枯刈る命(かれる)




 楽しい時間がずっと続いている。
こんなに楽しくていいのかなと思うくらいに五感で感じるものすべてが甘く美しくきらきらと輝いていて、息つく暇もないほどにそれは続いていく。
早く行こうぜと腕を引かれ、前を見れば満面の笑みを浮かべている孫策がいる。
2人で丘を駆け上がった先に待っているのは典雅に箏を奏でている周瑜で、こちらの姿を認めたのか手を止め笑顔を向ける。



、明日は釣りにしようぜ」
「釣りは孫策待てないでしょう。釣るより捕る方が早いってすぐに飛び込むから」
「じゃあ狩りはどうだ? 鍋にして食おうぜ!」
「私、弓は苦手だけど・・・」
「ではは私と組もう。孫策を相手にしては少々分が悪い」
「仕方がないわね」



 釣りも狩りも日常だ。
天気が悪ければ周瑜に引きずられながら書物を紐解き、孫策と並んで居眠りする。
目が覚めたらいつも上着が掛けられていて、それはとてもいい匂いがする。
、起きるんだ
柔らかい声で名を呼ばれ続け、寝たふりを続けることもできないので渋々目を開ける。
どんよりと暗い表情の人々に見下され、私は小さく悲鳴を上げた。



「え、え・・・?」
「ああ、良かった! すぐに孫策に伝えてくれ、于吉はやったと!」
「于吉・・・? そうだった、孫策はどこ!!」
「落ち着いてくれ、急に体を動かすと「痛っ」頼むから安静にしてほしい」



 机ではなく寝台に横たわっていたらしい体を起こすと、全身に激痛が走る。
さすが孫策、錯乱していても人の体の弱いところを的確に刺してくる。
この技量は、孫策自身を守るために必要なものだ。
彼の周りにどれだけの護衛や影をつけていても、凶刃を退けきれない時はある。
だから孫策が刃を薙いだことに私は安心した。
孫策は強いと知ることができたから。



様はね、于吉にもう一度治してもらったんだよ。周瑜様たちが于吉を連れてきて、でも様ずっと目が覚めなくって」
「小喬が君を看ていてくれたんだ。すまない小喬、引き続き彼女を頼んでもいいだろうか。私は孫策の元へ行く」
「任せて! 様の所に悪いやつが来てもあたしが追い返しちゃうんだから!」
「私、きっと小喬殿を押しのけて外に出てしまうわ」
「外には太史慈が控えているから、彼に勝てるなら試してみるといい」



 万全の状態の時でさえ後れを取った太史慈殿に勝てるわけがない。
孫策に会いたいだけなのに、この男は意地悪ばかりする。
孫策は于吉殿を嫌っている。
小喬殿の話が正しければ、私を治したらしい于吉殿は孫策にとってはもはや不要の存在だ。
嫌っている人を生かし続ける、あるいは無罪放免にするほど孫策は聞き分けが良くない。
孫策は私を愛してくれている。
やんわりと阻止しても拒絶しても、出会った時からずっと慈しんでくれている。
夢の中でも私を想ってくれている。
そんな人が、愛する女を害した奴を許せるはずがない。
許す許さないとすら考えていないはず。
孫策はもう、于吉殿を殺すことしか考えていない。



「小喬殿、私も孫策に会いたいのですが・・・」
「駄目だよ。様の体、ぼろぼろなんだよ。孫策様が刺した傷は于吉は治せなかったから・・・」
「致命傷ってこういう傷なんだなと思いましたもの」
「もう、様ってば! ほんとのほんとに大変な怪我なんだよ。死んじゃうかと思ったんだから・・・」



 しょんぼりと項垂れてしまった小喬殿の背中をゆっくりと撫でる。
寝ている間ずっと看病してくれていたのか、小喬殿のぱっちりとした瞳の周りには隈が浮かんでいる。
心身共に限界に達している彼女を泣かせてしまえば周瑜も心配する。
私は慎重に体を起こすと、小喬殿を伴い部屋の戸を明けた。
殿と頭上から名前を呼ぶ声が降ってきて、私は顔を上げた。
久し振りに見た太史慈殿の顔色がとても悪くて、寝台を貸してあげたくなる。



「小喬殿をお願いします、とてもお疲れのよう」
「そんなことない! 大丈夫!」
「小喬殿、私、周瑜に怒られるのだけは勘弁してほしいんです。あの人怒ったら本当に長くて、小喬殿に寝ずの番をさせたなんて知れたら何をされるか・・・」
「ふむ・・・。小喬殿、殿のことは俺に任せてくれぬか。殿はもうひとりの孫策殿だ。病んだ姿を晒すのは孫策殿のためにもならん」
「そうなんです。孫伯符に異変があってはならない。たとえ影だとしても、私が孫策を務める以上は壮健でないと」
「・・・周瑜様はそんな様が好きなんだよ・・・」



 聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしたけれど、今気にすべきなのは孫策だ。
于吉が人を癒やし、人を惑わせる異能を持つ仙人だということはよくわかった。
彼に関わってはいけない。
遠いところで放っておくのが最善だと孫策に伝えたい。
小喬殿を部屋に残し、孫策の元へ足を向ける。
遅々として進まない私の体に業を煮やしたのか、太史慈殿が私を抱え上げる。
政庁の一室が騒がしい。
周瑜が孫策の名を何度も叫んでいる。
血の匂いもわずかに漂う。
もう生きられぬ。
老人の笑い声のような高らかな声に背筋が凍る。



「わしもお前も、もう生きられぬ!」
「抜かすな! 死ぬのはてめぇだけだ、于吉!」
「孫策、待って・・・」
!! ・・・あっ」



 于吉の細い首を刎ね飛ばした孫策が、私の声に反応する。
いけない、と思った時にはもう遅かった。
予期せぬ人物からの予期せぬ呼びかけに、激昂していた孫策がたたらを踏む。
愛用の武器は于吉の枯れた首を刈るには重すぎて、勢い余って孫策を急襲する。
と呟き私を顧みた孫策の額が割れている。
割かれた腹と同じだけの量の血が額から吹き出している。
ああ、ああ、どうして。生きられないのは孫策ではない私のはずなのに。
私はもう、孫策が生き続けられないとわかってしまっている。



「そ、孫策・・・」
・・・、お前は生きてくれよ・・・?」
「孫策様、嫌です、いや、いやあぁぁ・・・」



 孫策が、自らが吹き出した血溜まりの中に倒れ込む。
ぴくりとも動かず、呼吸音すら聞こえない。
血塗られた居室に、大喬様の泣き声だけが響いていた。

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