彼は日なたの影法師
丈夫すぎる身体も厄介だ。
あの太史慈と一騎打ちの末惨敗したというのに、まだ生きてしまっている。
体格を良く見せるために胴に仕込んだ鉄板が、死神から命を庇ったらしい。
真っ平らだった鉄板は、太史慈の怪力に押し潰されべこりと凹んでいる。
腹に穴が開かんで良かったのうと黄蓋は大笑していたが、あの時は本当に腹を貫通したと思っていた。
そのくらい痛かった。
亡き孫堅や父が川の向こうで大きく手を振っていた。
は寝台から身を起こすと、衣を捲り痛む腹を見下ろした。
穴は開いていないが、どす黒く変色している。
誰かに見せる体ではないから問題はないが、さすがに気落ちはする。
前の主に虐げられた際にできた鞭の跡や切り傷よりも遥かに目立つ戦いの勲章だ。
見せるつもりはないが、見たら孫策はおそらく身代わりの任を解くだろう。
余計なことを言うなと周瑜にも釘を差しておかなければならない。
あの男は鼻と目と腕と気が利く。
「駄目だよ周瑜様! 様は寝てるんだから、会っちゃ駄目!」
「しかし小喬、私にもを見舞う権利はあるのだ」
「それでも駄目! 様、周瑜様が来たら怖い顔しちゃうもん! 様しっかりお休みしないと、怪我も良くならないんだよ」
「小喬・・・」
部屋の外で小喬が奮戦している。
花のような可憐な体を盾にして、夫が粗相をしないよう牽制している。
周瑜はいい妻を得た。
彼の機嫌を損ねることなく直言できる人物は、非常に貴重な存在だ。
周瑜も愛妻の悲しむ姿は見たくないだろうし、これが適材適所か。
はいつ小喬が部屋へ駆け込んでも対応できるよう、手早く着替え始めた。
扉の向こうから、一緒にお見舞するならいいけどと譲歩案を出している小喬の声が聞こえてくる。
夫に優しい妻の鑑だ。
は夫婦揃って見舞いに訪れた2人に、にっこりと微笑んでみせた。
案の定周瑜の眉間に皺が寄っている。
察しが良すぎるこの男に隠し事はできない。
「そろそろお見えになるかなと思ってました」
「ごめんね様、周瑜様がわがまま言っちゃうの」
「ええそうですね、周瑜殿は我儘が過ぎます」
「まで・・・。容態は本当に良くないのか? 孫策も心配していた、会いに来たがっている」
「私の方から顔を見せるので大丈夫。それよりも太史慈は?」
「太史慈の義心に孫策はいたく感激し、我々の仲間となった。近々ささやかな宴もあるから、君も顔を出すといい」
「お姉ちゃんと練師様が腕によりをかけたお料理作ってくれるんだって!」
「そうですか。じゃあそれまでに腹も治さないと・・・」
残念ながら今の腹の状態だと満足に力が入らず、ご馳走を平らげる自信もない。
孫策がいる場に孫策ではない格好で赴くということは、それなりに別の支度もしなければならなくなる。
太史慈も、一騎打ちを経て孫策には影がいると知っただろう。
どう説明すればよいだろう。
孫策が姑息な手を使う臆病者だと誤解されないよう、影はあくまでも勝手にやっているという体を装った方がいいのかもしれない。
孫策は太史慈にどう説明しているのか、部屋から一歩も出ていないので現状がわからない。
多すぎる悩みが顔に出ていたのか、ふと見やった小喬の表情も曇っている。
花は濡れても綺麗だなとは言わない方が良さそうだ。
「様、今は自分の体を治すことだけ考えよ? 孫策様のこととか太史慈様のこととか、難しいことは周瑜様がぜーんぶなんとかしてくれるよ!」
「えー・・・」
「大丈夫! ね、周瑜様!」
「ああ、任せてくれ。そうだ、宴に出るなら色々用立てておくものもあるな・・・。小喬、手伝ってくれないか」
「もちろん! 任せて周瑜様」
夫婦仲がよろしいことを最初から最後まで見せつけてくれた2人を追い出すように、部屋の外まで見送る。
楽しい時間は何にも勝る薬のようで、話している間は痛みも和らいだように感じる。
さて、私ももう一眠りしようかな。
夫妻の姿が見えなくなったことを確認し、くるりと扉へ向き直る。
もし、すまない。
周瑜たちが去った方向とは逆側から声をかけられ、振り返る。
孫策よりももう一回りがっしりとした体つきに、思わず体がのけぞる。
腹が痛くて思わずよろめくと、倒れるより先に腰を支えられる。
鎧兜に身を固めていなくとも、闘志に燃える真っ直ぐな瞳を見れば彼の正体はすぐに知れる。
「太史慈・・・?」
「驚かせてしまい申し訳ない。人を探しているのだが、当てがなくて困っていた」
「はあ、そうですか。体、ありがとうございます」
「こちらこそ不躾に悪いことをした。孫策殿ではない孫策殿を探している。知らないか?」
「・・・さあ?」
探して何の用があるのだろう。
は太史慈の問いかけに、ぶんぶんと首を横に振った。