭嘉様だから好きです。・・・隠し事は嫌ですけど」
「隠さなければ、は私のものになってくれる?」
「え?」
ぴたりと頬に添えられた手は、今よりももっと子どもだった頃に手を引かれていたそれと同じとは思えないくらいに冷え切っている。
肌もいつもより白くて、皮膚の奥が透けて見えそうなほどだ。
この人は、まさか本当に。
言いかけようと口を開けば、唇に指をとんと当てられ首を横に振られる。
続きは閨で聞きたいな。
そう囁かれた言葉に、はぎゅうと目を閉じた。
体じゅうが、まるで突然高熱に当てられたかのように熱くなり震えが止まらなかった。
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