親切心の恩返し
腹に布を巻きつけ、体を固定する。
少々太ましく見えるが、今更気にする自身や周囲ではない。
孫策の影を務めるには体の損傷が激しく、今は何にもなりきれない。
次の戦いが始まる前に調子を整えておかなければと気合を入れようとすると、腹がしくしくと痛む。
さすがは太史慈だ。
彼の武勇があれば、孫策の夢も叶うはずだ。
は部屋から出ると、建業の宮殿へのんびりと歩いていた。
早く着いてもあまり良いことはない。
酒瓶片手に当てもなく歩き続ける人々に水を配り続けるのは、なかなかの重労働なのだ。
殊に今は体が重いので、尚更やりたくない。
「うう・・・」
「あら? もし、ご老人。どこかお体がお悪いので?」
今にも壊れてしまいそうな粗末な家の前で、ひとりの老人が蹲っている。
膝を抱え苦しそうに呻き続け、覗き込んだ顔には脂汗が浮いている。
怪我をしているのかと外見を探ったが、目立った傷は見つからない。
は老人と同じようにしゃがみ込むと、額に浮かんでいた汗を布で拭った。
「足が痛むのですか?」
「転んで立ち上がれなくなっての・・・」
「それはお困りでしょう。どこかへおでかけでしたか?」
「城外に迎えがおるのじゃ・・・」
「ではそこまでお連れしましょう、はい」
柳のように痩せ細った老人の体を抱え上げる。
孫策に似せるために武芸の鍛錬を積んだ甲斐があった。
腹が痛くても、痩せた老人ひとり運ぶことはできそうだ。
こんなに細い体で転んだりして、骨を痛めてはいないだろうか。
迎えの者とやらがどのような人物がわからないが、養生するように伝えておかなければ。
すまんのう、すまんのうと何度も謝罪と感謝の言葉を繰り返す老人を宥めながら、城門を出る。
老人が言っていたような迎えは、どこを見渡しても見つからない。
江南の地は長く盗賊や山越族に荒らされたと聞いている。
迎えの者も、彼らによって行路を阻まれているのでは。
助けてやりたいが、見掛け倒しの孫策にしかなりえない自分にできることはあまりにも少ない。
は老人を岩の上に降ろすと、ふうと息を吐いた。
「お迎えの方はどんな人です?」
「ほっほっほ、すまんのう・・・。そなたに背負ってもらっておる間に足も治ってしもうた」
「そうですか、良かった。でもひとりは危険です、誰か人を・・・」
「すまんのう、わしはそなたを騙してしもうた」
「え?」
「そなたがどのような人か、見極めたくてのう。すまんのう、これはわしからのささやかな礼じゃ」
いつの間にやら杖を手にしていた老人が、の腹をとんと突く。
杖の先端が体に触れた直後、体が熱くなる。
血液が全身をかつてない速度で駆け巡り、やがて熱が腹に集中する。
自分の体の中で、説明できない何かが起こっている。
腹どころか、地面に押し倒された時に擦りむいた肘も背中も痛くない。
この老人、何をした。
は、岩の上の老人を振り仰いだ。
「あなたは・・・」
「わしは于吉、見てのとおりの老人よ。腹はどうじゃ?」
「痛くない・・・ありがとうございます」
「なに、気にするでない」
「これで孫策の代わりがまたできる」
「おお、そうかそうか。それは良くないのう」
「え?」
不穏な言葉を残し、于吉と名乗った老人が忽然と消える。
あれは本当にただの老人だろうか。
長く生きれば様々な力を得る人もいると聞くが、少なくとも身近な老将たちは何も変わらない。
于吉の狙いはわからないが、体は治ってしまった。
次からの孫策の戦いは、天下を統べるための戦いに変わる。
まだ孫策についていける。
まだ彼のために生きることができる。
まだ、彼のために命を捨てられる。
は体に巻き付けた布を剥ぎ取ると、軽やかな足取りで宮殿へ駆け出した。